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2022/12/09─水星の魔女、「進めば2つ」

Prime VideoでTVアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」を5話まで観ました。前日譚にあたるPrologueも含めれば6エピソード。

おもしろい!
ガンダムは閃光のハサウェイしか見てないんですが、2作とも「兵器としてのモビルスーツ(ガンダム)」という視点があって、そこに政治とかコミュニティどうしの衝突とかが絡まってる感じが面白い。
「メカアニメ」というより「戦争SF作品」というような感じがあって、全然大人が楽しめる作品ですね。

むしろ子供がこんな難しいのを見ていたらすごくないかとすら思いました。
世間の子供、理解力が高すぎる。

もちろんアニメらしい展開や描写もあります。水星の魔女で言えば、決闘のバトルシーンはやっぱり見てて楽しい。
1話のネタバレになってしまうんですが、オドオドしてた主人公が、いざ戦闘になると無双(相手をボコボコに)する展開も、カッコイイ〜となる。

キャラクターでいうと現時点ではグエルが面白い。
自分の見方が変わったところで言えば、最初は器物損壊、名誉毀損、脅迫などヤ~な奴感が強かったのに、話が進むなかで人物像への理解が進むとだんだん良く見えてくるようになってきました。
そもそも彼自身、物語の中で変容しているからこそ、上記のような認識の変化ができたというのもあると思います。決闘でスレッタが持っている強い意志を知ったことや、親から勝てないと決めつけられたことなどがきっかけで、自分の意思を持って対峙していくシーンは本当にアツかったです。
「めっちゃいい!!!!」って声に出してしまったくらい。


それと、この作中に出てくる言葉で、「逃げれば1つ、進めば2つ」というのがあります。
例えば戦いがあったとして、逃げ出したら「負けない」ことは得られる。しかし、そこで逃げずに戦えば、「逃げなかった」ことも、経験も、色々得られる。というもの。

最初聞いたときは「めっちゃ良~!!!!!」としか思いませんでした。
それでその後自分の過去を内省すると、「自分は逃げてばかりだった……」とか「もっと早くこの言葉に出会っていたら人生が変わったかも……」とか思って後悔の念が出てきました。

しかしそこから更に考えを巡らせていると、「昔に出会っていても、言葉の重みは全然違っていただろうし、人生も大して変わらなかっただろう」と思い始めました。
この言葉がここまで深く刺さっているのは、逃げてばかりの人生を送ってきたからではないか。その人生を経て後悔の念があるから、言葉をしっかり咀嚼して自分のものに出来ているのではないか。などと思いました。

こういうことはわりとよくあった。わかりやすいもので言うと歌詞です。

すずめの戸締まりのサントラに収録されている、RADWIMPSの「カナタハルカ」には、こんな歌詞があります。

恋の意味も手触りも 相対性理論も
同じくらい絵空事なこの僕だったんだ
大人になるその時には 出逢えているのかな
何万とある愛の歌 その意味がわかるのかな

わかる!禿同。

たぶん誇張とかじゃなくラブソングって何万とあると思うんですが、正直ぼんやりとしか認識できなかったのが、そういう経験があるとはっきり実体となって認識できるようになるんですよね。
個人的に衝撃だったのはwacciの「恋だろ」です。自分は「後」に初めて聞いたので「前」の感想は無いんですが、ちょっとすごすぎる。

歌詞に限らず、言語活動の価値の1つは、こういう「感覚の言語化」にあると思いました。
人の感覚、感情などの原本は、本人にしか認知できません。それを表情や言葉など、他人にもわかる形式で伝達することでしか、人の内面を知ることはできません。

もし自分の中にない感情に関する言葉を受け取る場合、コピーのコピーを自分の中に形成するほかありません。でももし自分の中に似た感情があれば、原本を持ったうえで、それを言語化する語彙を獲得することになるのでないでしょうか。

ただこの「経験に基づいた、実感を伴う感動」については、私自身が理解する力はあっても共感する力がよわよわすぎるからとも言えそうなんですよね。

前に「シン・ウルトラマン」を観たあと、面白かったので感想など軽く漁ってみると、自分とは違う種類の感動をしている人がいました。
というのも、ウルトラマンは、アリ同然とも言っていいような人間に対して「好きになったから」という理由だけで、命を賭すことになります。それで「ウルトラマンの立場を考えると……」という理由で感動したと。

これを観たとき、正直「まあ確かに……?」という感じで、理解はできるものの、共感はほとんどできませんでした。先の理論(笑)でいえば、自分の命を賭して人類を救う経験なんてしてないのだから、共感できない自分のほうが自然であるとも言えそうですが、感動も決して嘘ではないと思います。

これはおそらく、相手の思考を推測する能力の高さが関係しているような気がします。「こういう状況でならこの人はこう考えているだろう」のような思考を高い基準でとめどなく行える人は、たぶん自分の経験が及ばない作品であっても共感しながら楽しめるのだと思います。

ただ自分は、その能力が酷く低い気がします。思い返すと、何かしらのイベントで仲良しだね!と明確になってから「あ、この人たちは仲良くなっていたんだ」と思うこともよくあったような。

こういう人はたぶん、作品を楽しむために経験を積むという手法が適しているんだと思いました。想像できないなら、自分で経験すればいいという。

今クールのアニメのうち、現時点で自分が追っているのは「水星の魔女」と「チェンソーマン」なんですが、自分はパイロットでもデビルハンターでもないのでこれからそこまで共感できるかは未知数です。(どちらも共感しないほうが気楽に楽しめる作品になりそうですが)

とにかく今後も、アニメや映画などをなんとなくでも楽しめたらいいな~と思います。

そういうのに時間を費やすのも「進む」ことだと信じて。
(課題から目を背けながら)

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