見出し画像

山登り人生vol163昭和55年度黒髪山系も5回入山

私31歳。奥様31歳、長女6歳、長男4歳、次男1歳
海外登山、岩登り・冬山合宿など遠方での山行が無くなった昭和55年度を振り返えっています。
九州内の山に留まり、
ホームグラウンドの多良・黒髪山系での山行が続きました。

No 283竜門河鹿沢


昭和55年8月24日 4名
予定していた市房山の沢登りが出発日になって行けなくなり
数日忙しくしていたが,
今日は暇を持て余していた。
T先生より誘いがあり10時過ぎから竜門に出掛けた。
二日酔いのO先生、仕事疲れのT先生とご夫人の4人で、
冷たい水に浸かって鋭気を取り戻そうと河鹿沢に入ることになった。

2~3年前は倒木が多かったが、今は流され?すっきりしていた。
上部では藪に悩まされ、最後は10m程の滝で終わった。
直登は難しく左手より巻くが再びイバラに悩まされた。
おまけにT先生は蜂に刺された。
山の家に戻り、会長誕生祝いを予定している洞窟を下見して帰路についた。

No 284竜門ソーメン沢∼銀流沢∼名無沢 

昭和55年9月7日 6名
上有田9:00→英岩手前撤退⇒
竜門→ソーメン沢→銀流沢→名無沢→17:00山の家
阿蘇の前に英岩で身体を慣らそうと出かけたが
雨が降り出し竜門山の家に向かった。
雨が止んだので沢登りだと、ソーメン沢を登り銀流沢を下った。
名無沢にも入って阿蘇に備えた。 

No 286天童岩裏正面フェイス∼ハングルート 

昭和55年9月23日 3名
有田ダム9:30→天童岩裏正面フェイス取付10:30→こうもりテラス12:50→ハングルート→山頂16:00→17:00有田ダム 

T君、滝谷トレで来た時、登れなかったという。
ハングルートを登ろうと誘いがありT女史と3人で出掛けた。
正面フェイスはアブミ登攀である。
3本目のボルトはT君に打ち直してもらう。
ミッテルT女史、初めてのアブミ使用ながらも無難にこなして登った。
こうもりテラスに3人集まったのは13時近かった。
昼食にしたらだらけるし一気にハングルートに取り付いた。
ハングは2m程張り出しており苦労する。
ボルト5本目は、こんなはずではないと諦めかけたが、
どうにか乗っこした。
次は第2テラスまで直上するのだが、
最初の2~3歩がフリーとなり、嫌な箇所である。
アブミは回収できないまま次に任せた。
T君こんなルートは初めてと言いながら登って来た。
それぞれ1時間を要した。
T女史には無理なので、左側フェイスをトップザイルで登ってもらった。
山頂で遅い昼食を済ませて下る時は16時になっていた。

No 290青螺山 

昭和55年12月7日 単独
佐世保8:10(バス490円)⇒札の辻9:00→有田ダム→天童岩→青螺山→大川内山13:00→竜門山の家14:30→蔵宿15:27(バス450円)⇒佐世保

竜門ダムから望む青螺山

月例山行の集合時間に遅れて一人バスに乗った。
天童岩まで急いだが誰もいない。
ルートが違うかと諦め青螺山に向かった。
大川内山に下ると言っていたのを思い出し大川内山バス停まで下ったが、
遂に会うことはできなかった。

大川内山

再び山に入り、青牧峠越えで竜門に登り下った。山の家から車道を蔵宿まで歩き、荷も重く6時間以上も歩き良い訓練になった。

No 296アイゼンワークトレ(八幡谷側壁~象の鼻ルンゼ)

昭和56年2月22日 6名
有田ム9:00→9:20八幡谷(仮称)側壁トレ12:00→象の鼻ルンゼ→
後黒髪山14:30→15:00有田ダム

阿蘇の予定だったが
天気予報が悪く黒髪に変更しアイゼンワークのトレーニングとした。
T女史は初めてのアイゼン、F君も初心者だろう。
八幡谷側壁ではザイルをフィックスして
登り下り横断と2∼3度繰り返して象の鼻ルンゼに移動する。
このルンゼ上部はアイゼンにはもってこい。
着けていない方が苦労する。
ぎこちなかったT女史も慣れて来て今後の練習に期待である。
ルンゼを詰め後黒髪山(当時この名称無し)に登って下山した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?