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山登り人生vol19阿蘇スキー行

21歳終盤、元気でした。
九重での冬山合宿の後、皆と別れ阿蘇でスキーです。
別会員が一人車で来て阿蘇駅で合流しスキーを一日楽しみ
翌日は寒波襲来でタイヤチェーンが合わず恐怖の帰路だったようです。
この記録を読んでも全く記憶に残っていません。
阿蘇スキー場がどこにあったかも記憶が定かでなくネットで調べました。

開業して3年目に利用したようです。

No34阿蘇スキー

昭和46年1月2~4日 2名
冬山合宿を終え、Kさんと合流。
3日楽しめたが、4日吹雪でタイタチェーンが合わず恐怖の下山となった。

2日Kさんと合流

14時阿蘇駅に着くと私の車はなかった。
まだだと思ったらKさんが現れた。
佐世保を8時半には出て13時半頃に着いたとのこと。
私の車の調子が悪く自分の車で来たようだ。申し訳ない。
直ぐ草千里近くのスキー場に向かう。
スキー場近くに幕営する。
クレームが心配であったが、水を相談したら気持ち良く分けてくれた。
夕食はおでん。昼もおでんだったのですすまない。
夜10時となり天気図を作成するが、電波状態が悪くよくできなかった。

3日一日スキーで遊ぶ

気温が下がった。坊がつるより寒い。
一晩中、人口雪の製造機音が響き眠れなかった。
スキー客は早くから押しかけて来る。
9時からスキー場に向かう。Kさんに直下降を伝授する。
そのうちパトロールスタッフが初心者にコーチしていたので、お任せした。大山スキーから1年経った今、こんなに上手く滑れるとは思わなかった。
ここでは私でも十分に楽しめた。15時頃まで滑ってテントに戻る。

当時、地元佐世保八天岳でのスキー練習。

4日恐怖の阿蘇からの下山 

4時頃より風雪強くなる。テント張綱が緩んで安心して居られない。
外を覗くと完全に吹雪である。視界は良くない。
テント横は吹き溜まりになっている。
テント紐を張り直し朝食を済ませる。
テント撤収だ。
凍ったテントを車に詰め込む。
エンジンルームも雪だらけだ。
どうにかエンジンは掛り安心するがチェーンが合わない。
窓ガラスも凍っている。
ラジュースを点け暖をとる。
チェーンなしで出発した。
草千里までは上り坂である。最初の坂でスリップしたが何とか乗り越えた。真っ白な世界。最後の右カーブをヒヤヒヤしながらクリアした。
ここから下りだ。時速10kmでも怖い。
大雪となりスキーヤーは喜び上って行く。
チェーン車やスノータイヤ車が快適に上って行く
なんとか事故なく下った。
この寒波は九州全体を襲ったようだ。
帰路の道を迷わないか心配しながら、どうにか瀬高まで来て、柳川で念願のウナドンをいただいた。
ヒーターが効かない冷房車で、佐世保に戻った。
佐世保も大雪。
K宅で私の車にチェーン付け自宅に戻ったが北病院前はアイスバーンで多くの車が横滑りしていた。
奇跡の阿蘇~佐世保間のドライブだった。


  ※ 1月5日 佐藤内閣、最長記録達成。連続2,249日

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