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山登り人生VOL339板山ボルダリング

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。
ブログは、2021年9月1日から投稿をはじめ1,000回連続を超えました。
シリーズ「山登り人生」の投稿は、
2023年3月29日からもう一年経ちました。

38歳頃の山登りです。
62年度の山行は20回・38日入山と前年度とほぼ変わらず、
ビックな山行がなくなり
恒例的行事への参加や九州内での山登りが主体となりました。

昨年秋からはメニエル症候群の症状を発症し、
耳鳴り耳つまり人生が始まり一年目です。

今年のロックフェスティバルは
佐世保担当であり、ボルダが好きなS君を中心に岩場整備が始まりました。

板山でのボルダリングにはこの年5回でかけましたが、
これ以降は出掛けていません。
板山は世知原茶どころです。

ここから県道を離れ茶園の道路に入ります。

No454最初の板山。ボルダリング(安全祈願)


写真なく5回の板山を一括纏めました。
昭和63年1月9∼10日 8名 
9日キャンパー18:00⇒19:00板山
10日ボルダー会場整備、3本登る。 帰宅14:30
夕方からS君が執念で見つけたボルダーゲレンデの開山祝のため出発。
寒い日暮れ。私とM、F海産物屋の3名が先着し、
その後、T先生とSが到着。
12時頃まで酒宴。
10日は雪がチラつく寒い一日であった。

ゲレンデ周辺の立木を切ったりして整備する。
世知原のMさんがチェンソーを持って来たので威力百倍。
午前中で大方終わり、T先生宮司による安全祈願を済ませた。

まだメニエルのフラフラが残っており、ボルダーはかじる程度。
昼からは日当りも良くなり3本登った。
一日中のボルダーは飽きが来るもので早めに帰宅した。
※1月8日国見高校サッカー優勝

No456二度目の板山。息子と出掛ける。 

昭和63年2月11日 F、次男と私
次男と二人、板山へ。誰もいなかったが間もなくF君がやって来た。11:00~14:00頃まで遊んで帰宅する。
早いのでソフト練習に顔を出したが、またまた耳の詰まりが酷くなった。
ここ暫くは調子が良かったが、困ったものである。

No459三度目はジョギング大会のあと、息子等と板山へ。

昭和63年2月28日
S、T、F、長男と友達大野君と私
ジョギングフェスティバルin佐々。
宗兄弟の講演を聞き、一緒に走る。
長男のベストタイムが出たが23位。
この後板山に出かけ、
長男と友達大野君を登らせていたら、長男が頭を打って出血。
早々に帰る。親の不注意。

ルート図が何枚かありますが、記憶なしです。

No471最終整備へ板山ボルダリングゲレンデ

昭和63年9月11日 多数  
JRAL支部大会、少年ソフト光武杯、SAC板山整備、次男プール練習、海自音楽会と予定が重なったが、雨が降ったりなどで流れてしまい、
結局は昼から板山13:00~16:00に向った。

No473第3回ロックフェスティバル㏌板山 

昭和63年9月25日 
Y会長、M医師他多数
8時前に板山着。フェスティバル10:00~14:00で開催された。
前夜の天気では今日は中止と思われたが強行された。
前夜祭は中止。参加20名、応援30名程度。
岩の前で焚き火して岩肌を乾かしたり、ウェスで拭いたりして10時の開会に備えた。
今回の大会に当たってはSを筆頭にFとT先生夫妻の下準備がなければ成功しなかった。
参加者も気になったが長崎、諫早から
地元もSSK、市役所と集まり成功した。
閉会してから雨が降り出す。
T先生宅車を置いて、世知原M宅に飲みに行く。
皆さん車だったので、
集まったのは10名程で板山での取り組みを肴に盛り上がった。

世知原の山間

※木村家遺族より山関係図書の寄贈があった。


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