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山登り人生vol157根子岳デルタ尾根転じて久住山

私30歳。奥様30歳、長女5歳、長男4歳、次男0歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
10月28日次男も誕生し子守りが忙しくなり、
ビックな山行ができなくなりました。
所属する会はヒマラヤトレッキングや八ケ岳、鳳凰三山での冬山合宿と活発でした。

No276根子岳デルタ尾根~久住山


昭和55年1月13~15日 K君と私
13日(晴れ)佐世保20:30⇒23:30大津(ガス欠)
14日(曇り)大津7:00⇒8:30鍋の平9:30→長尾尾根取付10:00→南峰11:45(デルタ尾根)→12:20長尾のコル12:45→P5-13:15→(退却)→南峰14:30→15:30鍋の平16:00⇒16:40宮地17:30⇒18:30長者原
15日(雪)出発8:40→すがもり越11:20→久住別れ12:05→久住山頂12:50→すがもり越13:40→長者原14:40⇒20:00佐世保

13日ガス欠

ガス欠なんて信じられない。
K君は雲仙に職場の友と山登りの後で不注意だったのだろう。
もう走れない。
大津駅前に駐車してスタンドが開くのを待つことにした。

14日根子岳デルタ尾根退却

大津で給油して鍋の平に向かった。
国道を離れるとタイヤチェーンを着けた。
鍋の平は銀世界で根子岳のギザギザも一段と凄みを増していた。
今日取り付く長尾尾根からデルタ尾根は、
山口谷と地獄谷を分ける尾根で、天狗岩南西側絶壁下部より、
デルタ尾根として派生し、
徐々に高度を下げP5までの凹凸繰り返し長尾のコルに至る。
これより一気に高度を上げ南峰(山口山)となり、
ここからは山容は一変し
なだらかな長尾尾根となり草尾根が鍋の平へと延びている。

当時、鍋の平
無雪期。多分、このラインを登ったか?

誰一人いない静かなキャンプ場。
固い雪を踏みしめながら取付きへと東側に廻り込む。
短い尾根から取付き本尾根に1時間弱でが合流した。
積雪20~30cm程度。南峰までラッセルに苦労するか箇所が何度も現れる。
寒気も強く透明に輝く霧氷が美しい。

南峰1,360mから長尾のコルに下るが、
稜がはっきりせず、地獄谷側ルンゼを下る。
積雪は急に多くなり40~50cmはあるようだ。
お蔭でブッシュからは解放された。
コルにはルンゼを暫く下ってトラバースし
スズタケの中を泳ぐようにして到着した。
いささかバテ気味で雪に埋もれるように休憩昼食とした。

P5は巻くのか直登するのか。巻くとなると凄いラッセルが予想された。
トップをK君に変わり直登した。
彼の靴裏が見えるような急登である。
ピーク直下の小さなコルに達した彼から
「もうダメだよ。」のコールが届いた。
トップ交代しスタッカットで登っても、P5からの懸垂下降とデルタのコルからのラッセルが予想された。
時間的余裕もない。何より戦闘意欲を失くし、敢え無く退却となった。

南峰から主稜線を望む。
トリゴエ尾根の嫁の平を望む。

鍋の平に戻りケチが付い根子岳南面には長居は無用と宮地に向かったが、
最終的には久住向けとなっていた。
瀬の本料金徴取所手前でタイヤチェーンを着けて長者原へ。
牧ノ戸峠では吹雪で緊張した運転となった。
ドライブイン前にテントを張っていると
車庫内を使えと誘われ甘えることにした。吹雪である。

15日厳しい久住登山

すがもり越から久住山へ往復することにした。
三俣山麓は登山禁止で左岸側から登る。
初めてのコースだ。

車道と別れて近道にコースを採るが
トレースなく積雪40~50cm、膝までのラッセルとなった。
硫黄小屋を過ぎすがもり越の小屋へ、
凄い強風である。北千里に下ると弱まった。

北千里浜

ガスって視界は悪い。
久住別れ手前でヤッケを着て久住山頂に向かう。
山頂手前ではあまりの強風で先に進めない。
メガネは凍って先が見えない。冬山でいつも悩まされるメガネの凍結だ。
「戻りましょうか。」と言うK君。
と同時に山頂のケルンが確認できた。

山頂を踏み引き返した。
帰り道、我々が作ったトレースを
皆さんが登っているのを見ると「いいものですね。」とK君談。
上りの苦労を忘れて長者原に戻った。

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