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  ありのままの半年間in津和野

こんにちは。突然ですが僕、小野寺柊太郎は2021年の四月から九月中旬まで島根県立津和野高校にて地域みらい留学365という制度を用いて留学を行っていました。ここに自分の留学に関わってくださった全ての方々への感謝の思いのもと、この半年間のありのままの自分を書き綴っていこうと思います。感じたものを忘れないうちに、半年間をただの「思い出」として風化させないために早いうちに綴っておきたいという一種の自己満足で時間に余裕がない時分に書いております。初投稿も相まって稚拙な文章構成、誤字脱字が多くなってしまうこと、大目に見ていただけると幸いです。

1.津和野高校について

1クラス20名程度1学年3クラス全校およそ250名程度の人口7000人の町にある高校としては大きな学校だと思います。地域みらい留学制度を利用して県外から来ている生徒が三割ほど在籍し博多弁に出雲弁、関西弁など様々な方言が飛び交うほどにそれぞれの出身地域がバラバラでした。総合的な探求の時間にマイプロジェクトなど勉強以外の学びに力を入れられていましたが自分はあまりこれらを行わなかったので割愛させていただきます。

2.部活動について

グローカルラボという地域系の部活動に所属していました。部員数が30を超える、学校の生徒数に比べるとかなり大規模な部活動です。県外生が多く所属し実に個性的な部員たちで構成されていますが仲の良さが自慢の部活動だったと思います。この部活動を通して得た経験によって充実した半年間を過ごせたといっても過言ではないほどに留学中の自分にとって大きな存在でした。

3.津和野町について

       (太皷谷稲成神社)


人口7000名ほど、自分が東京で所属している学校七個分ほどの小さな町ですが非常に歴史ある町、景観の豊かな町でかの文豪森鴎外の出身地としても有名な観光地です。人と人との距離が近くすれ違った方々は必ずといっていいほど挨拶をしてくださりましたし自分もそれを見習って積極的に挨拶を返していました。少し立ち寄ったお店で初対面の店主のおばちゃんの世間話に三十分以上付き合ったこともあります。(笑)

4.印象的な出来事

ここからは一か月ごとに一つ自分の中で印象にのこっていることを挙げてそれについて書いていこうと思います。

4月

       (ステーキ屋さん)

津和野に来たばかりで町の景色、学校生活、出会う人々すべてが新鮮でせわしなく日々が過ぎていき東京で過ごす日々に退屈していた自分にはとてもそれが魅力的で好奇心が刺激され、「キラキラした人」になれていたと思います。津和野の町を知るため、津和野高校の生徒との交流を深めるために行った「まちあるき」、初めての部活動や部活動の所有する畑でジャガイモを埋めたこと、一年生の歓迎会、初めて出会う方々とのお話、初めて尽くしでしたが一番印象に残っているのは同じ下宿の友達と二人で急な斜面の山道を自転車を押しながら登り山の上のステーキ屋さんでステーキ丼を食べたことです。山の上からの景色は絶景で知らぬ土地での新たな生活への期待感を膨らませてくれましたし、言わずもがな、汗をかいた後のステーキは絶品でした。これらすべてが津和野での刺激的な日々を予感させたこと、また同じ下宿で共同生活をしていく同級生との仲が深まったことからやはり僕にとって忘れられない経験となりました。

5月

        (田植えの衣装)


津和野での生活に若干慣れ始め学校生活、部活動でのふるまい方や友達付き合いさらにはここからの一年間具体的にどうしていくかのビジョンについて向き合う余裕ができ始めた時期だったと思います。そんな5月僕が印象に残っているのはゴールデンウィークでの出来事です。といっても一つに絞るのはなかなか難しく、初めて部活動として外部のイベントに参加した新茶まつりでのボランティアに後にも記述するように半年間部活動のOBの鈴木元太さんと初めて会い一緒に温泉に行ったこと、尊敬する部活動のOB、2代目部長の百瀬さんのお話を聞かせてもらったことなどゴールデンウィークは書きたいことが沢山あります。ですが強いて一つに絞るなら太鼓谷稲荷神社さんのお手伝いとして参加した田植え祭ですかね。雨の中行ったことによるしんどさもそうでしたが田植えをする前の儀式や田植え中のお巫女さんの舞い、太鼓の音すべてが今までの東京都の生活とのギャップを感じさせ未知の土地にいるという自覚を改めて抱いた記憶があります。少ないメンバーで行ったこともあり来ていた部活仲間との仲も一層深まった出来事であったこと     もありこれもまた忘れられぬ経験となりました。     

6月上旬

   (竹飯盒で炊いたご飯を食べている自分)


家族以外との共同生活、今まで出会ってきたメンバーとも全く違う個性を持った同級生たちとの学校生活、初めてのことばかりの部活動など様々なことになじみ始め充実した一年間を過ごすために具体的なことに挑戦し始めた時期なので話したいことが絞り切れないため上旬と下旬に分けて書くことにします。上旬だけでも山の上で哲学対話を大学生と一緒にしたり、下宿に友達を集めてタコパをしたりと書きたいことが沢山ありますが、一番印象に残っているのは先にも挙げた鈴木元太さん、HAN-KOHスタッフの大学生、部活仲間の3人と一緒に行った竹飯盒です。部活仲間と3人で竹をとるところから始め竹飯盒が行えるようにとった竹を節のところで切ったり、その間に残りのメンバーがカレーを作ったりと全部で5時間以上かけて行いましたが疲れた分美味しく感じました。食べるころには8時を回っていてすぐそこに竹林があるような山の中だったので周りに街灯なんて一つもなく見上げるとまさに満天の星空が広がっていたことを覚えています。まだ春と夏の狭間のような時期でしたが食後にやった手持ち花火は非日常を感じさせ一層綺麗に見えました。ですが、これは忘れられぬ「思い出」かもしれません。

6月下旬

       (畑迫で見たホタル)


6月下旬、一番印象に残っているのは津和野町の中心からおよそ6kmほど離れた畑迫地域でのホタル観賞です。津和野町のコワーキングスペースのスタッフさんがきっかけで知り合った畑迫の公民館の方に地元の方しか知らないというホタルの生息地に案内していただきました。周りに街灯などほとんど見当たらない山奥で、天気も良好だったので夜空は満天、聞こえる音は川の流れる音と風が草木を揺らす音ばかり、少し風のある夜だったためこの時期にしては冷涼で環境全てがこれから見るホタルへの期待感を膨らませたことを鮮明に覚えています。ホタルの寿命や写真への写し方など豆知識を公民館の方に教えていただきながら空に広がる星の光、水に映る蛍の光、本命の飛び回る無数のホタルが見せる3種類の光は「綺麗だった」の一言で済ませるにはあまりに不相応でした。今でこそ数万年の寿命を持つ星の光と自分、自分と1週間ほどの寿命しか持たない蛍の成虫との対比がホタルの一生の儚さを加速させ、とか星の手の届かないが故の美しさと蛍の手を届かせないが故の美しさが、とか当時見た景色についての感想を後から考えることはできますが当時、その場で見ていた自分を思い返すと景色があまりに圧巻でぽかんと口を開けるばかり、一緒に行った鈴木元太さんに「どうだった?」と尋ねられ、抱いた感想といえば何とも知れぬ「ワクワク感」のもたらした「童心にかえることができた」程度の内容だったと思います。いまだにうまく言語化できませんがあの時感じた「非日常」は留学で過ごした日々の中でも異質なもので今思い出しても不思議な感覚に陥るほどです。

7月

     (川ゼミinサンマウィーク)


正直この時期は企画していたイベントが挫折してしまったこと、一番仲の良かった友達や休日連れまわしていただいた鈴木元太さんらが東京に帰ってしまったこと、様々な要因からモチベーションが低下し印象に残っていることがあまり多くはありません。しかし夏休みの始まりに参加した小学生のための「サンマウィーク」というイベントにボランティアとして参加したことは留学の中でもtop3に入るほどに印象的な出来事でした。小学生が合計で40人以上参加した僕が参加した中では大規模なイベントで、4日間連続で朝から夕方にかけて全てのプログラムに参加したのですが朝は小学生の宿題を見てあげて、そのあと一緒に鬼ごっこをしたりカードゲームをしてフリータイムを過ごし、午後は設定されたプログラムに沿って一緒にロケット工作をしたり川遊びをしたり科学教室をしてみたりと充実した4日間を過ごしました。楽しくもありましたが小学生の相手をするハードさを思い知らされたイベントでもあります。ですが、自分が小学生だったころを思い起こしてみたり、自分も小学生に戻ったようにふるまってみたり、イベント終わりに「ありがとう、楽しかったよ」なんて言ってくれた小学生に感動したりと若干の泥臭さもあった学びの多い経験となりました。

9月

     (水路で手釣りをした自分)


8月帰省したことにより自覚した勉強の遅れによる焦燥感、聞き書き甲子園の落選、上がらないモチベーション、目的の失踪、迷い、はっきり言って留学辞退を考え始めることとなったきっかけは前向きとは言い難いものばかりです。ですが様々な方に相談したうえで最終的に自分で下した決断であり、後悔は全くないですし後悔の残る選択肢にするつもりも全くありません。帰る直前に通学路の端っこの水路で手釣りをしたことがとても印象的です。半年間の留学を笑顔で終えられたこと、百瀬さんには本当に感謝しています。

5.津和野での日常

留学に行く直前まで懸念していた生活面については不便なこともありましたが下宿の大家さんをはじめとしたさまざまな方のサポートのおかげで快適に過ごすことができました。自炊をする必要もなかったですし強いて大変だったことを挙げるとすれば公営塾HAN-KOHに22時までいた後から洗濯をしなくてはならないときくらいのものでしたがそれも洗濯機を回してる間に同じ下宿の友達と雑談をしたりベランダに椅子を出して音楽を聴きながら星を見上げたりと言葉足らずな表現ですが「なんだかんだ楽しかった」なんて言葉が一番似合うと思います。視野の狭い自分では気づけませんでしたがきっとたくさんの迷惑をかけていたと思います。申し訳ありません。平日は学校に行って部活をしてHAN-KOHに行くみたいな習慣を繰り返すことがほとんどでしたが話す相手がみな個性豊かな人ばかりで退屈することはありませんでした。休日はコワーキングスペースに行ってイベントに参加してみたり、友達と一緒に温泉まで自転車で行ったり、大学生に連れまわしてもらって遊んだり、企画を考えたり、山の上にある太鼓谷稲荷神社で一人自分と向き合ってみたり、小説のプロットを考えてみたりとやはり退屈した記憶はありません。特に6月ごろ友達と一緒に21時過ぎごろ道路のど真ん中を歌いながら自転車で走った時のことを鮮明に覚えています。確かに学習レベルは今までの東京の友達とは全然違いましたが津和野の友達はみんな尊敬できる人ばかりでした。心配になるくらいに優しい子やぶっとんでるけど自分がある子、考え方が大人な子に何か一つ誇れるものを持っている子、彼らのおかげもあって刺激的で充実した半年間を過ごせました。感謝しかありません。


6.終わりに

       (一両編成の電車)


電車が一両なのにガラガラだったり、見上げると「広い」と思わずつぶやいてしまうほど雄大な自然だったり、歴史的な景観が日常的な景色だったりとギャップの多い土地での生活でした。この半年間で多くのことを学ばせていただきました。特に出会った人々から学んだことがたくさんあります。僕が津和野で出会った多くの人々は自分のしていることに自信を持っていて自分のしてきたことを誇りに思っているように僕の目には映りました。僕の視野が狭いだけで当たり前のことなのかもしれませんがみんな自分のことを自分の言葉で語ります。それが僕にはとてもかっこよく見えました。留学前、小説家になると言いつつ、正直なんとなくこのまま東京で過ごし東京で就職するかもなんて思っていた僕の狭い世界ではそんな人たちは「いなかった人」です。ですが今はみんな尊敬する僕の世界の中で「中心にいる人々」です。抽象的ですが「自分の言葉で自分を語る」ことができるようになるのが今の僕の夢です。自分の位置が知れたこと、自分と向き合えたこと、陳腐ですが世界は広いこと、自分のことを受け入れることができたこと、身近な人々のありがたさなど学んだことを挙げるとキリがありません。未だに悩むことも多いですし、まだまだ視野も狭く思慮も浅い自分が悩んで出した答えにそれほど意味はないのかもしれません。受け売りの言葉ですが、悩んで出した答えより悩む過程に意味がある、そんな時期だと信じています。この言葉を信じることができるようになったのもきっと留学のおかげです。できた人脈も大切にしていきたいと思っています。まだまだ書き足りませんが時間に余裕がなくここで終わらせていただきます。最後に記事で何度も上げさせていただき留学を終えた今でも相談に乗っていただいている津和野高校出身で現役の東大生の鈴木元太さん、水路での釣りをさせてくださった僕の尊敬する偉大な先輩百瀬さんをはじめとした多くの大学生、何度も相談に乗っていただき忙しい中様々なサポートをしてくださったコーディネーターの方々、どうしても不安の残る学習面を全力で支援してくださった教職員の方々、留学をするにあたって手続きなど多くの事務をしてくださった365事務局の方々、在籍校の教職員の方々、事務室の方、見守ってくれた両親、温かく留学へ送り出してくれた在籍校のみんな、仲間として認めてくれた津和野高校のみんな、特にグローカルの仲間たち、生活面をサポートしてくれた下宿の大家さんをはじめとした津和野町の方々、この留学に関わってくれたすべての方々にここで改めて御礼申し上げます。この半年間で具体的に何か結果を残せたわけではありませんし先に述べた通りまだ「変われた」なんて自覚も持てません。ですがどれだけ時が経っても「行ってよかった」と胸を張って言えるよう、当面の間は学習面に力を入れつつ日々精進していきます。今後ともよろしくお願いします。長くなりましたし稚拙な部分も多かったと思いますが最後までお付き合いいただきありがとうございました。



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