山登り人生vol41退却の九重白口谷
23歳目前、地元山岳会に入会して3年目。
雪による退却。ワカンを持参しなかったのが失敗でした。
N大先輩やI女史とのエピソード、H先輩との思い出、ビール好きなYSさん、心配掛けたY会長やT先生等々、記憶に残る山行の一つです。
No78冬山登山(一般募集)九重山系
昭和47年2月10~13日
本隊:Nリーダー、H先輩、S、I女史、N女史(大村山岳会)、私
別隊:Y会長、T先生、ビール好きYSさん
10日 会長宅21:00集合
11日 佐世保駅0:48⇒4:04鳥栖5:38⇒8:10豊後中村8:55⇒9:30牧の戸峠10:00→
沓掛山10:45→西千里入口12:00→久住別れ12:40→久住山頂13:15→
天狗ケ城13:55→14:15池の小屋15:00→白口谷15:50退却→16:05池の小屋
17:00→久住別れ17:20→北千里中間点17:50→18:25法華院
別隊:登山口9:30→雨ケ池→14:43法華院
12日 出発8:30→大戸越10:00→11:10平冶岳11:45→大戸越12:15→
12:40坊がつる13:05→大船山頂14:45→坊がつる15:20→15:30BC
別隊:BC8:40→大戸越11:40→12:10平冶岳12:40→14:20BC
13日 BC8:30→雨ケ池→10:20長者原
別隊:BC8:20→雨ケ池→11:10長者原
10日佐世保出発・一般応募なし。
募集するも一般の応募なく大村山岳会からN女史のみ。
21時全員会長宅に集合し荷造りにかかる。
前日、法華院に電話したところ雪深いとのことだったが
ワカンは置いて行く。
会長はラッセリングの付いているストックを準備された。
出発まで会長宅でビールと鮨をご馳走になり、早々にアルコールの洗礼を受ける。
11日久住山登頂、白口谷敗退。
豊後中村からのバスは、長者原までしか運行しないと言う。
予定変更止む無しと向かったが、結局、牧ノ戸峠まで運行された。
別隊は長者原から雨ケ池経由で法華院へと向かった。
九重連山は、先日の台湾坊主の通過で白一色の銀世界となっていた。
大山合宿以来の雪に皆心は弾んでいる。
久し振りの雪との対面は、晴天に恵まれ気持ちが良い。
全員快調。40~50cmの積雪である。
別隊とのトランシーバー交信は、沓掛山で一度できただけで後はいくらコールしても交信できなかった。気温は0度位である。
雪焼けを気にするH先輩。西千里入口で昼食を済ませる。
星生山はエスケープして久住別れに向かう。
天狗ケ城のコルに荷をデポして空身で久住山頂を往復する。
久住山頂からは雪景色の瀬の本高原を舞台に阿蘇五岳がくっきりと浮かび上がっている。
天狗ケ城の登りになるとトレースはなくなり、最初のラッセルとなった。
膝から腰までのラッセルで天狗ケ城へ。
中岳へのアタックは中止して、コルから池の小屋へエスケープするが、時折腰までのラッセルで苦労する。
視界は益々悪くなり、雪もパラツキ出した。
小屋では湯を沸かし、甘納豆を入れ軽い食事を摂った。
白口谷を目指して小屋を出る時は、ガスってしまい視界は30m程、全く方向が判らなくなった。
コンパスで方向を確認し、ラッセルを始める。
夏道に入ってしまうと腰までのラッセルで、身動きが出来なくなる。
ラッセルを交代して前進する。
時間も気になり白口岳はエスケープ、
真っ直ぐ白口谷を下ることに決定する。
東千里のケルンで別隊と二度目の交信が取れる。
しかし、感度が悪くお互いの現在地を確認した程度であった。
白口谷に入ると直ぐルートを失い下降は難航した。
腰を上回るラッセルで、一時間近くで200~300mしか進めない状態となり、とうとう胸まで埋まるようになった。
オーバーズボンも着用した。結局、這うように進むようになった。
この方が深く潜らないからである。
しかし、視界は利かず夕闇も迫って来た。
この調子では先の見通しが立たない。
大きな岩手前で胸まで落ち込んだとき、退却を決心した。
リーダーも同じらしく同時に出た言葉である。
夏であれば一時間強で法華院に着くコースである。
退却は遠回りになるが、今来たラッセルを頼りに引き返した。
しかし、そのラッセルも消えた場所がある。
小屋に戻ったのは16時を過ぎていた。
小屋を出ると激しい吹雪となっていた。
ヤッケを着用して外に出る。
激しい風雪に追われるように進むがトレースは全て消えている。
振り返ると今出たばかりの小屋も見えない。
御池に落ち込まないよう左側を前進するが、
視界はゼロで完全に迷ってしまった。
暫く時を待った。一瞬視界が回復して、逃さず御池の方に向かった。
ここからは僅かなトレースがあり楽となり北千里へ急いだ。
皮肉にもトランシーバーで連絡が取れたのは
北千里の端まで来てからであった。
退却する時は、まだ全員元気で
一人もブレーキになることもなく乗り切った。
女性一人20kg近くのI女史もバテていただろうが、頑張ってくれた。
連絡がつくとホッとして流石に疲れが出た。
法華院に着いたのは18時半過ぎで、周りは真っ暗になっていた。
温かいコーヒーでY会長、T先生、YS、N達の出迎えを受けて嬉しかった。
今朝、別れたばかりなのに久し振りに会ったような気がした。
別隊のT先生は、連絡がつかず
あまりに遅いので白口谷方面に登ったとのこと。
結局、小屋泊まりとなって荷を降ろした。
退却はしたが、充実した一日であった。
ビール好きのYSさんもおり、たらふくビールを飲んだ。
外に出ると、星が煌々と輝いていた。
12日平治岳・大船山登頂(I女史の報告)
サブザックで行動開始。
平治の登りはトレースなし。頂上一番乗り、見事なラッセル振りだった。我々の後から、沢山の人達が登って来る。何とも言えぬ清清しい気持ちだ。展望も抜群、白い山なみが続く。雄大なる山々をジーっと見つめる。下る頃には、見事な道が出来ている。ここを最初に登ったのだと思うと、心が弾み足も軽くなる。天気も良い。辺り一面真っ白。
“シヤワセダナー”一人だったらこんな感激も味わえなかっただろう。
会の山行に参加したらこそ、この感激も与えられた。
これからも少々の無理は通しても、会の山行に参加したい。
一人でやれない事、山を通じての人間性を高める事などいろんな事を修得したい。
平治の次は大船山、お粗末ながらトップを行かせてもらった。
ゆっくり行っているつもりだが、早いとの注意。
一歩一歩が物凄く大事に思われた。
急な登りになると、どうしても自分が登るだけで精一杯とても良い経験になった。
この二日間で雪にも随分と馴れた。
私が今までやって来たことは、単なる山登りにしか過ぎなかった。
山に対する気持ち、一般的知識、全てのものが皆の足元にも及ばない。
今更ながら恥ずかしいと反省、そして同時に自分が物凄く山に対して近づいた感じがする。
ボッカも岩も沢も、そして雪山も。
これでまた、お嫁に行くのがのびました?
“今度が最後よ”と言って行かせてくれた母上にはすまないと思うが・・・・・・
それだけのものは修得したい。
大事な日々を無駄にはしたくありません。
1年後の3月17日、I女史と結婚しました。
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