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山登り人生vol158月例山行で再び久住山

私30歳。奥様30歳、長女5歳、長男4歳、次男0歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
次男も三カ月子守りが忙しくなり、
ビックな山行はできなくなりました。
遠出しても久住ぐらい。
一般の方も案内し久住へ。法華院バンガローの夜は楽しい。
断片的ですが、日記を読み返すと蘇ります。

No277二月月例山行九重山系


昭和55年2月9~11日 
会員11名、一般6名
 
9日会長宅20:10⇒
10日1:30豊後中村駅7:10⇒長者原7:55⇒牧ノ戸峠8:35→沓掛山9:25→
(本隊10名)久住別れ避難小屋11:15→久住山12:05→北千里浜→13:45法華院
(F隊4名)避難小屋11:05→久住山11:35→稲星山12:20→白口谷13:10→
    鉾立峠14:00→14:30法華院  
(T先生ファミリー3名)長者原8:00→すがもり越(休憩料50円)→三俣山往復→
    法華院  全員バンガロー泊

久住山の登り

11日大船山・三俣山・平治岳へ隊行動
(本隊11名)法華院7:20→大船山9:05→10:30法華院11:35→13:15雨ケ池
   14:35→15:00長者原
(F隊3名)法華院7:25→南峰直登コース→三俣山本峰10:00→西峰11:00→
   すがもり越11:50→12:40長者原16:00⇒20:30会長宅
(T先生ファミリー3名)法華院7:20→大戸越→平治岳途中退却引き返し→
    10:30法華院本隊合流し一緒に下山

月例担当U氏の報告より

9日会長宅を車4台で出発。
路面凍結場所もあったがタイヤチェーン着けることもなく
豊後中村駅に到着。
車中や駅舎待合室で休んだが夜明け前には-12度、
寒くて良く眠れない者もいた。

国鉄豊後中村駅舎。ネットより借用

10日駅員の声で起床。
共同装備や食料を分担パッキングしてタイヤチェーン着け出発する。
十三曲がり経由で長者原へ。
すがもり越コースのT先生ファミリーと別れ牧ノ戸峠へ。
快晴で風なく、沓掛山からの展望は素晴らしかった。
縦走路は20~50cmの積雪でよく踏み固められアイゼン・ワカンは不要。
多量の積雪を期待していただけにやや期待外れであった。
久住別れの避難小屋でF隊は先行して久住山に向かった。
本隊は空身で往復する。
頂上は風もなく、ゆっくりと景色を楽しめた。
アマチュア無線のN氏は交信に忙しそう。
14時法華院着。
早目の酒盛りで夜まで食べ物がもつか担当としては心配になった。
17名が飲みながらしゃべると山の夜の情緒もどこへやら。
 
11日大船山頂には雲がかかっていた。
三俣山へのF隊、平治岳へのT隊と大船山往復の本隊に別れて出発。
大船山コースは積雪50cm程。
段原に出ても風弱かったが、流石に山頂近くは強風で身が引き締まった。

法華院に戻り天ぷらウドンで暖を摂り、雨ケ池経由で長者原に戻った。
温泉で汗を流し雪の九重連峰を後にした。

F隊(M社長、Mū、Kと私)の報告

10日先月とうって変わって素晴らしい久住山頂。

日向ぼっこしている登山者多い。
8年前、吹雪と腰以上の積雪で白口谷を下れなかった。
今回も積雪多く、リベンジしようとワカン持参で本隊とは別行動で臨んだ。久住山頂より東へ稲星山・白口岳と廻り込み谷ルートを確認した。
トレースがしっかりとついている。

白口岳より三俣山を望む
白口岳より大船山を望む

興味が半減して鉾立峠に下ることにした。
白口岳山頂直下はクラストしており慎重に下る。
所々深い雪に埋もれながらボチボチ下る。
尻セードで下れる場所もあり、雪の感触を楽しんだ。
寒くもなく、風もなく雪山最高。
 
11日三俣山コースで登っていない直登ルートを登ることにした。
昨夜同行者を求め、この3名で行くことになった。
あせび小屋から取り付いたが
道も細くなり小屋の人から引き止められ引き返した。
坊がつるから雨ケ池越への登りにかかる手前でトレースを確認し、
ここから取り付く。

暫くのラッセルでトレースに合流し、後はこれに従った。
下りの登山者が滑りながら下ってくるのでステップは崩れ、
その跡がクラストして登り辛い。
あっ山頂だの声に騙された後が長かった。
3回の休憩のあと2時間20分で南峰山頂に到着した。

八合目辺りからガスの中であったが、
山頂は流石に風強く、シャツや噛に霧氷が付き始めた。
本峰に立ちすがもり越へ下るがルートがはっきりしない。
何度か立止まる。
一瞬ガスが切れ眼下には長者原方面が見えた。
コースを間違えていた。何とか西峰に辿り着いた。
ここからがまた大変。夏道は完全に埋まっている。
眼下に見えるすがもり越を目指したが、
腰以上のラッセルで大変な目にあった。
Mūは途中アイゼンが外れていることに気づいたが、
既に遅し諦めて下ることにした。
どうにかすがもり越についた。
小屋でビールを飲み一息入れ、長者原に下った。
本隊はまだ到着していない。

平成25年2月時のすがもり越からの下り


 
 
 


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