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山登り人生VOL252冬の石鎚縦走退却その2

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿です。
私34歳。奥様34歳、長女9歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。
昭和58年度の山行は32回、49日と回数日数とも大きく増加した。
冬山合宿は富士山と石鎚山が計画され、私は石鎚山に参加した。
その続きの投稿です。

No367石鎚山∼由布岳

昭和58年12月30日~1月2日  
M社長、I、MEと私
12/30(雪)佐世保20:30⇒366km
12/31(曇り山は吹雪) ロープウェイ成就,,  二の鎖小屋付近幕営
01/01(曇り)
   出発7:50→石鎚山天狗岳9:00→9:25キャンプ地11:10(テント撤収)→
   トラバース地点引返す11:50→13:15白石小屋14:10→成就14:40⇒
   ロープウェイ⇒登山口15:00⇒19:30松山20:00(道後温泉入浴)⇒
   21:30八幡浜23:55⇒フェリー6,900円一人1,600円

01/02由布岳登山⇒湯布院(入浴)⇒21:00佐世保

1984年元旦の目覚めは、他パーティーの動きで起こされた。
狭いテントながらも6時過ぎまで寝てしまった。
白石小屋を早朝に出たと思われる軽装の登山者が居るのには驚いた。
こちらは北アルプス並みと思っているのに。
二の鎖小屋も半分埋まっている。
この小屋より弥山まで鎖場の直登ルートがあるのだが、
完全に雪に埋もれ頂上へのルートは右側から巻き道にトレースがあった。
弥山で初詣し、最高峰の天狗岳に向かった。

北壁の威容も乳白色の世界に打ち消され、
石鎚の凄みを感じないまま頂上に立った。

テントに戻り腹ごしらえして撤収、
土小屋に向かうべくトラバース地点に向かった。
トレースがあると勇んで進んだが、それも数メートル、
これはダメと空身で進んだ。
アリ地獄のように埋もれてしまう。
目標物も分らず進行方向が分からない。
過去に雪崩事故も発生しており諦めた。
他の2人パーティーが果敢にアタックしたが、諦め戻って来た。
頂上に立ったものの、
計画の3分の1しか消化しないでの下山は、初めての経験であった。
標高1400m程から雲間を抜け、
初めて瀬戸内の海や石鎚連山の一角を望むことができた。
しかし連山の上空は積乱雲にすっぽり包まれている。

例の白石小屋で大休止、ビールを飲む。
支払いに向かったMEが女将に払ったことから、
感激の対面になったのである。
お蔭で私達もお土産をいただき、宿泊を勧められた。
女将は佐世保出身でMEとは幼馴染、
佐世保合唱団でも一緒に活動していた方でした。
数十年振りの再会でっした。

ここにある石鎚神社は参拝者で賑わっており、
登山道は完全に踏み固められ
靴にわら縄を巻いて登り下りする参拝者が続いた。
ロープウェイもピストン運転でさばいていた。

ロープウェイ駅舎かな?

今回の土小屋から瓶ケ森縦走、
西ノ川への下山計画には無理があったようだ。
地形を熟知していない私達には困難なものになったであろう。
八幡浜からのフェリーで四国を離れたが、
2~3日は予約で一杯、
1日だから良かったものの正月の四国フェリー利用は要注意である。 



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