『嫌な夢の話』2021/11/18の日記
すげー嫌な夢見た…
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
もう社会人なってから長いのに未だに学校の夢見るのなんなんだ…
・学年が10まである謎の学校(小学校?)
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
・既に始業時刻を過ぎており遅刻確定
・面倒くさくなって空き教室で4時間くらいサボる
・ようやく自分の教室に向かうも、次の授業は社会見学?で外出するので、それ用の服や靴が必要と知る
・さっきの空き教室に忘れてきた…
・友達と一緒に取りに行く
・この友達は中学校時代の実際の友達(もう成人式以来会ってない)
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
・服と靴を取って戻る途中、担任教師が引き連れたクラス全員とすれ違う
・もう出発!?やっべ〜
・担任がなんかめっちゃ睨んでくるし。
・っていうかよく見たら俺の母親がいる。え!?親が参加できるタイプのイベント!?
・「なんで授業でとらんの?」と親に激詰めされる。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
・なんか面倒くさかったとは言えず、どうすりゃいいんだこれ……最悪……
・目覚め。
起きて自分がいい歳の社会人だと思い出した時の安堵といったらないね。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
俺は病気以外で学校休んだことないし、中学校は皆勤賞取るくらいちゃんと行ってたんだけど、それは裏を返すと「ちゃんと理由がないと休めない」というプレッシャーを常に抱えてきたのかもしれない。
夢の話しすぎ。
夢はある程度精神状態や環境が表れてくると思うけど、定期的にこの「やっちゃったな~!!」「嫌だな~~!!!」って感じの夢を見るのはなんなんだ。ストレス?
特に多いのは「何らかの発表会直前だけど全く練習してない」「知らんところに置いて行かれる」とか。途中で夢だと気付ければまだいいんだけども。
別に母親とも関係は良好なんだけど、俺が勝手に学校休んだときに、まず体調や精神の心配ではなく詰問してきそうだなという確信はある。ずっと元気に学校行ってたからなおさら。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
もちろん体調が悪ければ順当に心配してくれて休ませてくれる親ではある。ただ、「なんか嫌だ」「理由は無いけど行きたくない」といった精神面でのケアをちゃんとしてくれそうな気はあまりしない。俺は反抗期がほぼなかった優等生で、挫折して落ち込んだことも全くないので、親にそういう弱みを見せたことがないからかもしれない。そういう精神性が自分にあるのかもよくわからん。第一志望の大学落ちた時も全然辛くなかった。
今は朝起きてダルかったら自分の判断で休めるし、そもそも理由なく休みたくなるほど仕事が嫌でもない。幸せ。これが大人の幸せ。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
とはいえ、今まさに学校に行きたくないと悩む子供たちに「大人になれば解放されるから…」と言うのは何の解決にもならんよな。どうすりゃいいんだろうね。
あと、(精神を病むほど)会社に行きたくないという社会人もたくさんいるという事実もあるので(俺だって喜んで働いてるわけではない)、「今後一生こんな感じなんだ」「やりたくないことをずっとやらされるんだ」と悟ってしまった場合はなんて言ってやればいいんだよ。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
行きたくなきゃ行かなくていいと言うのは簡単だけど、やりたいことだけで生きていくのは困難だし。家が不動産持ってて死ぬほど金持ちなら別だが。それにしてもある程度は教育を受けてないと誰かに騙されて終わる可能性があるし。人間関係だけが問題なら違う形の学校に行けばいい話ではあるが。
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
どんどん話がずれてきた。
まじめな話、子供が「学校行きたくない」と言い出すのは、程度の差こそあれ90%以上の親が経験することなんじゃないかと思う。その原因が人間関係だったり勉強の難しさだったら解消の余地があるけど、ただ単に「やりたくないことをやらされるのが嫌」だったらどう答えてやればいいんだろう? 大人だったら、仕事をしないと金が無くてやりたいこともできない、という論理が成り立つ。でも子供は親の保護下にあり、何もしなくても生きていけるべき存在だ。やりたいことができるかどうかは親の判断にかかっている。「ちゃんと学校行かないとゲームを買ってあげないよ」と、アメ/ムチで答えてやるのは簡単だが、その責務と自由のメカニズムを動かしているのが社会や経済でなく親という個人であることは、当然ながら子供も疑問に思うだろう。「どうして学校に行かないとゲームができないのか?」「それはあなたのさじ加減一つでは?」「そうすることで私にとってメリットがあるのか?」と問われたとき、なんらかの人生哲学が必要になるはずだ。揺るがない柱が。そういうの、みんなどうしてるんだろう。
幸いにして、俺は学校に行きたくないと思うことはあまりなかった(運動下手だったので、体育の授業とかマラソン大会くらいか)。でもこれは、裏を返せば学校に行きたくない気持ちがわからない・それに対する親の対応や考え方もわからなかったということなのだから、不幸にしてと言うべきかもしれない。
なんか最近のネットというかTwitterって「学校行きたくなきゃ行かなくていいよ」「好きなことで生きていけるよ」みたいな風潮が強くて、そういうのも否定はしないけど、かなりの生存者バイアスがかかってると思うし、大人が四苦八苦してなんとか生きてるような社会では説得力がねえわなあとも思う
— さぶなっく (@oo_mizu_ao) November 17, 2021
俺の親戚の中には不登校や引きこもり気味の子もいた。皆もう成人していて、今は普通に社会生活を送っている(らしい)。でもそれは、親や本人がなんとか現状を変えようと努力した結果であって、好きなことをやり続けたからではない、と思う。
学校に行くことが全てではないが、その他の道を選ぶ方が険しいと予想されるし、俺がそういう道を通っていない以上はアドバイスしてやれることも全くない。だから親としては学校に行った方がいいと言わざるを得ない。自分が通ってない道を勧めるわけにはいかない……と言うしかないか。現状の俺ではね。俺が親だったとしたらね。
お前に言われてもね~~~!! と思われないように、せいぜい幸せに見せておくことが大事なのかもな。親は子供にとって最大のケースサンプルなんだから、こいつショボいなと思われたら終わりだ。
おい! 俺は良い親の元に生まれて、特に何の苦労もせず勉強ができて中学3年までは県下10位以内の学力だったし、高校では遊び惚けて学力が下がったものの余力で国立大学に入ったし、なんとなく大学院まで行って東証一部の企業に就職して結婚したんだ。特に挫折してないしずっと惰性で生きてきたんだ! わかったか!
何が?
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