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山登り人生vol168侮れない久住山

私31歳。奥様31歳、長女6歳、長男5歳、次男1歳
海外登山、岩登り・冬山合宿など
遠方での山行が無くなった昭和55年度を振り返えっています。
遠くても大分県九重山系です。
軽い気持ちで登るとしっぺ返しを食らいます。
そんな久住行でした。

No292吹雪かれた久住山

昭和56年1月1~4日 5名
1日佐世保17:00⇒24:00長者原
2日出発10:00⇒すがもり小屋12:00→久住分れ→14:00御池石室(幕営)   
3日出発10:00→久住山→御池石室→中岳11:15→11:25御池石室
4日出発6:00→久住別れ→すがもり小屋→8:10長者原10:00⇒18:00佐世保 

大山合宿には参加できず元旦は実家で迎えた。
両家への挨拶を済ませ夕方から久住向けとなった。
豊後中村付近から残雪が出て来て
長者原まであと少しの所で積雪10cm、
車道は凍結しタイヤチェーンが必要となった。
24時長者原着。小雪で冷え込んでいる。車二台、車中泊でお休みとする。
 
2日曇り。持参の弁当で朝食を済ませ出発準備を始めた。
駐車場はツルツル状態で車から出た途端足を取られT女史が転倒した。
後頭部を打撲し大きなコブが出来ている。
車で休ませ様子を診る。
気力を失くしたようだ。
幸いバスが運行していたので一人帰ることになった。

彼女のことを気にしながら10時出発する。
風強く冬山の様相である。すがもり小屋は登山者で満員だった。

2013年1月小屋の跡

行動食を摂り休憩料50円を払って北千里に下る。
風強く腰を曲げ耐風姿勢で下る。
北千里のケルンには助かるが墓標のようにも感じる。

2014年1月の北千里浜

久住別れへのコースはトレースなく視界もなく、
時折深みに身動きがとれなくなる。
ピッケルを刺しながらの上りなった。
久住分れは立っていられない。
久住山は断念し避難小屋石室に向かう。
御池は凍結している。14時石室着。

2014年1月中岳から避難小屋(石室)を見下ろす。

先着パーティーのテントが一張。
16時頃には外で張っていたパーティーがテントが潰れたと入ってきた。
石室内はテント3張で隙間がない。
正月の宴が始まった。
大山メンバーはどうしているだろうか。
外は吹雪でも静かな石室、賑やかな夜となった。

 3日雪。昨日に続いて吹雪。
視界は数十メートルである。一応動くことにした。
久住向け出発するが方向確認が難しい。
ゴーグルは凍り役に立たない。
まつ毛も凍る。目が痛い。
なんとか山頂に立つ。
石室に戻り中岳にも向かう。

2014年1月中岳

最近、九重の最高峰が大船山から中岳に変わったのである。
本日は久住山・中岳で終わった。
僅か1時間半の行動だった。
お隣のテント住人を含め楽しいテント生活となった。

4日4時起床。今日も吹雪で下山となった。
ヘッドランプを点け夜明け前より行動する。
視界はゼロの感じで、ランプの灯りが拡散しルートが判然としない。
何度も立ち止まりルート確認である。
なんとか久住分れに達しひと安心である。
後は吹雪ながらも楽勝モード、
すがもり小屋を通過し8時10分長者原に帰着した。
風呂に入り10時帰路に着くが、
佐世保まで8時間もかかり、山よりも長くウンザリした。  

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