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山登り人生VOL283子連れが続きます。轟峡境川遡行

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。

私36歳。奥様35歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

16年間の山登りで400回目の山行でした。
Y会長の県岳連会長退任慰労会でしたが・・・

No400富川渓谷∼轟峡境川遡行∼御船山ボルダー

昭和60年7月20∼21日
会員16名、次男と私
田中新県岳連会長、諫早山岳会浦川会長ほか多数、長崎登高会他多数

Y会長の県岳連会長退任慰労会の予定であったが、
本人不参加となり中止との案もあったが、
県岳連理事会や登山教室もあり、予定とおり実行となった。
諫早山岳会の富川小屋に初めてお世話になったが、立派な山小屋です。
県岳連の理事会が18時過ぎまであって、
その後、ボツボツと他のメンバーが集まりだした。
諫早とSACが主であったが、
田中県岳連会長も参加され夜遅くまで交流の場が続きました。
一番多いときは40名ほど居たのでないか。
私は先に寝てしまい、夜中起きると次男がいない。
真っ暗で探し出せなく心配しながらも寝てしまった。
玄関口で寝ていたようだ。
今考えると無責任親だ。何事もなく良かった。

 朝からSAC会員は、轟峡に移動して境川を遡行して楽しんだ。
土曜日の大雨のせいか、沢水は冷たい。
次男と私は渓流沿いに歩き、時には沢に入り、
二度ほどスリップしてヒヤリとする場面もあったが
元気に頑張り渓流遊びを楽しんだ。
沢が終わり、SとMと私と息子四名は、
御船山楽園に向いボルダーを楽しんだ。

このような大岩が楽園内にありボルダを楽しむ。

 

 

 

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