岸田文雄の退陣表明に寄せて
阿呆の記すことだから、さして中身あることは記せないだろう。しかし、何処へもぶつけようのない怒りが心中にマグマの様に蠢く…。55年体制を継承する自民党総裁としては及第点が付けられるとの見方もあるかもしれない。年が明け自民党派閥裏金問題の批判を受け、先の国会ではその対応策としての法案も、衆参で採決時に補完野党勢力の対応に差は出た様だったが、多数決で与党案が成立した。それはこの内閣の在り方を象徴するものだった様にも思える。来月予定される与党総裁選には出馬しないとの表明は、何を言っているのかわからない会見と違い、わかりやすく、広く国民や有権者に理解される言葉で語られた…それは評価してもよいのかもしれない。
政府、つまり岸田内閣は2022年12月16日、外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安全保障関連3文書を改定し、閣議決定した。「国家安全保障戦略」は外交・安保政策の基本方針で、2013年12月に安倍政権によって策定されたものである。岸田内閣において安保関連三文書は初めて改定された。この改定で、従来の「防衛計画の大綱」は「国家防衛戦略」に、「中期防衛力整備計画」は「防衛力整備計画」に改められた。
「防衛計画の大綱」は1976年(昭和51)に初めて作られ、これまでに6回策定された。2013年の改定では、3自衛隊を連携して運用する「統合機動防衛力」の構築が、18年では、宇宙、サイバー空間、電磁波を含む全領域の自衛隊の能力を融合させる「多次元統合防衛力」の構築がそれぞれ明記された。
2022年12月の改定では、米国と同じ名称となる「国家防衛戦略」に改め、戦略的な側面が重視された。さらに、防衛装備品の5年間の調達計画を定めた「中期防衛力整備計画」は対象期間を10年間とし、名称を「防衛力整備計画」に変更された。正確さには欠けるかもしれないが、そのための費用は増税によって将来賄われることにもなっている。
第二次安倍内閣の発足が、これらの国の舵取りの契機になったのは間違いないだろうが、専守防衛からの大胆な転換は岸田内閣において実施され、吉田茂以来なされなかった政府要人の国葬を批判に怯むことなく実施したのも岸田内閣である。この国の平和主義は、憲法を変えずとも実質的に変質した…。
これら2022年12月の安保関連三文書の改訂以降、2023年4月6日には沖縄県宮古島市沖で、第8師団第8飛行隊所属のUH-60JA多用途ヘリコプターが、航空自衛隊宮古島分屯基地を離陸した後、海岸地形に対する航空偵察にあたる最中に宮古空港から北西約18kmの洋上空域でレーダーから消失し、のちに搭乗者10人全員の死亡が確認されている。
2024年4月20日10時33分頃には、伊豆諸島沖で海上自衛隊の哨戒ヘリSH60K(16号機、43号機)2機が、潜水艦を探知する訓練の最中に衝突して墜落した。乗っていた隊員8人のうち1人の死亡が確認され、ほかの行方がわかっていない7人は死亡したと判断された。既に、政府の国防を巡る大きな転換以降、自衛隊関係者18人が事故によって死亡してきた。防衛省内部での不祥事も続いている。今後類似の事故が起きない保証は何もない…。
退任が決まっている米国大統領が岸田内閣を評価するのは、この様な日米同盟の実質的な変化を指していると言ってもよいのだろう。国連総会で故安倍晋三は「積極的平和主義」との言葉を語った。「法の支配」との言葉も繰り返した。けれども、上述の様な変化は「積極的平和主義」とは呼ばない。それは消極的平和主義に他ならない。
2022年7月8日、田中角栄内閣の発足から半世紀を経た翌日、参院選の最中に奈良県下での自民党候補者の選挙応援中に、元自衛官の男性によって銃撃事件は起こされた。本来は貧困対策などを打ち出し、軍事力にはよらない方針こそが積極的平和主義と呼ばれるはずだが、自由な選挙応援演説の最中に銃撃された首相経験者は、旧統一教会の信仰を持った家族のために、進学などの機会を持つことが叶わなかったと伝わる元自衛官による手製の銃によって殺害された。
生活保護受給者への削減などを図る消極的平和主義に基づく政権運営の果てに、不幸な事件は起きた様にも思われた。その後、国葬の実施が内閣によって決行されたことは周知のことだろう…。昨年、2023年末には、これまでの保険証を廃止し、マイナンバーカードと保険証の統合を進める政府方針が、厚労省による保険証廃止の方針決定の下に閣議決定された様に思うが、医療DXと呼ばれる新たな効率化とデジタル化の推進を図るかの様な政策のもとで、普及が芳しくはないマイナンバー保険証を前提する医療受診環境を進める決定をしたのも岸田内閣であった。
自負とはこれらのことを指したのかもしれないが、広く国民生活を考えた上での政府方針とは思えないものばかりが、閣議決定や立法府での与党主導の法案成立で決められた。与党総裁選に出馬しないことで、一定の責任を取り、与党総裁選によって新たな自民党の出発をといったことらしいが、小渕内閣を最後に自民党単独政権は四半世紀余り成立していない。野党の結集による政権交代も期待はできないが、故安倍晋三の誕生翌年に発足した自民党は来年結党70年を迎えるものの、最早や国政を担う与党としての信頼を有権者から得ることは難しいと言った方が適当ではないのだろうか…。
火の玉になって取り組む決意は、宰相岸田文雄の心中に炭火の様に燻っているとしても、有権者から信頼を獲得することは不可能と…腹を括ったかの様だ。潔いといえば、そうかもしれないが「(政治は)決めるときに決める」などのこの政治家がしばしば口にし、その自負を支えた業績は一有権者として評するならば寝言の様なものだった…。日米安保は政府が破棄する意思表明をすれば、1年で破棄可能とされているが、既に半世紀以上自動更新を前提に、日本政府の安全保障政策は進められている。岸田内閣にはこの安保体制を抜本的に見直す意思などさらさらなかった…。
首相になることだけが目標で、何をどうするか、それがない政治家だったといった評を目にしたが、それは確かに腑に落ちる。この内閣の決定に異議を唱えなかった私たち有権者の責任も大きかったことはいうまでもない…。
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