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なぜPCR検査の数が増えないのか?

 なぜPCR(polymerase chain reactionポリメラーゼ連鎖反応)検査が増えないのか。今朝テレビ番組で伝えられていたことに触れて、「なるほど」と思った。

 中根千枝(人類学者)の「タテ社会の力学」(講談社現代新書)に日本の組織が凡そ四つの種類に分けられ、その関係性に触れて、その性質に言及がされるのだが、政府のあるいは国の感染症対策に関係する人々のコミュニティでは、PCR検査数の増加に伴って生じる疑陽性の患者への対応に、その検査数を増やすことのできない要因が在るようだった。

 中根は先の著書で、生物学の研究者にヒトデの周口神経環の説明を受けて、その役割が日本社会における権力や権威といったものと類似していることを指摘し、それがコントロールセンターの様な役割を果たしてはいないことを巧妙に説いている。

 今朝のテレビ番組で伝えられていたのは、厚生労働省の官僚などがPCR検査数の増加に慎重なのは、疑陽性の患者に対する人権侵害の問題についての懸念があるからということであった。国は昨年、長く続いたハンセン病対策の過ちで原告に敗訴しており、政策課題として感染症対策における誤った人権侵害の問題にどの様に対応すべきか、慎重にならざるを得ない現実を抱えている。

 ハンセン病の対応では、京都大学皮膚科特研で診療にあたった小笠原登医師が、その当時感染の危険性は低く、隔離の必要性は高くない旨を訴えても、そのことが退けられ、岸信介内閣の下で、小笠原医師とは対峙する強制的隔離を唱える医師が表彰される過去も現実にはあった様だが、PCR検査数の増加に伴い必ず生じる一定数の疑陽性患者を隔離する際に伴う人権侵害が、その増加に政治的な決断を下せない要因にあるらしいのである。ここには多分に推測も含まれ、厚生労働省の官僚等を一方的に批判することも避けるべきことだ。

 しかし、推測されることに具体的な事実が含まれるとしたら、国会で問われる必要があるのは、PCR検査の増加に伴い必ず生じる疑陽性の場合の保障と、検査数の増加に対する国民的な合意を得る審議、議論を行うことなのだろう。閉会中審査で可能なのならば、それでもよいのかもしれないが、本来なら国会を臨時的にでも開催して、PCR検査の増加に向けた審議と予算を組むことだろう。既に型破りの二次補正予算は組まれたのだから、使い道の定まっていない予算をそれに緊急に当てることが喫緊の課題ではないかと考える。

 ご批判は承りたい。

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