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碓氷熊野神社(群馬県安中市)

 碓氷神社(別稿)を分祀したという、そのご本社が上信国境にあるこの神社。

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 同じ町内(松井田町)にあるというから向かってみた。旧中山道で峠道をいけば信州に入る直前に位置するはずだが、ナビによれば、国道18号をいちど軽井沢に入り、山道を戻ってくる、というルートになるらしい。

 軽井沢駅前の繁華街を東北方向へ抜け、別荘地を経て、これぞ山道というような細い道へと突入。5~6分も登ったころ、ちょっとした峠の頂きのあたりに到着。まず右側に茶店、その対面に神社が現れる。

県境に立つ古社

 神社前には、古い国境を示す石碑があり、左右の灯籠を抜けて鳥居をくぐると、石段下に苔にくるまれた可愛らしい狛犬が。室町中期の作だとかで、もう目鼻は削れて丸みを帯び、一見、爬虫類にも怪獣にもみえるが、きちんと阿像・吽像が形取られている。

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 急な石段を上がると、正面には「熊野皇大神」の掲額がある。こここまではいたって普通の光景だ。

山門のさきに異様な光景が…

 それが山門をくぐった当たりから異様な光景が広がる。
 まず足元に県境標がはめ込まれている。その先、すべて右側が群馬県、左側が長野県というわけだ。当然、山門受付も2つある。

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 山門を抜けた正面には神社名を示す石碑が2つ。本殿は1つでも、賽銭箱は2つ。左右に社務所も1つずつある。もちろん宮司も2人いるそうだ。

分断の歴史

 もともとは長野側にあったものが、社地が広がって上信国境を含むことになったため、参道と本宮の中央で社地を2つに割って、便宜上国境としたらしい。やがて江戸末期に、それまで皇大神社、碓氷神社、熊野大権現などと呼ばれていた呼称を「熊野皇大神社」に改称したという。

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 その後、昭和に入って、群馬県側に熊野神社ができたとあるが、その経緯がなんとも不可解だ。何か、群馬側と長野側で諍いが起きたとも考えられるが、由緒書きではそのへんには一切ふれられていない。

 ただし上信間で紛争があったのは間違いなく、江戸初期には「無断で国境を越えて小屋を設けた」などという争いもあり、分断の歴史は確かにあったようだ。

 そして戦後、宗教法人法が制定され、都道府県ごとに宗教法人の登記が必要となったために、長野県側が「熊野皇大神社」、群馬県側が「熊野神社」という名称で、あらたに宗教法人となったのだそうだ。

いまも犬猿の仲なのか!?

 社地が分断されているだけでなく、それぞれの神社の見せ方も、上信双方の主張が激しい。御祭神も上信で別々なら、その由緒書きも二通りある。ご神木「科の木」は長野側だし、県重要文化財に指定されているという釣鐘は群馬側と、とにかくすべてに「群馬側」「長野側」と分かる表示がたてられているのだ。

ご神木と鐘

 現在は合同で例大祭をおこない、互いに配慮がなされているという。また、本宮や脇宮、境内末社など、それぞれに古さと風情を楽しませてくれるアイテムはすくなくないのだが、なにせ分断の歴史が露骨にみえてしまい、ある意味興ざめしてしまう部分があるのは否めない…。

 さて、どんなものだろうか。


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