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トングはカチカチするんだよ


「パン屋およびミスタードーナツの店内にてトングをカチカチした者は死刑に処す」

この法案が成立したとき私は戦慄した。同時に、やっていいことと悪いことがあるぞと怒りに震えた。パン屋およびミスタードーナツの店内でトングをカチカチしない人間など存在しない。

思っていた通り、世の中に全く興味がない人々がパン屋およびミスタードーナツに入店しては帰らぬ人となった。
「さすがに死刑は噓でしょ(笑)」トングカチカチー 
→ 死亡
このケースも後を絶えない。
こんな暴挙、非人道的な法律が許されてたまるか。

トングのカチカチを取り戻さなければならない。
群衆はそんな思いに駆られることとなった。

人は何故パン屋およびミスタードーナツでトングをカチカチするのか


かつては「パンやドーナツを選ぶことに気分が高揚してトングをカチカチしてしまう」と思われていたのだが、実際は逆で、「トングをカチカチすることでストレスが解消され、気分が高揚し、パンやドーナツを必要以上に購入してしまう」という真実があったことが遠い昔に証明された。

実際、入店後に流れるようにトングをカチカチした客はそうでない客に比べてパンおよびドーナツの平均購入数が2.1個も多かったことや、店頭に「パンを取る用のトング」を置いた店と、店頭に「パンを取る用の汚いおじさん」を置いた店では、トングを置いた店のほうが圧倒的に売れ行きが良く、汚いおじさんを置いた店はどこも半年以内に潰れたというデータがある。

そもそも、パン屋およびミスタードーナツというのは、トングをカチカチしに行く場所であって、パンおよびドーナツを買いに行く場所ではない。

人間には潜在的に「トングのようなものを見たらカチカチしたくなる欲」があり、こいつを発散せずに溜め続けていると最悪の場合死に至る。

実際、病床に伏している人間1万人に「最近トングをカチカチしたか」というアンケートを取ったところ「よくわからない」といった回答がほぼ100%を占めたのに対し、ミスタードーナツの店頭で健康な人間1万人にアンケートをとったところ、ほぼ100%の回答が「さっきしてきた」だったというデータがある。

また、トングをカチカチできる握力がなくなった人間の約85%は3年以内に死亡した。人間はトングをカチカチしなければ生きてはいけないのだ。

加えて、この説を唱えていた当時の学者が「トングをカチカチしない人間は重大犯罪に走る傾向がある気がする」と述べて本を出版したのだが、それは政府によって闇に葬られた。人間にあえてトングをカチカチさせないことで凶暴な人間兵器を生み出し戦争に利用しようという陰謀が垣間見える。

店頭にトングを置くというマーケティングの手法は、販促だけではなく人間の健康問題に対してのアプローチにおいても非常に有用であり、ひいては社会の秩序、世界の平和を守っていたのだ。


トングカチカチ難民がホームセンターや100均に流入


この法案が成立してからというものの、ホームセンターや100円均一にトングをカチカチする目的で現れる人間が殺到した。
これに関しては「いや買って帰って家でやれよ」と思う人もいるだろうが、そういった単純な話ではない。

何故なら、トングをカチカチしたい欲というものは、通常自宅では消え失せてしまうものなのだ。
実際にあなたは自宅で、パン屋およびミスタードーナツの店内でやるのと同じようにトングをカチカチしたことがあるだろうか。ないはずだ。
我々人類は生きる上で、外出先でトングをカチカチしなければならない生命体なのだ。

調理器具の陳列棚、その一角から聞こえてくる「カチカチ」という音が、店内のBGMの音量をはるかに上回る。
異様な光景だ。店に来るだけ来てトングをカチカチだけして帰る客も後を絶たず、社会問題になっている。

私も常々思う。パン屋およびミスタードーナツでトングをカチカチできないのならば、我々は一体どこでトングをカチカチすればいいのかと。

先日はあまりにもパン屋およびミスタードーナツの店内でのトングカチカチが恋しすぎて、はなまるうどんで天ぷらを掴むためのトングをカチカチしたままお会計に向かってしまい、後ろの客に多大な迷惑をかけてしまった。

法律が少し違えば私は死刑だったかもしれない。パン屋およびミスタードーナツのトングは一度手に取ったらお会計までは持ち歩いていいというトンカチ(※トングをカチカチすること)依存性の高い仕組みになっており、我々の体は知らない間にそれに蝕まれている。

そういった死線を掻い潜った者たちが命からがら逃げだすように辿り着いたのがホームセンターや100円均一なのだろう。苦肉の策だ。


追加で施行された「ただし1回までならいい」という法案


法案が成立してからわずか1か月で人口が2割減ったために政府が慌てて調整案を出してきた。
しかしながらこれに手放しで喜べるほどトングのカチカチというものは浅くない。
私が何を言いたいか、もうすでにここまで読んでいる人ならわかると思う。

「1回」とは、どこまでが「1回」なのかということだ。

一般論で考えれば、トングをカチカチするというのは「カチカチ」で1回だ。「カチ」では0.5回だと考えるのが通常だろう。
実際にパン屋およびミスタードーナツの店内でトングをカチカチしたことのある人間(全人類だが)ならわかると思うが、「カチ」でとどまったことなどただの1回とて無い。
「カチ」でとどまるくらいならば初めからやらない、それが全人類の共通認識である。トングのカチカチというのは「カチカチ」で1回だ。

しかしながら政府はこの点について詳しい説明をしていない。というか、何故この法案が必要なのかについても全く説明をしていない。

国民は怒りに震えているが、何事も命あっての物種だ。家族を守るために皆歯を食いしばっている。歯を食いしばりながらとりあえず「カチ」だけしている。どうなるかもわからないのに「カチカチ」とできる人間など1人もいない。国民総出のチキンレースである。

私自身も追加の法案が出されてから、パン屋およびミスタードーナツの店内でトングを「カチ」とだけしてみたことがある。物足りない。それはまるで黄身だけ抜いた卵かけご飯、2人バックれて2人でやる麻雀のようなものだ。怒りすら覚える。
私は店を出た後、やり場のない怒りを鎮めに近くのダイソーに行き2万回ほどトングをカチカチした。

だがこれも不思議なもので、慣れてくるとたった0.5の「カチ」が恋しくなってくるのだ。
人間とはなんと適応力に優れた生物だろうか。あれだけ怒りに満ち溢れて退店した幾度の過去があろうとも、また行ってしまう。
「カチ」に価値を感じるようになってくるのだ。こうなってしまえば勝ちだろう。

そして、次に1つの流行、ムーブメントが起きることとなる。

どのタイミングで「カチ」をするか


入店してトレーとトングを手に取った瞬間なのか、パンおよびドーナツの目前でなのかなど、限られたチャンスをどこで使うのかでその人物の人間性が出ると唱えた有識者が編み出した通称「トンカチ診断」が旋風を巻き起こした。
トンカチ診断はネットで爆発的に話題になり、その後はめざましテレビで採用されるなどして瞬く間に日本中に定着した。

私はあえて全ての行動が終わってからお会計の直前に店員に別れの挨拶を言うように「カチ」る。
これはトンカチ診断でいうと、

・斜に構えていて自分はどこか特別な人間だと信じて疑わない
・自己中心的でナルシスト
・みんなから嫌われている
・高速道路を歩いてるところを車にはねられて死ぬ運命
・はっきり言ってゴミ

らしい。真剣に自殺を考えたが、家族がいるので踏みとどまった。
(高速道路を歩いているところをってなんだよとずっと思っている)

私は、パン屋およびミスタードーナツの店内でのトングカチカチをこんなにも人に取り上げられたくないと思っていたことに気づかされ、取り上げられてからの苦悩の日々を送ることで、人間のすさまじい適応力や明るさ、人類の可能性、愛などを身をもって知ることとなったのだ。


きたる政権交代


新首相「前から思ってたけど、あれマジでなんの意味もないから、法案は撤廃します。あと、法案によって死んだ人は全員生き返らせます」

日本中のパン屋およびミスタードーナツの店内で歓喜のトンカチが鳴り響いた。

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