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開幕連勝記録とセントルイス・マルーンズ

2023年開幕から破竹の勢いで連勝街道を邁進したタンパベイ・レイズの連勝記録が13で途絶えた。

MLBで開幕から13連勝は、1982年のアトランタ・ブレーブスと1987年のミルウォーキー・ブルワーズに並ぶ記録である。
この開幕連勝記録は日本の報道でも一般的に「史上最長タイ」と紹介されている。

しかし記事をよく読むと注釈めいた書き方をしていることに気付くだろうか。

快進撃を続けるレイズが逆転勝ちを収め、開幕以来、無傷の13連勝を飾った。近代野球では、82年のブレーブス、87年ブルワーズのメジャー最長記録に並んだ。

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202304140000039.html

MLBの歴史を深掘りすると必ず現れる「近代野球」という用語。その謎を解明するため、我々調査隊はミシシッピの奥地へと向かった。

「近代野球」の定義は様々である。

ここでその定義を説明するのは本題から逸れるため避けるが、一般的にはMLBがナショナル・リーグとアメリカン・リーグの2つに分かれた1901年以降とすることが多い。ちょうど20世紀が始まってからなので覚えやすい。
その他にもマウンドと本塁の間が現行の60フィート6インチになり、野球の大きなルール変更が終わったとされる1893年以降とする意見もある。

ともかくそんな「近代野球」が成立する前へ遡ると、開幕連勝記録は一気に20まで伸びることになる。それが1884年のセントルイス・マルーンズ(St. Louis Maroons)が記録した開幕20連勝である。

ミシシッピ川を奥地へと向かう途中で見つけたセントルイス・マルーンズというチームを知るMLBファンはごく少数だろう。
現在セントルイスをフランチャイズとするカージナルスとは一切関係の無い別のチームである。

19世紀アメリカでは現在まで残るナショナル・リーグの他にも様々なリーグが誕生しては消えていった。
その有象無象のプロ野球リーグの一つとしてユニオン・アソシエーション(Union Association)がある。このリーグは1884年の1年間だけ開催されたのだが、セントルイス・マルーンズはその初代にして最後のチャンピオンチームであった。

マルーンズは開幕から20連勝を記録し、最終的に94勝19敗(勝率.832)でシーズンを終えた。2位のミルウォーキー・ブルワーズ(現在の同名チームとは別)とのゲーム差はなんと35.5。得失点差は脅威の+458だった。

何故そのような格差のあるリーグが生まれたのか。

この順位表を見てもらえば分かる通り、12チーム中100試合以上を戦ったのはマルーンズ含めて5チームだけで、2位のブルワーズはシーズン終盤に他のマイナーリーグから数合わせのため加入したため、わずか12試合しか試合をしていない。

Screenshot via baseball-reference

ユニオン・アソシエーションはヘンリー・ルーカス(Henry Lucas)という億万長者の実業家によって創設され、マルーンズはルーカスがオーナーとなったチームである。
リーグに参加したチームは既存のナショナル・リーグや、そのライバルであったアメリカン・アソシエーション(American Association)から選手をかき集めたが、まともな選手を獲得できたのは資金力のあるマルーンズだけだった。

同じリーグのライバルチームは敵でありつつも、共存し続けられる力関係でなければリーグは存続できない。そのために勢力均衡のためのドラフト制度があったり、贅沢税があったりするのだ。ルーカスはそれを理解できていなかった。

このような勢力不均衡のリーグが長続きするはずもなく、わずか1年でリーグは解散し、セントルイス・マルーンズだけが既存のナショナル・リーグへ移籍することになった。

しかしナショナル・リーグへ移籍したのも束の間、移籍初年度の1885年はリーグ最下位に沈み、2年目の1886年も8チーム中6位と低迷したため、オーナーのルーカスはチームを売却。インディアナポリスへと移転し、チーム名もフージャーズ(Hoosiers)と変えたが、そのフージャーズもわずか3年で解散の憂き目に遭う。

ルーカスがセントルイス・マルーンズを手放したのはチームの低迷だけが理由ではない。
当時ナショナル・リーグと並び立つアメリカン・アソシエーションには、同じセントルイスをファランチャイズとするブラウンズ(Browns)が強豪として急成長していた。このブラウンズが現在のカージナルスである。
チャールズ・コミスキー(Charles Comiskey)が選手兼任監督として率いたブラウンズは、マルーンズがナショナル・リーグに移籍した1885年から4年連続でリーグ制覇を果たした。
別リーグのブラウンズにセントルイス市民の人気を奪われてしまったわけだ。

これでMLBの歴史に名を刻む“最強のチーム”セントルイス・マルーンズをめぐる物語に幕を閉じよう。

しかしその前に一つだけ注釈が必要だ。
実はマルーンズが首位を独走したユニオン・アソシエーションは長らく歴史の闇に葬り去られていて、この短命のリーグがメジャーリーグの記録として認定されたのは1968〜69年に開催された「特別野球記録委員会」でのことであった。
すなわちそれ以前は開幕20連勝という記録は一部の好事家の間で語られていたに過ぎず、19世紀後半に存在したマイナーリーグのマニアックな記録として認識されていたわけだ。

では1967年以前の開幕連勝記録とは?という疑問が湧いてくる。
マルーンズが開幕から連勝街道をひた走っていた1884年、ナショナル・リーグではニューヨーク・ゴッサムズ(New York Gothams、現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)が開幕から12連勝という記録を打ち立てている。
何と別のリーグで開幕連勝記録が生まれていたのだ。

1884年はつくづく特異なシーズンであったと言える。

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