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山登り人生VOL357マッキンレートレ始まるも

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め、
このシリーズ「山登り人生」は一年経ちました。

39歳頃の山登りです。
昭和63年度はメニエル症候群を発症した中ですが
会では創立35周年事業「九州58座踏破計画」で大いに盛り上がり、
来年のマッキンレー遠征計画も動き出し

7月からはトレーニングが始まり参加していましたが、
大きな転機を迎えます。

No472マッキンレートレ二回目(黒髪山系)

昭和63年9月17~18日 6名 
17日竜門キャンプ場
この日ソウルオリンピック始まる。東西が参加するのは16年振り。
18日出発7:30→自然歩道→瀬戸の滝下→越の峠9:30→牧ノ山11:40→青螺山13:40→12:30見返峠13:10→14:00竜門⇒16:00帰宅・少年ソフト監督宅

17日竜門では
市役所山岳部沖田君のヨーロッパ山行の報告会があっており合流した。
マッキンレートレも参加希望者全員が揃った。
川脇さん土産のウィスキーで良い気持ちになりすぎた。

18日朝は二日酔いで朝食も喉を通らない。
てき面ボッカにも影響して苦しい訓練となった。
自然歩道から牧ノ山を北側に廻り込み25㎏のボッカ。

K君はバテて青牧峠より下山する。
残りのメンバーも見返峠まで来るともういいだろうと竜門に下った。
自宅でのんびりしていると小田監督より誘いの電話で、
少年ソフト試合の反省会に参加する。

この後、ロックフェスティバルの準備、県民体育大会準備、市民体育大会チャレンジ登山とマッキンレートレから暫く離れ
三回目は多良山系に出掛けます。

No478マッキンレートレ三度目(多良山系)

昭和63年10月29∼30日 5名 
29日佐世保17:00⇒18:30小嶽小屋
30日出発9:00→岩屋越11:25→釜伏山12:30→経ケ岳15:00→中山越16:00→
  黒木17:15⇒19:00峰宅

29日土曜日は休みだったが振替出勤する。
10時上司が所長室から戻り異動内示を受けた。
「抜擢だよ。」と言われる。
佐世保駅周辺都市開発推進本部へ異動であった。
港埋め立てによるポートルネッサンス21計画、
国鉄跡地の再開発「レインボープロジェクト」、
中心商店街の活性化事業
西九州自動車道の市街地乗入れなど都市開発が動き出そうとしていた。

今の職場は7年7ケ月在籍し最古参であったが、
プロジェクトチームに異動するとは、
「マッキンレーが夢と消える。」と予感した瞬間である。
心落ち着かないなか、昼からソフトの練習に顔を出した後、黒木へ。

30日トレーニングしながらも大きく変わる職場環境を考えていた。
長年続けていた会報(毎月発行)は出来ない。
マッキンレーも無理だろう。

12年間毎月編集担当で会報を発行。最後の144号山なみ。

皆からは「まだ時間がある。」と慰めてくれるが、
今までのファイトはダウンしてしまった。
アイゼンを着け3名・2名でアンザイレンしての25kgボッカ。
こんなスタイルでは登山者が少ないコースをと
「岩屋越~経ケ岳」を歩くことにした。

岩屋越
経ヶ岳から縦走路を振り返る。

8時間行動で黒髪よりやりがいがある。

帰宅途中、峰さんの新築宅を訪ね食事をご馳走になる。

マッキンレートレは年末年始の富士山合宿までは参加しました。





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