作った曲の歌詞の話

 色々あって嫌なことが重なったので、久しぶりにワイン1瓶と缶チューハイ数本を片手に数時間かけて曲を作った。眠る頃には三時前だったので、大体二時間半か三時間くらいはそれに時間を使っていた気がする。
 せっかくなので、今回は昨日作った曲の歌詞と、その前に作った「くらげの歌」の歌詞を載せようと思う。おまけで、そこから読み取れる自分のことについても少しだけ。

くらげの歌

まあるい月に導かれて くらげがぷかぷか浮かんでた
けど月はとっても遠いから くらげはふらふら流されて
光が作る道をただ 夜風に吹かれてどこまでも
月が照らした海の冷たさを 一人彷徨う夜の海月(うみつき)
波よ、来い 彼のためだけに
くらげのために月は光る

広い海に旅に出て あちこち流され「今どこだ?」
でも月が優しく光る日は 水面もきらきら光るから
真っ黒な地図 どこへ行こうか
月の光で道を描け
月が導く空の温もりを 一人たゆたう夜の海月
星よ、降れ 彼のためだけに
くらげのために時は進む

くらげは浮かぶ 海の底で 二つの月が離れていく
月も見えない暗い水底で 一人輝く夜の海月
闇よ、来い 彼のためだけに
くらげのために僕は祈る
その海の月に 僕は祈る


昨日作った曲(仮題:夢見た誰か)

目覚ましが鳴る三分前
眠りの国から連れ出されて 夢の世界に背を向けたなら
セピア色の現実が来る
悪いことは続く 嵐が笑った
何もできない無力さを嘆いた
明日が来ること 今も怖いんだ
それでも時間は止まりやしない
もういっそ宙(そら)の彼方まで飛んで 誰にも知られない星屑になれば
涙もミルキーウェイに溶けて 誰でもない私になれるかな

白黒な世界が眠ったら 窓際に手を掛け飛び出そう
そのまま海の果てまで行って そこで聞こう 
世界の音を
優しい波の音 月が問いかける
「こんな夜だから踊りませんか?」と
今日を生きること 意味は見出せない
それでも僕らは生きる他ない
もういっそ海の底まで沈んで 誰にも知られず漂うのならば
命もちょっぴり塩味に
誰でもない私は誰になる?

夜の端っこが青く染まる
輝いた朝が僕の手を引く

目覚めの時間がもうすぐ来るけど
目を覚ます前にもう一度手握る
自分を許すこと 
何もないけれど そこに私がいてもいいかな

色々思ったこと

 基本的に私が作る曲の歌詞は可愛いワードが多い気がする。これは割と意図してることではあって、私が曲を作るのは基本的に自分の慰めのためなので、私が傷つくようなワードは使いたくないからです。
 くらげの歌はちょっと例外的なところがあって、これだけは親友ちゃんのことをふと思い出したから作りたくなった曲。とはいえその背景に自分が寂しくなった的な理由も少しはある。だから、「お互いこんなに優しい世界で生きていたかったね」っていうそういう気持ちも少なからずある曲。
 一人でぷかぷか綺麗なお月様と顔を付き合わせて生きていくって、孤独だけど辛いこともないのかなあって。誰からも期待されることもないけど、誰からも失望されることもない。理由のない悩みに思い悩むこともない。こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないっていう焦りも無い。優しい海と綺麗な月があるだけの世界。きっととてもつまらないけど、辛いことだらけで生きることから逃げたいなあって思ってしまうこともそこそこある私には魅力的で優しい世界ですね。
 生きるって実はそれだけでかなり辛いことなんですよね。何かがあるから苦しいんじゃない。生きることそれ自体がそもそも辛いこと。だから、そんなつまらなくて幸せな世界を想像するくらいは許されてもいいかなって。

 一方で昨日作った曲の方は、完全に私の慰め、あるいは酒のアテのためだけに作った、一言で飲酒作曲した曲です。だからところどころフレーズごとの繋がりがない。それは完全に私の思考回路の乱れだし、夢のような無作為さがあったから、そのままに作った。お酒を飲んでる時はこういう思考回路の乱れとか明らかな無作為さを修正しようという意思が弱くなると思ってて、歌詞をつけるときにはワイン一本空けた後だったのでいい感じに作れた気がしている。でも「夜の端っこが青く染まる」以降は今日作った箇所なので割としっかりしている。
 酔った頭でも考えてたのは、「朝→夜」を一番と二番で作り出そうかな、作ることがあれば最後のフレーズを朝にして、夢の中のふわふわした感じを生み出したいな、ということだった気がする。実際は一番のコーラス部分から夜になってるんですけどね。最後の「自分を許すこと 何もないけれどそこに私がいてもいいかな」だけは少しだけ違う意図があるけど、一貫したイメージはそこだったと思う。
 あと、自分が誰かもわからないような輪郭の見えない「自分」が、大人になった今に至っても自分が誰なのかよくわかっていない「自分」が、夢の世界で形を得て、現実にまで侵食して、何もかもが入り混じって「誰か」になっていく不思議な感覚を形にしたかった。この曖昧さを表現するためのふわふわが欲しくてワイン一本と缶チューハイ二本飲んだ。

 反省点があるとすれば、可愛い単語力が私にないことですかね・・・?あと夢のふわふわ感と優しさが足りないこと。あと最後に自分の自我が出過ぎたこと。
最後のフレーズはほぼ無意識に生み出されたワードなんですけど、ちょっと考えてみると、「私が与えられることの無い、でも何よりも求めていた」言葉なんですよね、これ。私が言う可能性は性格や思考的に多少あるんですけど、私が言われる可能性ってのはほぼ0%の。自分が許せないままだと辛いのは分かりきっているというのに、自分を許すことができない時ってありませんかね?私にはある。そんな時、解決能力はなくても絶対にそばにいてくれる人がいるのって凄く安心するんですよね、きっと。
 私がその小さな幸せ未満の幸せを誰からももらえなくても、たとえ人間が自分の受け取ったものしか人に与えられない生き物だとしても、何かの奇跡で私のその気持ちが伝わる時があって。何かできるわけじゃ無いけど、その人が自分を何かしらの形で許せるようになるまで側にいてもいいかな、って。そう聞いてみたい人が何人かいるんですよね。そういう気持ちが素直な形で当てはまったからつい自我を突っ込んでしまった。ある意味それが「目覚め」という感じ。

 まとめると、「くらげの歌」は「私が生きていたい、つまらなくて優しい世界」で、昨日作った曲は「中途半端に誰でもない自分が誰かになっていく過程」を描いたということになる。自分の中の何かを削って出来るのがこのワードなので、私の中にある世界というのは案外ファンタジーなものなのかもしれない。
 まあ、自分を慰めたいだけの曲作りなので、自分が傷ついたり重いなって思ってしまうものにはしたくないし・・・。
 むしろ、「なんか寝れそうだな」レベルの穏やかなものに曲調もしているつもり。なんかどっちもそこはかとなく沖縄っぽいし。どうもできないような辛いことは酒飲んで笑いのネタ話になるまで酒でふやかすしか無い時もあるが、ふやかした結果がこの曲達。まあつまり、酒飲んで歌にして流すというストレス解消なのである。あまりに巧妙!
 今後も作るとすれば多分そういう曲。どこにでもありそうな凡庸さ、あるいはそれ以下の適当さで、それでもきらきらした星屑みたいなものを作りたいなあって。

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