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人の死と向き合う

こんにちは、さぼてんです。

note、ブログ、ツイッター含めて、あまり世間的なことを投稿することは控えているのですが、今回は逸脱しています。

先日、某俳優さんが若くして亡くなられたことで心に刺さるものがありました。

そのことも含めて、人の死と向き合うというテーマで今回は書いていきます。

接点が無い人の死

自分の生活に関係がない人が亡くなっても本来であれば、心を痛めて悲しむことや、心が大きく動かされることは無いと思います。

しかし、現代において、テレビなどの情報媒体によって、遠いはずの人の情報が身近に感じることができます。

その人に会ったことも無いのに、この人はこういう人だとか想像したり、誰と結婚したとか、そういったことに興味を持ち、その人が成功しているのを見ると嬉しくなったりすると思います。

情報がリアルに伝達される社会のため、自分の”身近”に感じてしまうという状態になってしまっています。

今回、私が心に刺さるものを感じたのも、情報社会における現代ならではの現象なのだと思います。

某俳優さん

亡くなった原因・理由についての推測は書きません。

仮に死因が自殺だったとして、自殺を良い悪いということを書くことはしませんし、私にはそれをここで書く資格がありません。

ただ、言えることは、今の現実が、「私は悲しいと思う」ということ。

それははっきりしていて、私が発言できる資格があることだと思います。

出演作を数本見たことがあるというレベルの私でさえ、心動かされる出来事だったことから、身近な方や某俳優さんを応援していたファンの方にとっては想像を絶する衝撃があったものと思います。

死を経験したうえで

どんなに素晴らしい人が亡くなっても、世界は進んでいきます。

私は、仲の良かった同期が亡くなったことがあります。心にぽっかり穴が空くという表現がぴったりと合う感覚になりました。

若くして亡くなることはこんなにも悲しいことなのかと身を持って感じました。自分の祖父・祖母が亡くなったときとは全く違う悲しさです。

それでも、時間はいつも通り、何事も無かったかのように進みます。

現実は、本当に残酷です。

しかし、死を経験した人は、その人を想い、心を痛め、涙を流します。

大切な相手であるほど、ずっと自分のこころの奥底でその人のことを想っています。

その人に対する想いを紡いで、これからの時間を歩んでいくことなります。

これからの時間を生きていく人のこころに影響を与え、その人たちがこれからの時間に変化を与えます。

亡くなっても、その人が生きていたことが無くなるわけではないのです。

辛いときこそ前を向いて、でも、無理はせずにゆっくり進んでいきましょう。

以上、このテーマはここまでにしておきます。



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