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1,115㎞一人歩き四国遍路の旅第3話

平成29年4月10日から歩き始めた四国遍路の旅は5月22日まで43日間。歩き遍路中の宿泊は39泊となりました。

第2話では遍路小屋7泊、公園東屋7泊、道の駅6泊をレポートしました。

第3話では残り19泊をレポートします。

お寺通夜堂など7泊でした。

26日目5月5日 大洲市十夜ケ橋(永徳寺お通夜堂が最初のお寺施設でした1泊目です。この日は西予市の三好ヘンロ小屋を5時35分に出発し1220mの鳥坂隧道を通って大洲市に入りました。札所廻りは無く永徳寺近くのオズの湯で三日ぶりの風呂です。途中、臥竜の湯でも足湯で休憩しました。23.3㎞歩きました。宿泊のお礼にお通夜堂周りの草取りをしました。

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通夜堂

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29日目5月8日 松山市道後温泉51番札所石手寺お通夜堂2泊目です。この日は久万高原町の国民宿舎古岩屋前の東屋を深夜2時40分に出て国道33号線に戻り三坂峠にじわりと登り三坂峠へ。峠から国道を離れ山道へ。タフな下りで松山市に入ります。46番札所浄瑠璃寺、47番札所八坂寺、48番札所西林寺、49番札所浄土寺、50番札所繁多寺と廻り51番札所石手寺のゴールです。39.6㎞、眠らずの遍路で12時間行動疲れました。道後温泉で汗を流しすっきりしたのですが、お通夜堂がとても大きく荒れていて怖くて眠らません。昨夜は職業遍路者?の存在で眠れず、二日続いての恐怖の夜でした。

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30日目5月9日 松山市北端の浅海太子堂あさなみ本堂3泊目です。この日も怖かった石手寺を5時30分には出発し中心街を通り52番札所太山寺へ。53番札所円明寺を過ぎると海岸線に出ました。街並みを離れ一山越えると浅海です。管理者から鍵を借りて本堂に落ち着きました。29.3㎞歩きました。

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31日目5月10日 今治市の仙遊寺通夜堂4泊目です。出発して直ぐ今治市に入ります。海岸線が続きます。瓦焼が有名な町か?そんな街並みや製油所も見慣れない景色でした。星浦海浜公園の眺めも良し。来島ドックの眺めも佐世保市の造船所は一時、この会社に救われました。そしておもてなし。「歩いて遍路は素晴らしい」その健康は先祖様に功徳があったからと諭されました。54番札所延命寺、55番札所南光坊へ。56番札所泰山寺を過ぎると南下して57番札所栄福寺そして山登りとなって58番札所仙遊寺に着きました。30.5㎞歩きました。石手寺と違って綺麗な通夜堂で同宿者が一人いました。お金を出すと宿坊に泊まれますが無料のお通夜堂です。。風呂にも入りゆっくり休めました。翌朝は6時から宿坊利用者と一緒にお勤めです。読経し説教を受けました。

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32日目5月11日 西条市の横峰寺休憩所5泊目です。四日続けてのお寺施設ですが、今夜はお通夜堂のようなものでなくしっかりと部屋作りの休憩所です。ただ畳など床張はなくベンチでの休みとなりました。

17時まで受付しないと利用できないのでしんどい山登りでした。標高745m。なのにこの日のスタートは御坊様の説教を受けて7時10分発と遅れました。59番札所国分寺を過ぎて西条市に入ってからは時間との競争し南下します。石鎚山方面を見ながら松山自動車道を潜ると山登りとなります。

16時40分到着。本堂大師堂へのお参りも無事できました。今日中に納経帳に署名いただかないと明日の出発が7時以降になります。満開のシャクナゲが見事です。33.1㎞歩きました。

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石鎚山遠望

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32日目5月11日 観音寺市の土佛観音院濡れ縁6泊目です。この日は愛媛県→徳島県→香川県入りでした。

愛媛県四国中央市の戸川公園を5時20分出発。65番札所三角寺への標高500mの山登りが始まりです。その後国道192号線標高100mまで下り、国道のだらだらした登りが続き境目トンネルを抜けると徳島県入りです。

徳島自動車道を潜ると遍路最大の標高910m66番札所雲辺寺への登りです。13時雲辺寺到着、お通夜堂に泊まる予定でしたが、工事中で宿泊できず止む無く歩き続けます。

寺近くのロープウェイ利用が多いのですが、自分で決めた基本どおり歩くことにしました。雲辺寺山を経て香川県入りし尾根を下ります。山が終わり車道に出ると途中同行した青年は民宿に泊まると言う。この先は泊まり先の情報もなく途方にくれながら車道を下りました。

28.4㎞歩き16時土佛観音院が見えました。濡れ縁があり水道もありました。ここは泊まれると疲れがどっとでました。途中、食料補充ができず非常食(ラーメン-ビスケット)で夕食をすませた直後、「目に付いたのでおにぎりを持って来た。」と若い親子がもてなしてくれました。焼酎小瓶も添えて。その青年と農業の話をしていると観音院裏のお宅からお嫁さんが鍋ウドンを持って来た。お箸、スプーン、漬物を添えて。私のために作ったものと直ぐ判った。一生忘れられない経験となりました。

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雲辺寺登山口

雲辺寺登り

雲辺寺本堂

山の高さ

土佛観音寺濡れ縁

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39日目5月18日 さぬき市の暮当-当願大明神東屋7泊目です。この日は高松市西端の五色台から街中に下り83番札所一宮寺、中心市街地を抜けて屋島に登り84番札所屋島寺、更に下って五剣山への登りです。ここのケーブルカーも利用せず85番札所八栗寺へ登りました。

さぬき市に入り琴電しど付近交流プラザ休憩所で泊まる予定でしたが、休憩所のようなものはなく更に気合を入れ直します既に30㎞は越えていました。86番札所志度寺でも泊まることができず当てもなく県道3号線を南下します。

日没が気になりはじめた17時、暮当-当願大明神に到着しました。ここに泊まるしかないと腰を落としました。42.3㎞の歩きで四万十町付近での42.4㎞に次いで長い距離を歩きました。

アイスボックスに飲み物がありいただきました。日暮れ前、おじさんが飲み物補充に来られました。遍路で助けられお返しを続けているとのことです。

明日はいよいよ結願の日。納経帳を奪われないようにと注意を受けました。

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善根宿に5泊しました。善意者による宿泊施設で内容は多様です。

3日目4月12日 吉野川市の市営巣鴨温泉善根宿「いやしの舎」で初の善根宿です。この日は二日間お世話になった神宅遍路6時5分に出発。吉野川に沿って西に進み6番札所安楽寺から阿波市に入り7番札所十楽寺、8番札所熊谷寺、9番札所法輪寺、10番切幡寺を廻って南下し吉野川に向かいます。

川を渡ると吉野川市に入り11番札所藤井寺にお参りし、一旦町に戻って「いたしの舎」に入りました。隣の温泉に入り4日振りのお風呂。オランダ人と一緒になりましたが、早々に休みました。26.2㎞歩きました。

明日は四国八十八カ所巡りで一番の難所と言われる11番札所焼山寺への12.5㎞の道(遍路ころがし)が待っています。

熊谷寺

吉野川

藤井寺

焼山寺へのみち

善根宿いやしの舎

夕食

7日目4月16日 阿南市の善根宿「きくや」2泊目です。

この日は勝浦の遍路小屋を夜明け頃5時30分に出発し、標高500mの20番札所鶴林寺に登って那賀川に下って阿南市に入り、標高520m21番札所太龍寺に登り返す「遍路ころがし」です。太龍寺からロープェイが一般的ですが歩きます。

この後、大根峠越えがあって22番札所平等院にはバテバテで到着でした。善根宿探しに苦労して16時に入りました。コンビニが遠く、地元婦人が送ってくれました。シャワーを浴びゆっくり休んでいましたが、利用者が増え窮屈になります。最終的には10名程の利用者でした。

この宿は民間会社の方が開設している宿と聞きました。

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18日目4月27日 中土佐町の善根宿「久礼」3泊目です。11日振りの善根宿。

高知市で合流した長男との遍路は雨のため二晩ともホテルや国民宿舎泊まり。27日朝長男と別れ再び一人歩きへ。国民宿舎土佐から車で送ってもらい9時30分水上遍路(浦の内湾)へ。陸路11kmは船移動でした。10時05分須崎市横浪で上陸して歩き遍路の再スタート。焼坂トンネルを抜けて中土佐町に入り町並み手前に善根宿はありました。個人まりしたおもしろい宿でした。歩いたのは6時間程、22km歩きました。水上遍路、この区間、何故歩かなかったのか?船の魅力に負け少し残念でしたが・・・。

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久礼の善根宿

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33日目5月12日 新居浜市の善根宿「萩尾庵」4泊目です。15日振りの善根宿。

60番横峰寺から夜明け前5時から山下りです。松山自動車道を潜って平地に戻ってきます。61番札所香園寺、62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺、64番札所前神寺を過ぎると新居浜市に入りました。東に東に進む28.5kmの歩きでした。ゆっくり休める宿でした。

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37日目5月16日 宇多津町の善根宿「うだんくら」5泊目です。

三豊町71番札所弥谷寺から山道で善通寺市に入ります。善通寺市はまさに遍路の街です。72番札所曼荼羅寺、73番札所出釈迦寺、74番札所甲山寺、75番札所善通寺、76番札所金倉寺と5カ所の札所がありました。街づくりも善通寺を中心に整備されている感じでした。瀬戸内海方向に進み多度津町に入って77番札所道隆寺、丸亀市をお城を見ながら宇多津町に入ります。本日最後の77番札所郷照寺を廻って直ぐが「うだんくら」でした。23.3㎞の歩き。

「うだんくら」は大阪在住のご夫妻が遍路での接待に感激して終の棲家として移住して提供されている民家です。朝食付きで1,000円の利用料でしたが、ご接待の本質に触れた感じでした。この夜は韓国人、オランダ人、タイ在住の日本人、千葉からのご夫婦に埼玉県の若者7名が宿泊しました。夕食は各自用意したものを一緒に食べ、朝食は宿で準備。お昼のおにぎりまで用意して頂きました。残り三日で結願です。

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観音寺街並み

善根宿うたんぐら

集合写真 編集

残り7泊はバス停内1泊、民宿3泊、ホテル2泊、国民宿舎1泊でした。

4日目4月13日、遍路ころがしの12番札所焼山寺から下っての道の駅が遍路客お断り、夜間利用禁止で近くの神山町民宿明日香に逃げ込みました。

神山温泉民宿

8日目4月17日、美波町の民宿きよ美。23番札所薬王寺を前に夜中の大雨予報で逃げ込みました。

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10日目4月19日、室戸岬に向かう室戸市佐喜浜町のバス停内です。翌朝は3時50分には出発しました。

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15日目4月24日は、翌日長男と合流するため高知市内のビジネスホテル

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16日目4月25日は、高知市内を長男と一緒に遍路するも後半は強い雨となり34番札所種間寺のお通夜堂も断られ春野町のホテルに逃げ込みました。

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17日目4月26日も雨で土佐市の国民宿舎泊まりとなり、長男との遍路は野宿することなく終わりました。翌日長男は一人29番、30番を遍路し帰路につきました。

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27日目5月6日内子町の民宿○〇〇。疲れもあり翌日30km超の歩きに備え泊まりましたが、最悪の宿でした。内子の街並みは綺麗でした。

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レポート纏めに疲れて残り7泊の内容が雑になりました。(涙)

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