感慨
昔、本当に昔、Twitterを始めたての頃に趣味でもTwitterそのものについてもお世話になった仲の良いフォロワーさんがいた。まだアタシがニセコイの界隈にいた頃で、連載もまだギリギリ終盤に入っていない、盛り上がっていた時期だった。
その人は当時高校生だっただろうか。8年前だから1年生だったとしても24歳。順調に人生を送っていれば立派な社会人だろう。
でも、彼はもうTwitterにはいない。少なくとも観測範囲内には。
ニセコイの連載が終了すると時を同じくして、一切の更新が途絶えた。削除もされず、凍結もなく、2016年から全く動かないそのアカウントを度々見に行くことがある。そこにはいつも同じツイートと、画像と、いいね欄が並んでいて、それとなく、止まった時の切なさみたいなものをアタシに感じさせる。
ついさっきも、なんの気なく彼の変わらないユーザーページを見ていたつもりだった。
そんな時、ふと、アイコンが目に留まった。
彼のアイコンはアタシとFFになった時から全く変わらず、ニセコイ、鶫誠士郎の模写イラストだ。茶色く見える地の色と、色が少々薄い線が、一目でアナログイラストであることを理解させる。彩色もない、顔以外描かれていない、それでも彼のアイコンには魅力があった。小学生のあの頃から、素敵だなと思っていた。自分も高校生になればこんな絵を描けるのかな、と夢想した。
そのイラストを久しぶりにまじまじと見つめ、こう思った。
「ヘタクソだな」と。
可愛いのだ。素敵なイラストであることには変わりなかった。しかし、髪の毛の塗りがのっぺりしてるし、パーツのバランスも良いとは言えない。顔の輪郭も若干歪だ。
そう思ったこと自体に、えも言われぬ感慨を覚えたというか、過去の彼と、そして自分から時を超えて贈られた賛歌だと感じた。
当時高校生が(おそらくさほど時間をかけずに)描いたイラストに対して、一応美大生になったアタシが下手だな、なんて思うことはごく自然なのかもしれないけど、その絵より上手い絵を描けるようになることでなく、その絵に対する見方が変わることで変化を実感するとは思いもしなかった。
人の絵を貶しておいて、という感じだが、あんなに憧れていた絵が、なんだか取るに足らないものになってしまった、という哀楽入り混じった感情が、すごく、愛おしい。
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