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山登り人生vol161三度目の祖母傾縦走

私31歳。奥様30歳、長女6歳、長男4歳、次男7ケ月
海外登山、岩登り・冬山合宿など遠方での山行が無くなった昭和55年度を振り返ります。九州内に止まっていました。一番遠い祖母山系です。

祖母山頂の一等三角点

現在まで祖母山系には24回出掛けており、
祖母傾山縦走は6回となっています。
昭和55年5月の縦走は三回目でした。

一度目は昭和45年10月


No27神原∼祖母山∼九折小屋∼傾山∼三ツ尾∼鉱山跡∼上畑   
「初めての祖母傾縦走」として今年4月23日投稿済です。 

二度目は翌年昭和46年3月に

No43神原∼祖母山∼傾山∼上畑と縦走しています。(投稿せず。)

今回投稿の三度目は9年振り

No279祖母山系縦走 
昭和55年5月2~5日 K、My、若手T君と私

期待の新人T君の報告より投稿します。

2日佐世保22:30⇒3:30神原(井手ノ上公民館)
3日曇りのち雨
 公民館8:15⇒林道8:15→五合目小屋9:30→11:00国観峠11:15→祖母山12:10→ 
 障子岳13:50→16:30尾平越水場(幕営)
4日雨。起床6:00
 出発8:00→本谷山9:30→11:20九折越12:00→13:30豊栄鉱山14:30
 (タクシー4,110円)⇒神原林道16:00⇒18:00阿蘇地獄温泉 
 バンガロー泊5~6人用2,500円

3日神原に着いたのは早朝3時過ぎであった。
渡辺商店手前に登山者のため開放してある公民館にお世話になった。
先客が4∼5人いた。
目を覚ますと、綺麗な公民館で驚いた。
ウドンを食べ共同装備を分担し出発する。
林道途中まで車で行き、暫く歩いて登山道に入った。
登山道は五合目小屋まで立派な階段状の遊歩道となっていた。
小屋を出ると九十九折の急登だ。
喘ぎながら登り詰めて行く。
全身汗が噴き出した頃、国観峠に着いた。
一休みして行動食を摂る。
山頂までひと登り、地元の人だろう沢山の方が下りてくる。
「こんにちは」の挨拶も疲れてくる。
今日は祖母山の山開きだ。広い頂上だが人で一杯だ。
法螺貝の音がしたり、
アマチュア無線のアンテナがあったりと賑やかである。
記念のタオルが配布されていた。

祖母山頂より縦走路を望む。

展望は素晴らしく北に九重、西に阿蘇、南に脊梁、
東には目指す傾山が見える。
風強く身体が冷えてきたので混雑する山頂を後にした。
岩混じりの急斜面を下り、
木梯子二か所を下りて、再び登って本尾根に出たら縦走に移る。
数度の上り下りを繰り返し、スズタケを登り切ると障子岳頂上に出た。
この頃より雨となった。
土呂久への道を見送り古祖母山へ。
山頂では営林署の方が水を分けてくれた。
有難く頂戴する。古祖母の下りアケボノツツジが美しい。

尾平越にはテント数張があり、大村山岳会のパーティーも来ていた。
我々は「もう少し先に水場がある。」とK氏の言葉を信じて更に登るが、
なかなか着かない。
疲れもあって長く感じたが間もなく到着。
テント設営して夕飯の支度をしていると
北松山岳会パーティーがやって来た。
先発メンバーと会えなかったらしい。
K氏献立のデラックスな夕食に満足して眠りについた。
 
4日相変わらず曇っていて霧雨が降っている。
北松山岳会パーティーは合流できたようだ。
先発は尾平に下っていたようだ。
今朝早く登り直して来たとのこと。何故下ったのだろう。
スズタケのトンネルを抜けると三国岩だ。
展望が良い場所だが、視界無し。
本谷山頂を過ぎ笠松山への緩い上り下りが続く。
昼近く九折越に着いた。

2015年頃の九折越小屋

相変わらずガスっている。
傾山には空身で往復との話もでたが、皆さん初めてではなく中止となった。
個人的には今日中に下山して
阿蘇地獄温泉まで移動して温泉に入りたかったのが本音だった。
カンカケ谷経由で豊栄鉱山に下った。
九州一の縦走コースとあって申し分なかった。
沢や岩も面白そうで、次はこちらの方にも挑戦したい。

以上T氏の報告でした。
T氏は私より7歳若く、バリバリの若手として会活動をけん引しました。
その後入会した女性会員と結婚し
夫婦での大崩山や鉾岳でのクライミングは目を見張るものがありました。
その後、指導層との意見に違いがあったのでしょう
会活動から遠のき平成9年度頃に退会となりました。
 
その後、祖母傾縦走には、
平成12年10月、平成23年10月と出掛けており、
六度目平成27年9月に完全縦走を実践しました。

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