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水面を歩ける能力は青いカレーだ

 もしも俺が水面を歩ける能力を手に入れたらっていう話なんだけど、これって全然意味なくてさ。いや、話が意味ないんじゃなくて、能力に意味がないのよ。なんだよ「水面を歩ける」って。
 まぁ、水面を歩ける能力を持っていたら、とりあえず水面を歩いてはみるよね一旦。一応ね。川とか海とかでさ、うおーすげー!歩けるー!って、めちゃくちゃ感動すると思う。何故なら人は基本水面って歩けないから。最低でも3日くらいは水面歩きっぱなしだろうし、1か月くらいは各所で「俺、水面歩けます」みたいな顔もすると思うし、「水面歩いてみた」動画も撮るし公開もするだろうなと思う。あと、間違いなく色んな歩き方もするよね。スキップとかジャンプとかして「どこまでが『歩く』に含まれるんだろうな」とか考えながらさ、それで「いや匍匐前進もいけて笑う」みたいになったりしてさ、楽しいだろうな、しばらくは。

 でも多分2か月経ったくらいかな。いや、もっと早いかもしれない。気付くよね、これって意味なくね?って。いやマジで意味ないのよ。一見して受ける「能力のすごさ」という印象に対して実用性があまりにも低すぎる。「水面、歩けた とて」となる。

歩いたら疲れるし。


 まずさ、歩いたら疲れるんだよね、人は。地面だろうが水面だろうが徒歩には変わりないわけで、体力の消費という面では一切得はしないのよ。他の面に目を向けてみても、たとえば限定的な場面でさ、大きな川や湖があって迂回しなければならないみたいなときに、突っ切れたら時短になるよねみたいな、そういうのがあれば役立つかもしれない。でもこれって戦国時代までの考え方なんだよな。戦国時代までの、戦にまつわるエトセトラでしかそういうの見たことない。戦にまつわるエトセトラ。
 しかもそういうときってだいたい馬に乗ってんのよ。徒歩じゃない。馬ではこの急流は渡れぬ、みたいな。どうやら馬が嫌がっている、みたいな。俺って普段馬とか乗ってないからそういうシーンってなくて、移動に関して困るシーンって電車の遅延や運行中止か、渋滞なんだよな。水面を突っ切ることで得られるメリットを享受できるシーンが日常生活に存在しないのよ。
 仮にあったとして、歩かなきゃいけないっていう制限がゴミすぎる。たとえば車でデカい湖の前まで行ってそこから歩くとかアホで、湖を渡り切った後に湖の手前に置いてきた車のことが気になり過ぎて先に進めないし、なんならそこからは地面を歩かなければならないから車で迂回するより1億倍くらい疲れるんだよな。もうなんか水面を歩くことが目的になってるよねそれ。能力を手に入れたばかりで動画とか撮ってるときにしかそれやらないから。だってまず日常生活を送りたいだろ。水面を歩ける能力を手に入れても水面を歩くだけの人生を歩みたいとか誰も思わないんだわ。あくまでも日常生活を普通に送ったうえで能力が役に立つのかという観点で考えなければダメだろ。

 そんでさ、水面とか関係なく人生ってそもそも好んで歩かなくないか。疲れるだろ。いやもちろん、友達や恋人と出かけるときにたくさん歩くのは楽しいよ。楽しさゆえに歩くことはある。でも歩くゆえに楽しいってことは少なくとも俺はほとんどないから、だからいつも車とか電車とか乗ってるし、可能であれば歩くよりは馬にさえ乗りたいよね。ショートカットできるけど疲れますっていう条件を俺は甘んじて飲みたくないんだよな。

 もしも俺が徒歩しか移動手段を知らなければありがたいだろうよ、そりゃ。でも俺はこの時代に生まれて、自転車もバイクも自動車も電車も新幹線も飛行機も乗ってきたし、今って徒歩よりも良いものがあまりにも多すぎるって知ってるんだよな。そんな中でたとえ水面を歩けたとて「疲れる」というデメリットに目を瞑ることって全然ありえなくて、その能力には物珍しさ以外の取り柄がないなってなるわけよ。その能力が「移動において、いかなる地形の影響も受けない」とかいう遊戯王カードみたいな能力だったらいいけど、歩くんだからさ。無駄に疲れてまで水面歩きたくないよな。俺そんなに水面のこと好きじゃないし。

日常生活に「歩きたい水面」など無い


 自分が送りたい日常生活をまず想像してみてほしいんだよね。もうほとんどの人がね、そこに「水面」自体が出てこないんだわ。湯船以外何かあります? たとえばジムに通ってるとかだとプールはあるかもしれないよ。でもそれって泳ぐための水面だから全然歩きたくないんだよな。泳いで身体作るために通ってるジムのプールで水面歩いてたら「お前何しに来たの」って言われて確実に出禁になるよね。なんか邪魔だし。あと絵面もかなりキショくて、服着て水面歩くなら濡れたくないとかでわかるんだけど、水着で水面歩いてたら「お前何しに来たの2」でしょ。完全に意味が分からなくてキショすぎる。そんな人間になってまで水面歩きたいか?

 あとはまあ、観光地とかにはあるよ、水面。でもその水面って大体見て楽しむものだし、そこを歩いていたら「お前何しに来たの3」でしかなくて嫌すぎるでしょ。だってどう思います? 観光地の湖とかで皆が写真とか撮って楽しんでる中、一人だけ「その水面を歩く」ことに興じている人間がいたとしたら。写真撮ったら映り込んでたりするんだよ。俺なら間違いなくぶっ殺しますね。そこまで短気な人じゃなくても「やめろ」とは思うじゃん。一瞬だけ「え、あの人、水面歩けるの…?」ってなって、3秒くらいしたら「でもクソ邪魔だしやめてほしい。失せろ」ってなるよね。そんなことを思われてまで水面歩きたいか?

 んでさっきも言ったことだけど、この時代って水面とか以前に海とか川とかを別の交通手段で余裕で渡れるから、水面を歩く必要がそもそもない。「ここが歩ければな~」とかない。そういうのは全部もう文明にフォローされてて、時速○○キロとかいうスピードでハナクソほじりながら通過できる時代。なんか水面って歩き切るのは絶対にしんどいめちゃくちゃデカい水面と、跨げるくらいのカスの水面しかないじゃん。カスの水面を公共交通機関や道路や橋がフォローしてないのは「別に誰も渡りたくないから」「避ければいいので」という理由でしかないから、そうなると歩くメリットって1個もないだろ。一体何のためにある能力なんだよ。

「水面を歩ける」は「青いカレー」と同じ

 青いカレーってあるじゃん。何の変哲もないカレーなんだけど見た目が青くて奇抜という特性をもってして「青いカレー」と呼ばれる存在。カレーってそもそも青くないから青かったらなんかウケるよねみたいな理由で生まれた存在。普通のカレーが「茶色いカレー」と呼ばれていない時点で、青いカレーの存在意義ってめちゃくちゃザコで、その本質って「出オチ」なんだよな。「白いたい焼き」もそうだね。もしかしたら食感とか味とか違うのかもしれないけど、基本的に初見の「うわ~」がピークであと何もないのよ。「水面を歩ける」ってまさにこれなんだわ。

 まず普通の人はというか、普通は地面なら歩けるじゃん。あれが水面に変わっただけ。たしかにすごいよ、歩けたら。でも1~2回見たら、もうよくない? 前回はあの水面を歩きましたが今回はこの水面を歩きます、みたいなこと言われても、起きてること同じだからただの再放送なんだよな。この能力って「水面を」の部分が特殊なだけで「歩ける」の部分って普通じゃん。慣れたら地面を歩いてるように見えてくるまであるだろ。能力を持ってる本人ですらいつしか完全にその存在を忘れていて、突然「そういえば俺って水面歩けたわ」って、ちょっと深い水たまりを歩いたときとかにふと気付くんだろうなって思う。靴濡れてないな、みたいな。

 まあでも、青いカレーや白いたい焼きと同じとか言うと、物珍しさで小銭は稼げそうだよな。能力に応用性と実用性がないから完全に出オチでしかないんだけど、出オチってある意味約束された「ウケ」だから、その一度きりに価値をつけることは良いことだよな。しかもなんかテレビとかに出るとしても難しいことしなくていいわけじゃん。水面さえ用意してもらえたら歩きますんで、みたいなスタンスでクールに歩いて終わりだろ。簡単な仕事過ぎて笑ってしまうな。あー、でもなんかそしたらスタジオにいるクソつまらんユーモアの欠片もないゲストの芸能人が「走れますか?」とか聞いてきそうで嫌になってきた。水面を歩ける能力を持っている人間が水面を走ることもできるかどうかっていう情報、要らなすぎるだろ。ただの機能の検証じゃねえか。そういうのは能力を手に入れた人間が初日に試すことであって、スタジオの人間がわざわざ掘り下げてまで視聴者に伝えて面白いことじゃないんだよな。でも俺がもし能力持ちでそんなシーンに立ち会ったら「コイツつまんねえな」と思いつつも愛想笑いしながら「走れますよ~」とかやるんだろうな。金目当てによ。マジで嫌になってきたわ。この能力って誰も幸せにしないな。

結論:一番歩きたくない『面』選手権 1位 水面


 来世はもっといい能力を持って生まれたいな。

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