最近聞いている音楽の話(The Caretaker:Everywhere at the End of Time)

 私の性質みたいなものだが、会う人と時折音楽の話をする癖がある。まあ、私は話題に乏しい人間なので音楽の話が一番できるというだけの話なのだが。

 自分がよく知らないジャンルの音楽を好む人、ある程度知ってはいるが本当にそれが好きという人ほどは知らないジャンルの音楽を好む人など、結構人それぞれで色んな楽しみ方があると思っている。
結局のところ、音楽は星の数ほどあるので、誰と話しても自分の知らない音楽というのは出てくるし、その曲と巡り会えるかは縁次第なところもあるので、「自分はまだまだ不勉強だな」と思うこと自体がかえって不躾なような気もしてくる。生きている間にこの世の全ての音楽を聴けるわけでも無いのに、知らないことを恥じても仕方ない。何を知らないのかも実際は知らないのだから。

 この話は一回この辺で置いておいて。
そんな私は人の声のない音楽というのが存外好きで、日常的によく聞いている。とはいえ、元々は所属する団体でソプラノとして歌っていたこともあるので、そういうジャンルの曲も聞くし、HIPHOPも人並みくらいには聞く。
 色んなジャンルのものを積極的に聞いていたいなと私は思っているからだろうか、これに詳しいしレビューを書けるし評論できるぞというジャンルがあるわけでもないが、人並みには様々なジャンルを聞く傾向にある。ジャンルを限って自分の好みの可能性を狭めてしまうのは惜しい気がしていて、食わず嫌いはしないようにしたい。とはいえ、J-POPやK-POPはもはやどれから聞けば良いのかわからないのでほとんど聞けていないのだが。誰かおすすめを私に教えてくれ!!!

 まあ何がともあれ、最近の私がよく聞いているのが、"Everywhere at the End of Time"である。ジャンルは・・・なんだろうな。ダーク・アンビエントな感じはする。詳しい人が聞いたら激怒しそうなくらいの薄い感想と知識と文章力しかなくて読む人がいた場合には申し訳ないが、詳しいことを知りたかったら自分で調べて欲しい。多分すごい専門的なレビューを書いてる人は何人でもいそうな気がするから!

 この作品はアルバム六枚(+α)からなる六時間超えの作品で、James KirbyによるプロジェクトとしてThe Caretakerという名義で作られた。いざ聞いて見ると古めかしい音から始まるが、実際は2016年から2019年にかけて作られた割と最近の曲たちである。テーマはアルツハイマーや認知症などに見られる「記憶が失われる」という点にあるようで、最初から聞いていくと「徐々に記憶が失われていく」という一つの物語になっているのがわかる。
 最初のStage 1は確かに甘美なジャズのような曲から始まる。見たこともない景色が目を閉じれば浮かぶような気にもなる。だが、それも徐々にノイズが多くなっていき、Stage 4くらいからはもうノイズを聞く音楽になってくる。時々曲が一瞬だけ戻ってくるが、大抵一曲二十分程度のノイズ音を聞くことになるので、だんだん鬱屈としてくる。
Stage 1の曲に含まれる甘美さによって色付けられた郷愁すら灰色に戻し、そして次第に何色でもなくなっていき、記憶としての輪郭すら曖昧になってノイズに消えていく。そして「失ったことにも気付かなかった」はずなのに、ある時ふとその事実に気付いてしまい困惑し足掻こうとするものの、また気付いたことすら忘れてしまう。そして最後には・・・。

 この曲を聴く時は絶対にStage 1から聞かなければならないだろう。仮にStage 4,5,6から聞こうものなら一曲とて聞き終わることがない可能性もある。そのくらい鬱屈とした、そして単調な、そこだけ見れば退屈に見えるノイズ音楽が続く。
 だが、最初から聞くとすれば、六時間以上をかけて一つの物語を追体験するような気持ちになる作品だと思う。特に最後の一曲、"Place in the World fades away"ではある一瞬から鳥肌が止まらなくなること間違いなし。こういう音楽に興味がなくても、一回は聞いても損がないと思う。

 最後まで聴き終わった後、Stage 1の一番最初の曲である"It's just a burning memory"を聞いた時、その記憶の鮮やかさが最初よりも鮮明に感じ取れた気がするのは私だけだろうか。記憶が失われる過程を音楽という形で6時間以上かけて追体験したからか、題名の通りに燃えているかのような鮮烈さがある気がしてならない。想定されているのが昔の記憶だからか、ノイズが蓄音機の音のように流れてはいるものの、その中にある鮮やかな記憶から強烈な懐かしさを感じた。失われていく過去の鮮やかさみたいなのもテーマに入るのかもしれないってくらい印象的だったかも。
 よくよく考えなくても、Stage 1として想定されているであろう時代は二十代半ばの小娘が知っているはずのない時代なのにね。こういう時ノスタルジーって何って思う。
 Liminal Spacesにしても、知らないはずの場所を知っている気がして懐かしくなることがあったりもする。昭和を知らないのに昭和を懐かしいと思う。だから「いつかどこかで確かに存在した何か、ただし今ここにない何かへの憧れの想像」みたいなものなのかなあとは思うけども、それでも懐かしさの正体を理解できるほど生きてない。
 多分1回目に一曲目を聞いた時と、2回目に一曲目を聞いた時とでは、主人公への解像度が違うからこそ、私にとっても鮮やかに聞こえてきたのだろうか、なんて妄想みたいに思っちゃったりもするが、どうだろうか。鮮やかだったものが、親しみを持って見ていたものが、ノイズの向こうに消えていってしまい、最後にはノイズすらもなくなってしまう。いつか自分に降りかかるかもしれない忘却が、親しみを通じて恐怖としてじわじわと染み出してくる。

 曲名は曲においての物語性を補うようなものになっているが、残念ながら私にはまだ訳す資格はなさそうだ。英語力という意味合いもあるが、単語は調べればわかる。そういうことじゃなくて、自分でしっくりくる良い訳が浮かぶほど、曲の物語性を理解できていないのだと思う。それを理解できるだけまだ私は十分に生きていないと思うし聞き込んでもいない。とはいえ、直訳しただけの言葉を題名として語るほどこの曲への興味がないわけでもない。もしいい感じな訳が浮かんだらまとめてみたいなあ・・・。

 これから少しずつ暖かくなってくるので、私の春秋限定のささやかな日課が復活する時期だろう。この日課というのは、夜に窓を開けて外の風や空気をほんの少し感じつつ、音楽を近所に聞こえない程度に音量はかなり小さめで掛けて、ゆっくりとお茶を飲むというもので、時々目を閉じて考え事をしたりぼんやりしたり、普段は聞かないようなささやかな呼吸音や雑音の全てをも楽しむ。この時間は全ての作業を放棄して音楽と紅茶と夜を楽しむ時間として決めている。
 Stage 1の曲を掛けながらこの日課を行うというのも、私的に豊かな時間になりそうだな、なんて思っちゃったりしているので、もう少し暖かくなったらやってみたいな。

 

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