山登り人生VOL257佐賀福岡県境女岳から羽金山
タイトル写真(ネット借用)のような電波塔(標準時間電波塔)はなかった。
山頂案内板はどんなものだったか写真もなく記憶にも残っていない。
羽金山にはこれ山行以来行ったことがない。
1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿となりました。
私35歳。奥様34歳、長女9歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。
昭和58年度の山行は32回、49日と回数日数とも大きく増加した。
M医師の背振山系全山縦走未踏箇所に付き合った山行でした。。
No372女岳∼羽金山藪道縦走
昭和59年3月4日
M医師理事長、N副会長、Mǹ、K、Yと私
M医師宅7:00⇒野井原(荒谷峠手前)9:40→女岳10:10→荒川峠1:50→13:30P776→上荒川への峠14:20→河童山14:55→羽金山15:20→644m峠15:40→
16:20上無津呂17:30⇒17:50古湯温泉19:00⇒21:00佐世保
2回流れたM医師との約束を実行できた。
参加者も6名と多くなり賑やかである。
荒谷峠手前までは立派な農免道路があり、簡単に取付くことができた。
一日中、雪が舞う日であった。
積雪も20~30cmはある。
女岳までははっきりした路。
これから先は藪が大半、ところどころに路が現れる程度であった。
テープを頼りに歩くが時々ルートを見失う。
2回ほど後戻りしたが、大筋では間違えることもなく羽金山に到着した。
M医師持参の一缶ビールを回し飲みして乾杯。
直ちに下山。羽金山を東に下った所にあるはずの地図上の道を発見できず、一番下のコルから南側へ一目散に下った。
幸いにも木材を測る人に会い、道を見つけることができた。
17時も近かったので、皆ホットする。
上無津呂バス停傍の酒店に入り改めて乾杯。
M医師は念願の縦走ができ、
これで九千部山から十坊山に至る背振山系の全コースが完成し
喜んでおられた。
ここで電話しタクシーを呼び、Mǹさんと私で車を取りに荒谷峠に戻る。3,200円。N副会長、Mǹ、Yは、もう帰ると言う。
残り3人は古湯に廻り汗を流し鯉料理で仕上げとなった。
M医師の県境完走ということで、皆さんに感謝の意を込め
ガソリン代、風呂代、食事代、タクシー代、全て先生の支払いだった。
この女岳には40年後の先月23日に登ってきました。
よっちゃんの山日記No1572で投稿しています。
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