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壱岐離島留学制度について

離島留学検討委の報告書 22日から公開 長崎県教委
9/22(金) 11:30配信

長崎新聞
 長崎県の離島留学制度の課題を協議する「これからの離島留学検討委員会」(委員長・本田道明県立大学長補佐)の報告書を、県教委は22日午前10時から高校教育課のホームページ(HP)で公開する。
 検討委は、県の離島留学制度を利用し県立壱岐高に在籍していた男子生徒=当時17歳=が行方不明となり死亡した事案を受け設置。事案の検証結果は、10月31日までの限定で、プライバシーに関わる部分を除き公表する。
 報告書は、今月3日の検討委最終会合で示された案を、委員の意見や指摘を踏まえ一部修正。三つの柱としていた▽生徒や里親に対するサポート体制の強化▽生徒の受け入れ体制の見直し▽生徒に対する地域全体での見守りに加え、教職員の負担を軽減する環境づくりも柱に掲げた。

 以上ネット配信の記事より引用した。続いて県のホームページからの引用になるが、次のようにある。

 長崎県には自然に恵まれた多くの離島があり、こうした「しま」の環境の中で学習できる制度として、平成15年度から「高校生の離島留学制度」を導入し、全国に先駆けて県内外に広く生徒を募集してきました。

 更に、2023.4.20配信のFRIDAY DEGITALから補足し引用しておく。(※箇所)この点は十分認識できていないまま以下記してしまったので、その点を踏まえていただけると幸いである。

 ※離島留学制度は、過疎や少子化の問題を抱える離島に全国から学生を募集し、留学生として受け入れる制度だ。子供は豊かな自然や離島独特の文化のなかで、自立した生活を体験できる。壱岐島で実施されている離島留学は、小中学生を対象とした「いきっこ留学制度」(壱岐市主導)と、高校生を対象とした「離島留学制度」(長崎県主導)の2種類がある。(2023.10.16)

 制度の導入から20年が経過し、2023年度は21年目に入っているようだ。この報告書について数名の知人と意見を交わす機会を持った。以前、ボランティアで足を運んでいたフリースペース長崎に顔を出していなければ、筆者はこの報告書がまとめられたことも気が付かなかったと思う。

 報告書は、高校教育課のホームページから、「新着情報もっと見る」との箇所を押すと現れ、少し人目を憚るかのような公表の仕方がされているような印象を受けた。期限を設けてそれが過ぎると見られなくなることともされている。

 報告書に目を通してみると、その内容には丁寧に聞き取りがなされた上で、報告書が作成されたことは伝わってきた。評価できることもある。当初、筆者の関心はそちらに向いていた。しかしながら、この報告書に痛烈な批判を寄せる青年の意見に耳を傾けると、それは尤もな指摘だと思った。

 この報告書は、本来なら永続的に市民が閲覧できるように、公表されることが望ましいと考える。一定期間が過ぎたらみられなくなるような公表の仕方は行政の対応として残念ながらお粗末だと言及しなくてはならない。

 加えて、この報告書には少なくとも修正を要する箇所がある。そこが痛烈な批判を寄せていた青年の指摘していた箇所であった。具体的には13〜14頁の「(2)里親の日頃の対応について」と記載された箇所になる。一部以下に引用する。

 また、当該里親宅に下宿している生徒に様々な聞き取りを行った結果、その内容は当該里親の証言内容とほぼ一致していた。中には、暴風の時の対応や当該生徒が「死にたい」と言ったときの対応など、適切ではない対応も一部確認されたが、高校入学時に当該生徒が書いた里親へ感謝の思いを綴った作文の存在や、学校や生徒、保護者などからの聞き取った内容からすると、里親と当該生徒との間には一定の信頼関係があり、厳しい指導も留学生を預かっているという責任感に基づくものであったと考えられる。そのため本委員会としては、里親の日常的な指導は、不当な指導にあたるものではないと推察しており、むしろ、生徒や里親が抱える悩みやSOSをキャッチし、救済する組織体制の構築が急務であるとの認識に立った。

 以上の箇所のみ目を通しても、わからないことがあるだろうが、亡くなった生徒が中学3年生の頃に、何かに躓きを本人が覚えて「自分はダメな人間なんだ」、「死にたい」と口にした際に、里親の男性が「何てことを言うんだ、しっかりしろよ」と、肩を掴み、頬を平手打ちしたことがあったこと、大声で叱責することがあったことを里親の男性が認めたことを記した箇所(同報告書6頁)が報告書にあり、それについて「里親の日常的な指導は、不当な指導にあたるものではないと推察しており、」と報告書は認識を示し、「むしろ、生徒や里親が抱える悩みやSOSをキャッチし、救済する組織体制の構築が急務であるとの認識に立った。」と記されている。

 大きな誤りがここにあると述べたいのではないが、「不当な指導にあたるものではない」と里親の男性の「日常的な指導」を擁護する一方で、ここには「しかしながら、里親指導の一部には児童虐待と認められる行為が含まれていたことも指摘しておかなくてはならない。」との趣旨のことが、瑣末なことかもしれないが記載される必要があるだろう。

 「(3)まとめ」として、報告書には次のことが書かれている。

 また、離島留学制度と児童福祉法における里親については、食事を提供し、愛情を持って養育する点では共通しているが、児童福祉法上の里親は保護者のいない社会的な擁護が必要となる子どもを養育する役割を担っており、専門的知識を有しているかどうかという点で、両制度の里親には大きな相違がある。しかしながら、離島留学制度上の里親も児童福祉法上の里親と同じレベルの対応が求められるなど、里親の役割が混同されている実情があるため、離島留学制度上の里親が担う役割については明確化する必要がある。

 この報告書を受け、「しま親」との呼び名が今後導入されるらしいことを耳にした。また、報告書との関係はないのかもしれないが、2027年度に対馬の厳原中学校に、特別支援学校の小中学部が設置されることも発表されている。

 報告書には冒頭に、「はじめに」として次のことが記載されている。

 前略…本委員会、そして各部会において最も重視した点は壱岐事案の重大性を踏まえつつ「離島留学制度」の実態や課題を明らかにし、今後、本制度を使って入学してきた離島留学生たちが安全で安心して学校に通えるよう、また生徒を支援する立場にある里親や教職員の立場も考慮しながら本制度を持続可能な制度にするという点であった。…中略…また、亡くなられた当該生徒に対し改めてご冥福をお祈り申し上げるとともに、二度とこのような事態が起こらないことを心より願っている。

 このため言葉がきついかもしれないが、亡くなった生徒がどうして亡くなったかの要因を掘り下げることは主眼とはされていなかった。それはこの報告書の性質あるいは性格上仕方がなかったのだろう。これを記す中で気がついたが、この「高校生の離島留学制度」が導入された平成15(2003)年は、県立高校の総合選抜制度が廃止され、長崎市と佐世保市に、公立の中高一貫校が創設された時期と重なっている。県下で、子どもが関与した殺人が続いた時期であった。

 報告書は一部黒塗りされた箇所もあり、そのことは必要な配慮であったのだと思う。そのことを批判する考えはない。今年3月に遺体となって発見された少年は、中学2年生の頃から壱岐の里親(児童福祉法の下での位置付けではない)の下で生活し、中学・高校生活を送っていた。中学生の頃には、一度も帰省しなかったことも報告書に記されていた。家庭環境にも、複雑な事情があったことが推察される。少年には壱岐の、今後は「しま親」と表記され、呼称されることに決まったらしい、仮の親元以外に帰る場所のない子どもであったことが想像される。

 報告書にあるように、離島留学制度と児童福祉法上の「里親」は異なる位置づけであったにも関わらず、この少年を受け入れてきた里親には、実質的には児童福祉法上の里親の役割が求められ、実際に必要とはされない里親の研修も受けていたことが記載されいる。恥ずかしながら、この報告書を読んで、離島留学制度の受け入れ先が、児童福祉法上の里親とは異なるものであったことを初めて筆者は知った。後の祭りだが、離島留学制度を利用する子どもたちすべてに、児童福祉法上の里親が必要ではないのだとしても、亡くなった少年に限って言及するならば、児童相談所が関与した上で、離島留学制度が運用される仕組みが担保されていたならば、この制度上の里親の負担も軽減され、少年が亡くなるまでの事態は避けられていたのかもしれない…と、そんなことが想像される。

 報告書がまとめられ、公表されたことは評価に値するものだろう。しかしながら、この程度の検証で済ませて終わらせて良いものなのか、一抹の不安を覚える。児童相談所にしても、人が足りずに手が回らない状況があることに恐らく変わりはなく、離島留学制度に関与する新たな仕組みが仮に設けられたとしても、十分な対応はできないかもしれない。しかし、劣悪な環境と耳にすることがある児童相談所の一時保護の下で、しばらく、離島留学制度上の里親のもとを離れることがあったらどうであったのか。実親はこれ以上、第三者からの聞き取りなどには応じたくはないのかもしれないが、捉え方によっては、実親からのネグレクトを少年は受けていたとの観点も、浮かばないではない。いずれにしろ、臭いものには蓋するかのように、この壱岐事案が忘れられたときに、耳目を集めるような事態が再び生じはしないかとの懸念を覚える。

 とは言え、この報告書に改善策も示され、記された改善策にはSSWerも現れ、人件費もついたようではある。それが適当な対応なのか、寧ろ付け焼き刃の対応にしか思えないけれど、とりあえず、静観するしかないのだろう…。知人らと多少話をした範囲では、この離島留学制度の闇は、公には語られないことを含め、かなり深いものがあることを覚えた。ご批判は承りたい。

 以下手短に、壱岐市離島留学制度のことについて改めて記しておきたい。

 2023年3月20日に、壱岐高校に離島留学制度を使って所属していた男子生徒が遺体となって発見された。少なくともその様に伝わっている。この離島留学制度は2003年に運用が開始されたとのことで、20年の運用期間最終時期に、生徒の死亡が確認されたことになる。

 これまでどのくらいの数の卒業生がいるのか知らない。だから、1人の生徒が制度を利用するなかで死亡したことをもって、その全てを否定するのは間違っていると思う。

 この壱岐事案を受けてまとめられた報告書に触れて、恥ずかしながら、初めて児童相談所などが関与する児童福祉法とは基本的に関係ない制度であったことを筆者は知った。報告書は、離島留学制度の継続を図ることを重要視してまとめられ、この様な悲劇を繰り返さないことを想定してはいるようだが、今回の死亡事案が起きたことを児童福祉法との関連において防ぐ視野は含まれてはいなかった。この点は制度の全てを否定するのではなく、検証不十分な課題として残された様に思われ、一抹の不安を覚える。

 確定的な言及はできないけれども、死亡した少年は失踪したものの、本人は想定外に亡くなる事態や事故に見舞われた可能性を否定することは極めて困難と思われる。要因を検討することは大切だと思うが、特定することは不可能と考えておいた方が少なくとも無難ではないかと考える。

 その上で、離島留学制度の受け入れ先の里親(児童福祉上の里親とは異なる)による身体的虐待や実親との疎遠な親子関係が、少年が失踪した要因としては幾つかの要因の一つとしては存在した可能性があることは想像される。現実に、本来ならこの離島留学制度では必要とはされていなかった里親の研修(児童福祉法上に用意されたもの)を、虐待行為を施してしまったのちに、結局亡くなってしまったが、この生徒の受け入れを行っていた里親(今後は「しま親」と呼称が変更されることになっている)は受講していた。制度上必要とされてはいなかったが、この壱岐死亡事案の背景には、児童相談所のような機関の関与の必要性は認められていたと捉えることはできる。

 正確な事実が把握できないため、推測の域を越えるものではないが、亡くなった生徒は中学2年生(2019年頃)の時期に離島留学制度で壱岐市で中学校生活を送り始め、中学生の頃には北関東の茨城の実親のもとには一度も帰省していなかったことが報告書に記載されている。このことを少年が実親の下で暮らしていた北関東管轄圏の児童相談所は全く把握できていなかった可能性がある。それは壱岐市圏域の児童相談所においても、同様の可能性は残されている。仮に関与があったとしたなら、もっと注目を集める報道になったかもしれないが、それよりも可能性として想像されるのは、中学校卒業後は、壱岐高校への進学ではなく、茨城県の実親が暮らす圏域の児童相談所の管轄下で、児童擁護施設に入所する選択肢と共に、実親の下で暮らす選択も探りながら、北関東圏の高校で学校生活を送る選択も存在していたかもしれないということだろう。報告書は、本来その様な可能性の指摘も含めて、今後同じことを離島留学制度において繰り返さないために、受け入れを断る選択肢をこの制度に盛り込む必要が最低限求められるのではないかと筆者は考える。

 報告書は限られた期間に、限定された構成員によって審議及び作成がなされており、その公開も期間限定となっている。それを踏まえるとよくまとめられたと一定の評価をすることも大切だとは思う。しかし、公の制度の運用の過程で、20年の節目を迎えた時期の生徒の死亡事案は必然的に起こった可能性も考えられ、そのための対策が報告書には盛り込まれてもいるのだが、果たしてそれで十分と言えるものになったのか、それについては筆者は疑問を抱かざるを得ないし、同様の疑問を持った者は筆者の周辺に他にも存在していることは記しておきたい。

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