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占いに『撃たれた』話


 つい先日のこと。Twitterのフォロワーさんとスペースで楽しくお話をさせていただいている中で、僕は生まれて初めて『占い』というものに触れ、心を『撃たれて』しまいました。

 僕は生来から占いというものを全く信じない性分でした。

 アンチとまではいかないのですが、占いというものは単純な『人の心に響く"コンテンツ"』という認識が強く、当たる当たらないなどという偶然性を楽しむものであったり、統計学なんかの視点で興味や好奇心が煽られることを楽しむものであったりと、漠然とした『現実フィルター』越しにそれを見る価値観が強く、占いというエンターテインメントと僕自身の心や興味にはかなりの距離がありました。

 しかし、それは『でした』『ありました』という過去形を用いたことが表すように、今の僕にとっての占いはもうかつてのそれではありません。

 価値観が大きく変わったというわけでは決してなく、占いとはエンターテインメントであるというざっくりとした認識はそのままなのですが、僕はそれを『すごい』と思うように、また、それを『信じる』という感覚を抱けるようになりました(ここで言う『信じる』は『穿った目で見て否定することなく楽しめる』と同義)。

 今回はそんな『占い』と『占いに撃たれた僕』の話をさせていただきます。

■今回 僕を撃ち抜いてきた2つの占い

▶太陽星座と月星座 (moon-cycle.net)

▶六星占術から見る『大殺界』(plus-a.net/uranai/)




見透かされたら『わからされる』ということ


 僕はもとより『信じない派』の人間だったので、占いというものが『何故当たるのか?』という仕組みのほうに着眼してしまう傾向が強く、それに縛られることによって占いのエンターテインメント性を心から楽しむことができませんでした。

 実際にその『仕組み』というのは全くないわけでないとは今も思っているのですが、とにかくそういった感性から『百聞は一見に如かず』の『一見』にも立ち会わない人間だったのです。

 そういった人間が『ただ生年月日を入力しただけ』で、『144通りも組み合わせがある性格診断(のようなもの)』の中から『これは自分そのものである』と思わざるを得ないたった1つのものを提示されたらどうなるでしょうか。僕に起きたのはまさにそれでした。

【信じられないくらい当たっている】
【どうしてここまで】
【すごい。やばい。つよい。天才。(語彙力消滅)】
【死のうかな(突然の飛躍)】

 僕は基本的に『自分という人間を見透かされる』ということに対して酷く強い抵抗がある人間です。
 そしてそのせいであえて『ここを見透かしてね』という自分主導の『他者から自分への理解の機会』を多めに用意してしまうタイプでもあるんです。
 そのやり方によって僕は『非常にオープンな人間に見えることがある』のですが、わかる人には『肝心なところは完全に閉ざしている』というところまではすぐにわかられてしまいます。

 ですが占いはコンテンツであって人間ではありません。僕が日ごろからどんな振る舞いをしていてもどんな言葉を並べていても、占いは僕のことなんか知りません。
 僕が他者との居心地のいい距離感を作るためにやっている『自己開示の制御』がもとより通用しない相手ですから、そんな相手がいきなり『あなたはこういう人間です』と言ってきて、それが常にひた隠しにしてきた自分そのものであったならば、言い表せないような『心臓を鷲掴みにされたような感覚』に包まれて心が揺れ動くのは必然と言えるでしょう。それほどの強い衝撃がありました。

 僕はなんというか『わからされた』んですよ。『これが占いだぞ』と。

 僕がまずわからされたのは、いわゆる『太陽星座』と『月星座』というもの。これらはその人の人物像を表す12×12通りの性格診断みたいなものです。(詳しくは先述のリンク先へ)

 太陽星座は「社会という世界で生きていく上で作られる性質や傾向や努力して身に付いていくもの」を表し、月星座は「生まれつき持っている性質」や「生まれながらにして与えられた才能」を表すそうです。
 生年月日だけで導かれる占いなので、フォロワーさんがいて機会を生んでくれなければ人生通して『ふーん』で素通りしていたようなものなんですよね。

 僕は太陽星座が『蟹座』で月星座が『牡羊座』でした。以下に貼ります。


moon-cycle.net
moon-cycle.net
moon-cycle.net
moon-cycle.net
moon-cycle.net

 書かれていた文が一字一句すべて僕でした。ほんとに怖い。これ、僕なんです、皆さん。
  僕のことを古くから知る人がこれを僕の説明書だと言ったくらいです。もしかして監視されてる?

 そして何よりこれが僕自身だと思ったのは、先述したように太陽星座と月星座が示すものがそれぞれ人間の別の部分であるという事柄が強い理由になったんですよね。

 僕は『月星座 牡羊座』のような生まれつきの性格や才能をもって人生を歩んだ結果、『太陽星座 蟹座』のような考え方、価値観を持つ人間になっていきました。これがもし逆だったら全然違いますし、その他143通りの組み合わせも全て流して見てみたのですが、どれもほとんど当てはまりませんでした。

 この画像の他にも『人生に求めること』や『パートナーに求めること』など、もっと詳細の解析がいくつもあったのですがことごとく全部当たっていて吐きそうになりました。(僕の占いの結果全てが気になる方はリンクのサイトでそれぞれの星座を検索すれば見れますよ!そこに僕がいます)

 僕はもともと、占いというのは結果に多くの『どっちともとれる内容』が並びたてられていて、その中から当たっているところを見て楽しんだり、当てはまってないところを『もしかしたら深層心理ではそうなのかもしれない』と考えたりするのが醍醐味だと思っていたので、単純な人物像を断定的に短文で提示されてそれが刺さるだなんてことは絶対にないと思っていました。それがあったんですよ。本当に『すごい』以外なにも言えなくなりました。

 そして僕はこれがいわゆる『たまたまだった』でもいいなと思えたんです。『うわめちゃくちゃ当たってる!』というあの感情を味わえたことそのものが信じられないくらい楽しかったからです(ちょっと辛かったけど)。

 この『太陽星座/月星座』は単独でも面白いものですが、2つを組み合わせることで真価を発揮するという点も『楽しみポイント』が高いですね。


六星占術『大殺界』『種子』に撃ち抜かれてトドメを刺される



 星座の占いを教えてくれたフォロワーさんがおやすみモードに入った後に、古くからのフォロワーさんがスペースに上がってきてくれて、今度はあの故・細木数子が生み出したとされる『六星占術』について話してくれたんですよ。

 あまり詳しく調べていないのですが、僕は六星占術によると『水星人(-)』だそうで、こちらは先程の占いとは違って『その星のもとに生まれた人がどんな周期を持っていてどんな運命を辿るか』といったような占いのようです。

 そしてそのフォロワーさんが「あー、さばりんは今年が『種子』なんだね。去年までの3年間が『大殺界』だったんだ」と、僕についての占いの結果を教えてくれたのです。
 すぐに『大殺界』が何を始めるにも何をやるにもよくないクソゴミ最悪の時期で、『種子』が物事を開始する時期であることやそれが『大殺界』の後に来ることなどを教えてもらいました。

【当たりすぎている】
【どうしてここまで】
【すごい。やばい。つよい。天才。(語彙力消滅)】
【死のうかな(突然の飛躍)】

 星座のときのデジャヴです。

 僕にとって去年までの3年間が『これまでの人生史上で最も落ちていた3年間(皆さんの想像を軽く絶します)』であったことや、今年が『そのどうしようもなさの何もかもがなくなり晴れて自分に自信のある新しいスタートを切った年』であったことが、何もかもが見透かされたのです。『ヤバい』と思うしかなかったのです。

 ちょっと何かあったから心当たりがある、などというレベルではありません。僕の人生に起きた破壊と創造のようなここ数年がピタリと一致してしまったら当たってると思うしかないです。
このnoteにもまとめた、自身に起きた交通事故が僕の人生観を変えたことまで全て必然だったかのように感じてしまいました。

 そして次々に占いに見透かされ見抜かれとやられ続けた結果、ちょっと放心状態のようになってしまいました。完全に撃ちぬかれたんです。後遺症の記憶障害によって失われた記憶がよみがえったような気もしました(全然よみがえってない)。

『わからされた』後と占いの楽しさ



 そのように『わからされて』僕が何を思ったかって、ちょっと『救われてしまった』んですよ。だからダメだったんだ……と。

 実際に何もかもを大殺界のせいにしたわけでは決してないのですが、腑に落ちるような感覚に包まれたのは間違いありませんでした。

 そして今年が『種子』で、どうにもありがたいと感じてしまいました。これから新しくやることは去年までの3年間と違ってしっかり実っていくんだなと、現実的な根拠なしでもそう思うだけで救われるんですよね。不思議。

 僕はもともと、辛くてどうしようもなかったし何よりも苦しかったとはいえ、そういう時期を過ごしてきたことやそういう時期に人と触れ合ってきたこと自体は、その生活を送っている間からずっとありがたく幸せなことだと思っていました。
 覚えていないことも多々ありますが、事故直前の僕は『この5年間が人生で一番幸せだった』と言っていたそうです。この言葉が出てきたのは今年が『種子』であったからなのかなと、しみじみと思いましたね。

 占いについては何も信じていなかったし触れても来なかった僕ですが、今では『これが占いを楽しむということか!』と本気で理解できたんじゃないかなと思っています。

 どんな方でも人生経験を積んだ後であれば色んな事が『刺さる』かもしれませんから、是非一度占ってみてはいかがでしょうか。楽しいですよ。

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