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山登り人生vol155二度目の観音谷(仮称)奥壁と次男誕生

私30歳。奥様30歳、長女5歳、長男3歳、次男0歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
次男の誕生を目前に二度目の観音谷奥壁を登りました。
これまでこの2回で終わっています。

この振り返りの山登り人生投稿は、特徴的なものをと考えています。
今回の投稿はいたって普通な山行でしたが、
28日に次男が誕生したこと、
その日に木曾御嶽山が初噴火(その後2014年大噴火)したことを
記述しており投稿してみました。

No274黒髪山系観音谷(仮称)奥壁


昭和54年10月14日 6名
奥壁10:00~16:00
久し振りに岩登りに行こうと盛り上がり
岩屋か天童岩かと話はでたが観音谷に落着、有田に向かった。
この岩場は今年1月21日に初めて来た場所である。
この日と同じ左岩壁、右岩壁の2本のルートを登った。
6名が同じルートを登るので、一日たっぷり費やしての山行でした。
グレードⅢ級前後。
これだけの記述にとどまっています。

有田ダム奥の観音谷奥壁

一回目は9月11日に投稿済。

数年前から後黒髪山東峰からマイセンの森に下るルートが
SNSで広がっています。
登山者も多くなり道迷いでの事故が増えたようです。
下る際に間違えるとこの岩壁帯に行手を阻まれるのです。
地元ではルート整備や遭難者の捜索活動に協力されています。 

次男誕生

次男は元気よく4,180gもの体重で10月28日誕生しました。
予定日は1週間も遅れ奥様は大変でしたでしょう。

誕生二日目

木曾御嶽山が初噴火

昭和54年(1979年)10月28日、有史以来の水蒸気噴火が起こりました。
当初は爆発音もなく白い噴煙が小さく出ていただけでしたが、
噴火活動の約3時間後から、灰色~暗灰色の噴煙が激しく立ち昇りました。
9時間を経過すると、噴火活動は極大期を迎え、
火山岩塊が剣ヶ峰周辺に落下し
山頂神社や山小屋に甚大な被害を及ぼしました。
また、火山灰は火口から北東の旧開田村・三岳村で降灰し、
また約100km離れた長野県上田市・軽井沢町や約150km離れた前橋市まで達しました。
噴火の前兆としては、同年夏頃から三ノ池の水が濁り、硫黄臭さかったようです。(ネット情報を転写)

平成7年5月バック木曽御岳山

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