日記という体の散文 2022-6-23

お久しぶりです。
前回から大体三ヶ月くらい間が開いてしまった。
特に理由はなく、単純に持て余した時間を物書きに回すやる気がなかっただけだ。


実は前回の日記を投稿した直後からずっと仕事を休んでいる。
日記にも書いたと思うが昨年の夏頃から調子が悪く通院しており、年度末のタイミングで完全に限界を迎えたからだ。
「なんかもう無理かもな〜〜〜」と思いながら騙し騙し働いていたのだが、自分を操っていた糸がプツリと切れたように突然やる気を失ってしまった。
ジョナサン・ジョースターの最期と同じだ。

年度初日に「しんどいので休みたいんですが」と言ったらその瞬間から休みが決まり、なんかよくわからないままずっと休み続けている。
休んだからといって何かが改善するわけでもなく、ただ単にぼんやりしたり呻き散らす時間が増えただけだった。

休んで良かったことがあるとすれば遊びに費やせる時間も少しは増えたので、積みゲーを消化したり人脈を広げたりと言ったことが出来ていることだろうか。
社会から外れて欠けた分を埋めるように友人と映画を見たりご飯を食べに行ったりしている。
なんだかんだ楽しく過ごせている。


以前感じていたような人生の長さはめっきり感じなくなり、肝臓や肺を痛め付ける機会は増えた。

休職等といった人生の大きな変動によって諸行無常を強く意識するようになったような気がする。
自分の人生がいつまでも同じように続いていく訳では無いことを改めて感じ、それならば刹那的に楽しく生きていられれば充分なのではないかという気持ちになった。
これから先どうなろうと知ったことでは無いので、服薬の頻度も減り酒タバコに興じるようになった。
半ば自暴自棄に近いものだったかもしれない。

直近はこんな私を叱ってくれる珍しい友人が出来、自分の状況が想像以上に逼迫していることや治療の大切さを説いて貰ったので少しづつ服薬を再開している。
他人目線で自分の言動が如何にイカれているかを知るのは大切なことだ。

ちなみに自分のイカレ具合を知ったからと言って直ぐに良くなる訳でもなく、服薬をサボり好き放題してしまう日もあればこれまでの人生においてナチュラルイカれがもたらした失敗やかけた迷惑について考えしゅんとすることも増えた。
知らなければ得ることのなかった苦しみではあるが、受け入れなくてはならないのだという感覚はあるのでちゃんと苦しむことにしている。


自暴自棄だったかもしれない とあたかも過去形であるように書いた。

実際いつまでも続けなくてはならないと思っていた仕事もほんの少しだけやめようと行動するだけで簡単に終わらせたり止めることが出来ると知り、恒常性や永遠の脆さに呆れ果て、全てがどうでも良くなった。

今でも正直この先どうなろうと知ったこっちゃ無いなと思っているし、服薬だってキチンと社会復帰や治療をするぞという気持ちでしている訳では無い。
怒られたからちゃんとしようとしている、という表現が正しくなってしまうようなしょうもない気持ちだ。
その気持ちの弱さゆえに未だに酒を飲んでしまう日もあるし、そんなにしっかりとした人生を送れているわけではない。

ただ、何事もいつ終わるか分からないという点に絶望する反面で安心する気持ちもある。
今好き放題生きているように、もっと雑に生きてもいいのだなと感じている。

これまでも散々雑に生きては来たが、心のどこかで様々なものに対して「今持っているものをなくしたら終わりだ」という焦燥のようなものがあった。そのシャンプーの買い足し、詰め替えが出来る事をまるで知らなかったような愚かな焦燥を捨ててより気楽に人生を消費できるようになった。
これは自暴自棄に似ているが、きっと別種の人生との向き合い方なのだと信じている。
だから「自暴自棄だったかもしれない」と過去形で書いた。

そう思うことでこれまで失ってきたものについて心痛める必要も減るし、より前向きに生きられるような気がしている。
とはいえ失ったもの、嘘だったの事を思うとムカつくことはあるが。


要するに「なげ〜休みを得たので適当に楽しく過ごしてます、最高!」という事だ。多分。
未だにこれまでの人生において自分がかけた迷惑について考えたり心の空白をこじ開けたり詰め込んだりで苦しんではいるが、楽しく過ごしてはいるのでなんとかなるだろう。

途中で何度か書くのをやめてダラついたので中身がぐちゃぐちゃになっていると思う。
その辺はいつか読み返した時に直したり直さなかったりする。
もう眠いのでこのまま投稿する。

日記と言うより最近思ったことをポイと書いただけの変な文になったが、またそのうち書くので読んでいただけたら嬉しいと思う。多分書く。

助けてください。