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いのちの選択

 不意に思い出し、資料など手元にないのでとりあえず記憶をもとに記すが、本来なら公において常に本質的な議論がなされる環境が整えられていないことはこの社会における問題だとはいえるだろう。

 あれは麻生内閣の下で改正法案が採択されたのでかれこれ14年くらい前になるのだと思う。国内で漸く臓器移植に関する法律が誕生したのは20世紀末のことだった。最初の臓器提供者は確か高知で発生し、提供者は主婦らしかったが正確なことは明らかにはされていないと思う。だから、正確にはわからない。しかし、国内最初の提供例として報道がされると、当時は耳目を集め大変な騒ぎになっていた様だった。

 この時のことで私が覚えているのは二つのことである。一つはその際に提供者家族と接触を持った臓器移植ネットワークの関係者が後に明らかにしたこととして、法に基づく初の提供例として騒ぎとなり、その中での提供の意思について確認する際に、「今回は見送ることにしてはどうか」と提案したということがあった。喧騒の中で身内の死を伴う臓器の提供を、思い留まることを勧めたのであった。それは既に20年余りの時を経たが、適当な対応であったと私は考えている。落ちついて家族の死を受け入れ、その臓器を提供を待つ患者のために提供すると決断するには、とても落ち着いて判断できる様な状況にはなかったと思うのである。

 しかし、国内最初法に基づく移植医療の実施はその様な状況下で、それでも家族から本人の意思を尊重してのことであったのだろうが、提供の強い意思が示され実施されるに至ったのであったと思う。誤ったことを記していたら修正をしたいが、この様な事実は繰り返し検証される必要のあることだろうと思う。

 話は飛ぶが、その後、移植医療の法律の改正が求められて実施された。橋折って記すので乱暴な書き方になるが、改正前の法に対する世論の不満は、子どもからの臓器の提供が認められていないことにあった。年齢制限があり、原則として成人からの臓器提供しか認められていなかった。また、その法が改正されるに至ったのには後に知ったが、外圧もあった。イスタンブール辺りで取り決められたイスタンブール宣言なるものがあったらしく、そこで決まったのは凡そ移植医療の渡航移植に抑制をかけ、極力必要とされている国や地域で、提供を望む患者が移植医療が行われる環境を整えられる様にする合意であったようだ。正確なことは必ずしも理解できていないので間違いを記したらご批判は承りたいが、その基本的なことが社会全体で共有される努力が十分にはなされていないのではないかと思う。

 結局、麻生内閣の下で改正案は成立し、子どもからの臓器提供も国内で可能になった。しかし、私はその改正案には反対であった。正確には反対というよりも、審議すべきことが不十分なまま、改正法が成立してしまったと考えてきた。しかしながら、それ以上何をしてきた訳でもなかった。個人的には不備のある法だとは思っているが、だからといって、その法の下で実施された移植医療がおかしなものだったと考えているわけではない。不備はあっても、その下で移植医療を進める他ないのだから、それで成功事例として考えて差し支えないものは、それでよいと考えるほかはない。

 それでも、実際に医療に携わった人々からも、現状に対する不満の声を耳にしたことがある。それは当然生じる異議であると思った。何故なら、改正法は国会で移植医療を可能とするとしたのみで、具体的に必要な審議が何もなされなかったからである。簡単に言えば、現場に丸投げの法律で、法において、国内で実施される移植医療に、公がどこまで責任を持つのか、そのことについては何ら定められていない法律となっているのだから、穴のあいたバケツの様な欠陥法なのだと思う。

 日本国内では原則として「脳死」と呼ばれるものが、移植医療の前提にあって、そこから柔軟な対応が取りにくい。そのことは必ずしもマイナス要因ばかりではないかもしれないが、改正法を審議する際にもっと検討すべきであったのは、公の責任として、移植医療の実施、つまり提供者をいわゆる「脳死」状態として認め、臓器の提供にGOサインを出すに至る際に、そのことに責任を持ち、社会に対してその説明責任を果たす組織や機関を法に位置付けなかったことは最大の欠陥であったと考えている。

 岩波のブックレットに、改正法に反対する立場からまとめられ「いのちの選択」というよくできた図書があり、そこから名を拝借して、「いのちの選択委員会」(仮称)を法に定め、その運営に税金を投入することを国会で審議して定めなかったことは、国会及び国会議員の怠慢であった。恐らくその様な委員会を法に位置付ける際には、それだけでは恐らく不十分で、同時にその委員会の運営や判断を検証する「いのちの選択検証委員会」とでも言う異なる組織を位置付ける必要がある。

 足りない頭で考えて思うのは、その二つの組織は構成員が全く同じメンバーでは不味いと思うが、ある程度両委員会に席を置く構成員が若干名存在することは、具体的な運営にあたっては必要なこともあるだろう…ということである。取り越し苦労とはこのことかもしれないが…。

 その上で、基本的には「脳死」と呼ばれる概念は移植医療の実施にあたっては原則として白紙に戻し、ただし、科学的な視点としての移植医療の実施の判断に必要とされてる死の判定基準としては残すというのが適当なところではないかと考えてきた。他者の死によって提供される臓器により、その移植で治療するとの趣旨の医療には、基本的にどこまでも矛盾が伴い、どこまでも割り切れない問題が残されことが寧ろ普通のことである。その矛盾をそれとして残しつつ、どこまでも可能な限り、必要とされてる移植医療が実施できる様に運営してゆく、その積み重ねしかないのだろうというのが私個人の結論になる。

 10数年を経て、法改正の後、子ども臓器提供者からの移植医療も実施されてきたが、個人では不可能な巨額の費用を寄付を募って賄い、渡航して医療を受けようとする子どもやその保護者はなくなってはいない。その様な切実な移植医療を望む個人の営みを批判する考えはない。けれども、個人的に寄付はしないことにあるときから決めた。それは先のブックレットを読んだのちのことになる。米国などで移植医療が実施可能となるのは、結局、北米の合衆国で生じる児童虐待等の結果として、臓器の提供者が現れる現実もあり、必ずしもその様な臓器提供者ばかりではないとしても、移植医療が受けられ子どもの存在の前に、やはり命を落とす海外の子どもが存在しているのはある程度間違いない。

 記し忘れたが、国内最初の移植医療が実施されたときに起きたことのもう一つは、臓器移植ネットワークの対応に不備があり、提供を受けられる患者の選択に人為的なミスが生じたとして、コンピューターを導入した取り組みを進めるとしたことが当時伝えられていた。それは必要な判断であったかもしれないし、そのとき問題となったことがどういうことであったかは知らないが、それがある程度の匿名性を保った上で、何が問題で、何をどの様に変えたのか、それは外部のものには知らされないままであることも、実は問題なのではないかと思う。既に20年ほどが経過したが、ある程度公的な立場から何がどのように変化し、その結果課題はどの様に解消されたのか。そうしたことがオープンに議論できない環境が放置されたままなのも、やはり問題があるのではないかと思う。

 以上あれこれ記したが、だからといって、個人的に不備があると考えている現行法の下での移植医療の全てが間違っているということではなく、未まだ海外渡航による移植医療を望む個人が国内で生じることの責任が現行法にあると言及することは寧ろ誤りで、どこまでも民主的な議論を積み重ね、幾らかでも希望する医療がそれを望む患者に届けられる環境を整えていく努力を払う必要が私たち社会の構成員にあると言うことなのだと考えている。ご批判は承りたい。

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