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2022/08/12─はじめまして


はじめまして。
(「初カキコ……ども……」と迷った)

本当に気まぐれで日記を書いてみようと思い、1年以上前に作っていたアカウントを発掘してきました。只今の時刻は午前6時9分。今日締め切りのレポートに昨日の午後11時からとりかかり集中力が切れたタイミングです。
深夜テンションってこわいね
(追記:サムネにレポートに使った画像を置いておきました。理由は聞かないでください)

動機として大きいのは、友人の某A氏がはてなブログで日記を書き始めてたのを知ったのがある。彼も友人の影響で始めてたらしいけど。

この日記が、正直文章の技巧みたいなものは特にないんだけどなんだか面白い。普段の話している姿しか知らない、知っている人が書いた文章を読むという経験それ自体に惹かれているのかもしれない。
これって「有名人が文筆業を始める」という現象に似てる気がする。似てない?似てないかも。

最近気づいたこととして、こうやって関係ない細かいところに思考を飛ばす癖があるかもしれないというのがある。

例えば、前にツイートした「同じものに挟まれるとその間のものも同じになるオセロ的思考はいつ発生したか」という疑問は、オモコロチャンネルのお絵かき伝言ゲーム「テレストレーション」動画を見ていて思ったことだった。

実際軽く調べてみてわかったのは、
①オセロ、もしくはリバーシ的なゲームで一番成立が早いのは日本発祥のオセロではなく、外国発祥のリバーシ(もう1つあった気がするけど忘れた)。
②リバーシは「リバース」の類義語であり、ゲームでコマを「裏返す」ことが強調されているが、これは「同じになる」という思考とは厳密には異なると考えられる。
ということだけだった。

「多数派が少数派を吸収する」ともとれる「朱に交われば赤くなる」も、似てはいるものの若干異なる意味を持っていると思われる。

こういう、人生であまり役立たないことを考えるのは楽しい。厳密には、自分が興味がある人生であまり役立たないことを考えるのは楽しい。興味があれば数字が出てきたって許容できるし、興味がなければ日本語の話題だって嫌気がさす。

こういう無限にも続く思考を吐き出せるのが日記の良いところなのかもしれない。

Twitterに書いても良いんだろうけど、自分をフォローしていて、かつミュートしていない、かつ自分のツイートが興味に基づいたTLに流れてくる人、かつ内容に興味を持って長文を読んでくれる人は多分片手で数えるくらいしかいない気がする。いつもありがとうございます。

日記ってオチがつかないな。ざんっち(※ダ・ヴィンチ・恐山さんの愛称)のウロマガ(※ダ・ヴィンチ・恐山さんが執筆している、居酒屋のウーロン茶一杯ぶんくらいの値段で読める有料マガジン)を購読して参考にすべきか……

それ以前にレポートだ。

ちなみにこの日記はちょうど30分で1100字くらいだった。レポートもこれくらい順調であってほしいものですね。

ごきげんよう

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