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コンテンツ肥満 2023/6/5

 ずっと活動が止まっていたYouTubeチャンネルが久々に動画を配信した場合、チャンネル登録者数は増えるのではなく減るらしい。「こんなチャンネル登録してたっけ?」と気付いた人が(そして、今は見る価値を感じていない人が)登録解除してしまうんだと。

 SNSでも似たようなことがありそうだよな。Twitterに年1回くらいしか投稿しないアカウントはザラにあるし、そういう人がタイムラインに現れて「これ誰だっけ?」となることもある。それがソシャゲの宣伝だったり懸賞の応募だったりしたら間違いなくフォロー解除する。少なくともフォロー継続する/解除するの選択肢が目の前に現れる。まあ、俺もFacebookやインスタグラムはめったに投稿していないので、そうなってしまう人の気持ちもわかるところ。

 noteではむしろ、久々に投稿された記事は嬉しく思う。いや、もちろん「誰だっけ?」となることもあるのだけど、そもそも頻度が高い人でもせいぜい1日に1記事なので、低頻度の人とのギャップは少ない。Twitterと違って、ある程度まとまったクオリティの投稿になってるはずではあるし。


 コンテンツ飽和時代の今、つまらないものに対するヘイトはかつてより高まっている気がする。ヘイトというか、許容される余裕がなくなってきた、というか。
 つまらないものを摂取することは時間の無駄という考え方がもともとあって、そこに、「この時間があればもっと面白いものを摂取できたのに」という考え方が加わってきたように思える。あらゆるコンテンツが消費者の時間を奪い合っている現代では、時間を無駄にすることは何よりも避けるべきことだという価値観が形成されている。かつてNetflixの日本法人が「退屈は犯罪だ」というキャッチコピーを打ち出して炎上?していたけど、それこそがまさに価値観の体現だと言えそうだ。

 たしかに、コンテンツの膨大な物量に俺たちは圧倒されるしかない。どう考えても、一生のすべてをそれに費やしても、この世にある全ての映画を観ることは不可能だ。そういう現実自体はかなり昔からあったとは思うが、インターネットによって国内はおろか世界中の情報にアクセスできるようになって、より強く実感できるようになったのだと思う。俺たちは1億種の料理が並ぶビュッフェを目の前にして、たくさん食べられる嬉しさよりも、全てを味わえない悲しさが勝つようになってしまった。

 それでも、思い返してみれば、俺たちが摂取してきたコンテンツは「正解」ばかりではなかったはずだ。


 このところ体重は77kg台でやや安定。昨日は焼肉+飯+酒のコンボでがっつり食ってしまったので、当然今朝は増量していたけれども、77.8kgだった。78kg台にはもう戻りたくないぜ。

 ゆるゆるとダイエットを続けており、2か月で3kg程度減らすことができた。目標は70kgを切ることなので、この調子が続けば今年のうちには達成できる……?
 記録が残る限り、成人してからの最低体重は71.2kgだ。5年前に一念発起して76kg台から5kg落とした。いや、現時点でその時のスタートラインにすら立ててないの!? こわすぎる。

 俺の身長での標準体重は67kgとされている。究極の目標はそこだが、いや、どうかな……。そんな数値は高校生の時にぶっちぎった気がするんだよな……。

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