無題

特にタイトルやテーマを決めずになんとなく書き出してみた。

悪くいえば頭でっかち、いい感じにいうと考えることが好きな私は時折どうにかして脳みその中身を吐き出さないと、なんとなくずっとモヤモヤする。

それは時として、友達との電話や1人だけフォローしているTwitter、そしてNOTEを通して体外に出していく。基本、親も含めて人からどう思われるかを潜在的に気にする愚かな私なので、この場所が1番本音に近いかなと思う。

だけど最近、他人と比べるのではなく過去の自分と比べようと努力をしている。自分が息苦しくなるときはいつも、うまくいっているように見える他者の情報が自分の中に入ってきたときだ。これは、人の目を気にする、とはまた別軸の自分の弱さだけれど、数多ある自分の愚か要素が一つでも軽減されたらそれだけで少しは自分を肯定的に捉えられるようになるかもな、なんて思っている。

うまくいっているように見える人、才能に満ち溢れているように見える人だって、最初はきっと苦労したし、見えないところで努力も挫折も死ぬほど経験している。そんなことはわかっていても、ふとした時に自分が惨めになり、最短ルートでそんな感じになれる方法を探そうとする。小さい時からずっとそうだ。
振り返ってみれば、たいしたことではないけれど自分も努力を重ねて掴んできたことが少しはある。ガリガリだからという理由で長距離選手になってしまった陸上部時代も、毎日コツコツ筋トレしたら腹筋は6つに割れたし、母校初の駅伝県大会に出場したりした。誰しもが無理だと思っていた第一志望大への合格だって現役でできた。苦手だった前職の業務内容だって、先輩からたくさん学んで、なんだかんだいい感じの成績だったりもした。それでもなお、自分を認められなかった。全部たまたまで運だと思った、ちょっと学歴厨になって終わったくらいだ、愚かである。

でも、一念発起で仕事をやめてオーストラリアにきたことは結構自信になった、気がする。人生ではじめて、100自分の意思で決めたことだったから。中高大、社会人と勝手に「普通」のルートに乗って、常に親の期待を気にしながら生きてきた自分にとっては、超大きな一歩だ。振り返ってみればオーストラリアで大変なこともあったけど、自分で決めてきたことだから、という事実がその後ろ盾が、私を大いに支えてくれた。

日本食や友人が恋しいと思うことは数えきれないほどあったけど、帰りたくて仕方ないとか挫折でボロボロになったとか、そんなことは一度もなかったと思う。

この決断をする前から、どこか個人主義の側面が強いと思っていたけど、それがはっきりとしたと思う。自分の人生は自分で決めるし、自分が責任を取るということ、そこにこだわることで私はもっと自分をちょっとずつ好きになれる気がしてきている。

自分ウケファースト、をかれこれ4年前からスローガンに掲げてきたけれど、やっと体現できていると思う。

忘れてしまいがちだから、何度だって自分に言い聞かせているけれど、他人からの関心なんて一瞬で、私のためかのように言ってくれる言葉だって、自己陶酔からきていることもあるし、なんとなくで言ってくる人だっている。自分がどう思うか、自分が自分の味方でいられるかどうか、ここが大事だ。

そしてそれと同じように、私も他人を気にする必要はない。誰も求めてなどいないのだ。数少ない大切な友達が困っていたら手を差し伸べられる余裕があれば十分だ。意見だって述べる必要がない。人が何してようが、私にはなんの関係もないのだ。勝手にやっていたらいいし、いいなと思う部分だけちょっとだけ取り入れたらいい。

苦手だと思ったら、距離を置く。モノもヒトも。
綺麗事じゃなくて、そんなものに時間と脳を費やすほど人生は長くないなと強く思う。
そんな暇はないし、私はもっと私のために時間と人生を使うのだ。

やっと自分の人生を生きられているような気がする。
今が1番楽しくて、充実していて、生きている感じがする。

Twitterで見たけど、去年の悩みなんて覚えていないウジウジしている暇はない。
金を稼ぎ、好きなことをする、外野は気にしないし、私が正しい、好きだと思うことをやるんだ。

そして親が投資してくれた分を、仕事や創作といった形で還元する。
軽い言葉になるけど、わたしはなんだってできるし、やるべき。

まだまだ自信をなくしたり、落ち込んだり、人と比べて卑屈になることがあるかもしれないけど、どんな時も自分とちゃんと向き合って、しっかり生きていきたい。

人生にワクワクしている、ワクワクズンズン丸だ、

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