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山登り人生VOL232初の屋久島行その3宮之浦岳から淀川小屋へ

私34歳。奥様33歳、長女9歳、長男7歳、次男3歳
家新築入居も落ち着き、長女は小学4年生、長男は同2年生となり、
次男は幼稚園に通い始めた昭和58年度の山行は
32回、49日と回数日数とも大きく増加しました。

念願の屋久島に向かいに月に35日は雨が降ると言う豪雨に見舞われ遭難事故も発生していました。天気回復し縦走できました。

No346屋久島(宮之浦岳∼永田岳∼黒味岳∼)と紫尾山 


昭和58年4月29日∼5月4日
T女史と私
4/29 佐世保出発
4/30 屋久島に渡る。白谷雲水峡から白谷山荘入り
5/01 屋久杉を楽しむも豪雨に永田岳分岐直下でビバーク
5/02 出発7:30→永田岳→永田岳分岐9:00→宮之浦岳10:00→翁岳10:40→
   投石岳11:30→投石岩屋12:15→12:25投石湿原13:30→黒味岳分岐
   13:50→黒味岳14:15→黒味岳分岐14:30→花之江河15:00→
   16:00淀川小屋
5/03 屋久杉ランドに下山し湯泊の平内海中温泉へ
5/04 宮之浦港に戻り屋久島とお別れ。帰路、紫尾山に立ち寄る。

2日宮之浦岳・黒味岳縦走し淀川小屋へ

ツェルトから出ると八十八夜前夜の月光が煌々と輝き、永田岳からネマチ岩峰群が黒々と浮かび上がっていた。
こんな上部まで登っていたのかと、得した気分になった。
さあ予定通り動けるとT女史を起こし、朝食の準備をする。
台風一過のように清々しい天気だ。
今日は今回のハイライトのコース、天は私達に味方した。
ザックは重いが気分は晴れ晴れとして出発する。

何分もしないで主稜線に出た。ザックをデポし空身で永田岳に向かう。

ザックデポ地

直ぐ鼻の先の感じだったが、
小1時間かかり永田岳山頂の巨岩の上に立った。

眼下、北西側には直線的に永田川が流れ、下流はまだ雲海の中である。北尾根に目を移すとネマチや障子岳をはじめとした岩峰群は、剣岳八ツ峰を見るようである。

ビバークした尾根を望む
障子岳方面

山頂では遭難事故の話を聞く。
昨日の豪雨の中、
山頂近くで意識朦朧とした単独行者を永田小屋に救助したとの話だ。
永田岳への登山道は低いヤクザサが繁るコースで風を防ぎようがない。
道が隠れ踏み跡も沢山あり、視界不良の際は迷いやすい。

デポ地に戻り、九州最高峰の宮之浦岳を目指した。
山頂は大勢の登山者賑わっていた。
関東関西の人が多い。
彼らの話によると九州の山と言ったら屋久島となるようだ。

宮之浦岳山頂よりこれから進む翁岳、投石岳、黒味岳を望む。
昨日歩いた高塚尾根の上部を望む

山頂からの展望は360度、東に低く横たわる種子島は直ぐ分った。
南西北にと点在する島々は、トカラや口永良部島だろう。
遠く九州本土の開聞岳や桜島までは見えなかった。
ここから先、花之江河までの縦走路は、ピークを避けている。
私はピークハントも目的の一つで翁岳、投石岳、黒味岳にも登ることにして宮之浦岳山頂を出発した。

翁岳は縦走路より踏み跡があり15分も登ると山頂巨岩の基部に達する。

翁岩を見る

巨岩を登るには岩登りの心得があったがいい。
投石岳には踏み跡もなく藪を漕ぐことになる。
ここの山頂にも岩が乗っている。
投石岳を下ると投石の岩屋があり湿原が広がっている。ここで大休止。

投石湿原

ザックの中身を出して、濡れたテントやシュラフ等を乾かした。
ここの景観も素晴らしい。日本庭園がどこまでも続く感じである。
黒味岳はちょっと時間がかかる寄り道だが、十分に価値がある。
今まで登ったピークが一望でき、
眼下には北側に先ほどまで居た投石湿原、
南側には花之江河と主稜線を望むことが出来る。

宮之浦岳を振り返る。右は投石岳
黒味岳山頂より永田岳を望む
眼下に花之江河を見下ろす

屋久島は花崗岩が主であるが、
所々大きな正長石の斑晶があり小石としても落ちている。
日本庭園の締めくくりは花之江河である。
尾瀬の超ミニ版と言ったところだが、思ったより感激しなかった。
ここまで見慣れたせいかもしれない。

花之江河
花之江河から黒味岳を見上げる

ここから湯泊コースを下る予定であったが、淀川コースに入ってしまい戻る気もせず、そのまま下った。

淀川小屋は荒川上流で静かに淀む淀川右岸に建っている。
昨夜は豪雨のせいで定員20名部屋に70名程が泊まったらしい。

水が綺麗な淀川
淀川小屋

永田岳遭難者の話は、この小屋では死亡したと大きくなっていた。

 

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