送った手紙の話

 昨日、私が心の底から可愛がっていた後輩が引退をした。正直、待ち望んでいたような、永遠に来なければ良いと思ってしまうような日が昨日だった。私は事前に書いておいた手紙を送るか、直前まで迷った。用意した手紙は5通。一人は連絡先を持っていないので送れない。でも4通は送る気にさえなればすぐにだって送れる。でも、もうとっくの昔に引退した先輩からのメッセージってなんだか重くないか?とか、でも「必要なこと」もあるしなあとか色々悩む理由はあった。
 色々と考えたが、「まあ、多分もう直接会う機会もほとんどないだろうし、言いたいことは言ったほうが私的に気持ちが楽!」という結論に至り、彼らが最後の行事を取り行っている最中と思われる時間に送った。あえてこの時間に送った。途中で見られたら困ってしまうから。そのくらい、本気で書いたものだった。

 この手紙の内容は、五通それぞれ内容が違う。その中でも、ちゃんと送った四通についての話をしようと思う。内容の全てを言うわけにはいかないので、軽くだけど。いろんな理由、大体は文字数だが、そのおかげで手紙には書けなかったこともここに書こう。あえて手紙じゃなくて、目につかないところでその意図をバラすというのも隠し要素みたいでオツなものかな、なんて。見られても困らないけど、手紙に直接書くのはこれから選択されるべきifを先見して固定してしまうようで嫌だってカットした内容もあるし・・・。要するに、このテキストはズル専用のアンサーシート補足みたいなものだ。私が忘れないための。

 実は、四通全てを照らし合わせて読むと、私という人間がどういった人間なのかが随分とわかるようになっている。一人の手紙には私が持っていた「視点」の話を、一人の手紙には私がいかにしてこういう人間になったかという「経歴」の話を、一人の手紙には私が彼らに持っていた「愛情」の話を、一人の手紙には私がした小さな「誓い」の話を。
 もちろん、全員に対して慰労の気持ちと大事に思っている気持ちは共通部分として伝えたが、それぞれ固有のトピックに関してはそれぞれが最も欲しているであろう情報を自分から切り出したつもりで、今伝えないと、あるいは今伝えられないと後悔してしまいそうなものたちだった。それだけの縁を他人と繋いだことにまずは驚いている。

 さて、まずは「視点」の話からしよう。
 この「視点」の話を送った後輩には以前にも手紙を送ったことがある。だから今回はその内容に対する「種明かし」になるような手紙にした。きっと、私からの問いかけのお手紙の内容を何度も噛み砕いて、考えながら今年一年頑張っただろうから、この手紙がないと彼は一生この件をもやもやさせたままにしてしまう気がした。だからこそ、問いかけを投げた私からのアンサーが必須だった。
 私が思うに、組織には最後に「楽しかった」の一言で締められる人間も必要だが、それでは済ませられない人間も必要だ。私は断然後者で、だからこそ、人の中に転がっている「私が最も嫌うタイプの孤独」が目についた。「自分がいる間はその人たちの元に行って手を握って歩いてやれる。でも、私がいなくなった後はどうなる?」という目を常に持っていた。これは、プラスのポイントからの問いかけではなく、むしろマイナスのポイントから俯瞰して生まれた問いかけだった。この視点に助けられる人も多い。それが、ある種閉鎖されたコミュニティならばそうであるほど。
 私が思っているだけだが、「俯瞰」というのは、必ずしも上から見下ろすことだけを示すわけではない。いや、辞書的には高いところから見下ろすことを俯瞰というのだが。生き方においての「俯瞰」に関しては、必ずしもこの通りだけではないと思うのだ。それぞれの持つ等身大の視点から、一歩だけ後ろに下がって、少しだけ背伸びして見渡してみる。それだけのことでも、見えるものは多くある。高くに居すぎては、見えるものも見えやしないのは自分の人生のそれまでが証明していた。
 「楽しかった」の一言で締める間だけでは、過程で多くを取りこぼすだろう。逆に、そう締められない人間だけでは未来の希望なんてものはない。閉じられている組織であればあるほど、このマイナスからの視点は必ず必要なものになる。プラスの方向に時が進めば進むほど、置いていかれそうになる人が現れるのだから。苦しみはいつも過程の中にあるからこそ、結果論でものを考えず、楽観視をせず、何かしてやれるわけではないが一緒に悩んではやれる人間が必要だった。私は彼に、その視点のあり方を見出していた。
 出番は多くはないだろうが、存在するということそれ自体に意味がある。それが「視点」だ。持っているだけでは大して意味がない。常に用いつつ、同時にそれに対しても問いかけ続けることで初めて意味があるものなのだから。
 なんとなく様子を見るに、私の意図を、彼が意図していない部分で受け継いでいたのだろう。正直、「どうやっても最終的にはこうなるだろうな」というのはかなり前から具体性を持って見てはいたが、それを彼が自分で生きて発見しようとする過程に価値があった。答えが分かりきっていることに問いかけ続ける人間はいないだろうから。手紙には、「どこまでが私の予想通りなのかは伏せる」と書いたが、ほとんど全てが私の予想通り、あるいは仕込んだ通りだったことを彼が絶対に見つけないであろうここで白状しておく。知られたら怖がられそうだし・・・。
 ただでさえ、一部の人にはエスパーとか預言者とか好き勝手に呼ばれているのだから、知られない方が良いこともあるだろ。その時にある情報全てを使って考察していく時、クリティカルになるピースが欠けていなければ、大局を三ヶ月くらい先くらいまで幾つかのパターンを推測することができるというだけの話だが。必要な情報が秘匿されていては話にならないし、推測を始めた時に重要人物の表情が薄すぎるとその瞬間に得られる情報はゼロに近しいのでとてもじゃないが推測できない。三ヶ月は三ヶ月でも、得られる情報量次第では精度がだいぶ変わる。つまりはかなりのところでアテにならない推測だ。
 今回のことも、私は先輩として接してきたから「それぞれの人物に関する情報」がしっかりあったし、私がそもそもそれまでの盤を作り上げた大きな要因の一つでもあったので、他人が知らないであろう情報、つまりは「誰の意思がどのように働いて今の盤が成立したのか」という究極すぎる情報を持っていた。そしてこれからを担う人物に問いを事前に、とても丁寧に投げていた。そうであれば、結末までおよそ見えているのが当たり前というだけのことだ。
 ただ、これを知られるのは夢も何もあったもんじゃないし、なんか私の化け物感をより顕著にしてしまうだけだと思って伏せた。ただでさえ強キャラ感を感じ取られている気がしているので、予測精度やらに関して位は誤魔化してもいいよネ!という適当な面があっても許されるはずだ。そうじゃないと泣くぞ。

 次は「経歴」の話を。
経歴とはいっても、履歴書みたいなことを話したわけではない。ただ、以前相手方の方から自分の話を紹介した記事が送られてきたことがあったから、その返事というにはしょうもないが、自分の人間性の話をいずれしなくてはと思っていた。こう思っていたのは、半分は嫌味、半分は純粋な善意だ。
 善意の面を話すとすればのことだが。彼は私から見ると結構な不器用さんなので、不器用さに救われる人もいるのだという話をしておきたかった。スマートに何事もこなそうと頑張って無理をしてしまう人だと思っているからこそ、「ある一人の不器用さに確かに救われて人生が変わってしまった」私の話をば。嫌味な面がフェードインしてきたからか説明が足りなくてきっと半分も伝わってないだろうけど、「スマートで優しいところも好きだが、一番彼に関して好きなところを言うならば、不器用なところが好き」っていう、最低限必要な情報だけが伝わればいいかな。他人に伝わる自分の情報はシンプルであればあるほど良い。他人の読解力に期待はしないのがベター。そういう考え方が嫌味の部分。
 内容に関して触れていく。
 そもそもの話だが、彼と私の優しさはそもそも系統が大きく異なるものだと思う。穏やかな海みたいな優しさの彼と、夜の闇のような優しさの私。同じ地平に立って一緒に歩いてくれる彼と、一緒に座り込んで地面を見る私。優しさの系統だけでいえば正反対の存在だろう。それでも、きっとお互いのあり方に気づいた上で尊敬を持って見ていたのが私たちだったと思う。私にとっての彼の優しさは、どう頑張っても自分が獲得できないものだった。
 人を受け入れる努力というのは、私にとって最も難しいものだ。何せ、元々人間を恨む気持ちや怒りなどが強い。これに関しては以前の記事を見て欲しいが、要するに、人間として生きることに向いていなかった人間未満の存在が私だった。他人の海で生きているにも関わらず、誰かを孤独にしないと生きていけない生き物が人間であり、孤独に人を追いやってしまうことが人間という種族の最大の汚点だと考えている。言葉や社会といった、あらゆる制限を使ってうまく入り込めない「他者」を追い出し、内部のみで一致団結して固まってきたのが大小こそあれ人間のグループというものだ。
それは人間の持つ叡智であるとともに、一つの罪でもあるだろう。もっとわかりやすくいうと、「人を殺す権利」ではなく、「生かす人間を選ぶ権利」を選択したとはいえ、やっていることは私が生まれるよりも昔から何一つとして変わってはいないということだ。皆で一体となることは絶対にできないからこそ生じる残酷さと卑劣さ、純粋さと陰湿さを生まれてからずっと何かしらの形で感じ続けてきた私にとって、他者というのはいつも敵の名前でもあり、自分の名前でもあった。
 だから「出会った人間全てに感謝」なんてワードは夢物語もいいところだとは今も思っているし、出会う人間全てに手を伸ばしてやろうなんてことも思わない。人間自体を心のどこかで恨みながら、それでも割を食ってしまう不器用な人間のことはなるべく見捨てないでいようとしただけのことだ。人間の中にあって人間の手で生み出される孤独は、私の知る限りとても辛いものだから。人間を孤独にするのは人間だが、そんな人間の孤独を癒すのもまた人間であることを体感している私には、その辛さも、ありがたみも人の倍くらいはわかった。
 その種類の優しさしか持たない私には、自分にできない努力をひたむきに続ける彼のことが眩しくて少しだけ妬ましくて、絶対に相容れないなコイツとはなどと思いつつ、その不器用さに関しては好ましくも思った。空想論だと思いつつ、その可能性を夢にみた。なんとなく、彼ならやってのける気もしたからかなあ。だからこその尊敬。そして、その視点から見た時、私のような人間にも良いところがあると伝えてくれたことに関して、感謝もしていた。少なくとも、相容れない人物と思いつつも世話を焼く気になるくらいは気にかけていた。
 彼は自分らしさというものをまだ探究している途中の人間で、私は一つのあり方をもう見つけた人間。彼にとっての私がいかなる人物かは正直よくわからないけど、一つのあり方を見つけた人間の「経歴」は彼にとって大きな導となる気がしている。今はおそらく半分も意図が伝わってないけど、それはこれから彼が生きてあり方を見つける中でいずれ私が伝えなかったことにも気付くだろう。気付くならば数年後といったところか。運が悪ければ気付きやしないだろうけど。どちらでも別に構いやしない。折り合いをつけて生きていくだろうし、多分会うこともほぼないだろうから責任を取る必要もない。
 まあ、でも。マトモなコメントするなら。自分の中にあったものを取り出して他人と出会うことで自分らしさを作り上げるだろう彼と、他人の中にあり続けたからこそ最後に自分の中から一つの自分らしさを得た私。正反対のことが多い私たちの一つの「結論」だけは、あながち遠くじゃないところに出るだろう。私がそれを見届けることはないだろうけど。まあ、その日を楽しみにしておいてもいいかな、なんて卑屈な上から視点で感じるくらいに情はある。
手紙では絶対に書かなかったけど、不器用なのは君や私が愛した人だけじゃないってことだね。私の背中を見て育った後輩だと自分で思うなら、私が背中で語ったこともわかっとるじゃろ?以上!

 次は「愛情」の話か。
 実際、最後の「誓い」と内容は似ているが、こちらを「愛情」と称したのには理由がある。「愛情」では、今までずっと私の中にはあったが、伝えては来なかったものを書いたつもりだから。「愛情」と「誓い」を送った二人には隠し事らしい隠し事をしてないので、上二人に書いたような、考え方とかそういうレベルのものを全部を取っ払って、裸一貫の私がお相手となったお手紙だ。従って、実は二人のお手紙が一番長い。仕方ないね。この二人は私にとって初めての我が子のような後輩だし。
 でも、こちらの彼女に伝える必要があったのは色々あるには違いないが、結局のところ「真心」だろうなと思った。話せなかった期間がとても長い子。きっと私と一番似ているタイプの寄り添い方ができる子だから、私が言い出すまでは何も聞かないと思った。だから、私から伝える必要があった。
 内容に関して話すべきことは実の所多くない。手紙に書いたことがほぼ全てだ。強いていえば、こちらの方では曲の話をしたり、私が今年一年夢見ていたことについて話したか。私のような人間が夢に見ることなんてそう多くはない。ただ、私は自分の名前の通り、綺麗なものを追いかけていく人間だったというだけのことだ。
 私の名前は二つの意味に取れる。一つは、綺麗なもの「を」追いかけていくというような意味。もう一つは綺麗なもの「であること」を追いかけていくという意味。言い回しは変えているが、一部を別の字に当てはめれば言わんとすることはわかるだろう。私にとって彼女は、追いかけていく綺麗なものであったと同時に、綺麗なものとしてのあり方を見せて連れていくべき人だった。
 少し話が逸れるが、私が歌ってきた曲の中で割と共通点になり得る、好きだったり得意だったりする曲の特徴は「星」や「日の出」だと思っている。暗い空の中で一等に光る星の眩しさを知っているから、私はそれを表現しようと躍起になっていたのだろう。
 実のことを言うと、その輝きは、私のそばで彼女達が一番見せてくれていたものだったと思う。いつも私が歌いながら見ていたのは、その場にないはずの、でもしっかりと見える星だった。技術で補っていた「空想の星」を、実在する星にしたのが彼女たちだった。
 私が見つけた星の眩しさを言葉にすることはきっとできない。だからその輝きを他の手段で見せるほかになかった。それが、他の誰でもなくあなたたちに歌声で伝わっていれば良い。誰よりも私と歌う時間があった彼女たちが私の歌声に何を見ていたのかはわからない。でも、私が勝手に見出した希望だけは彼女たちにも伝わっていてほしい。その輝きだけは、嘘だらけで隠し事が多くて、冷え切った世界で生まれてここまできた私が見せ続ける嘘のない姿だったから。私が歌に対してストイックでいられたのも、歌っている時だけはどんな私にもなることができて、正直でいられたから。歌声で見せる私は全てが真実だった。ならば、見つけた星と希望を表現しようと躍起になった瞬間から、それらの実在もまた真実だろう。
 歌う技術こそ教えはしたが、代わりに私は人間であることを教わった。もちろん、「経歴」の話でもした通りの根本的な考え方は変わらない。今更無理だろう。でも、その中にあってそれでも輝くものがあると確信させてくれたのは私にとって、どう頑張ったって返礼が追いつかないほどの価値のあることだった。
 「あなたと出会ったってだけの偶然に、誰よりも何よりも救われた私がいた」と告げるためだけにたくさんかいた手紙だ。ほかに語ることなどありはしないよね。

 最後が「誓い」かな。
 彼女とはプライベートでも遊ぶ仲なので、一番よく見てきた子といっても過言じゃないだろう。言いたいこともいっぱいあった中でめちゃめちゃ厳選したんだよね。初期案からめちゃめちゃ内容量増えて、そこから三分の一くらいにしたから。
 彼女の場合は、私が勝手に誓ってたことが果たされたということを知らせる必要があった。慰労もしたかった。やりたいことたくさん。
 私から見た今年の彼女は、選択の山にいつも埋もれている子だった。彼方をとればこちらが、こちらをとれば彼方が。常に葛藤の中を歩いているように私には見えていた。私が知らない葛藤もあっただろうし。
 だから、割と序盤で「選択」という行為が持ちうる価値の話をした。葛藤の中で選んだ選択の全ては、それがどれだけの損害を生もうと、どれだけの功績を残そうと、その「選択」自体にまつわる価値は等しいものだっていう話。そりゃ選択したら結果は絶対出てくるけどさ、ゲームみたいに選択して結果がわかったら「はい、ロード」みたいなことはできないわけですよ現実って。だから、結果を知らないのに選択できるっていうのがまず一つ超凄いことなんだよね。
 結果を見て周りは好き勝手に評価するけどさ、もう結果を知った他人が後でなんて言おうと後の祭りでしか無いから。そうなったもんはしょうがないでしょ。結果に文句を言うような人は放っておいて、これからどうするかを考えてくれる人と一緒にいればいいよ。人が好き勝手に言う悪口には囚われるくせに、自分と同じ視点を向けてくれる人のことを蔑ろにする方が選択失敗なんかよりもよっぽど失敗だよ。大丈夫、アングラな環境での選択でも無い限り、やらかしたからといって命まで獲られることは多分無いから!・・・多分!
 ってことを伝えようとしたけど、伝わったのかは微妙(笑)
 そして本題だよね。誓ったこと。私にものを誓わせるのって本来めちゃめちゃ難しいと思うんだよ。誓いは約束よりも上位のものだし、自分が絶対に守るルールを軽率に増やして自分が苦しむリスクを上げるのも馬鹿らしいと思うし。ましてや当時、年が明けたら存在ごとなかったことになるレベルで行方をくらませてやろうとか思ってた団体の人に対して、誓おうとは思ってなかった。かけらも。全く。
 でもさあ、居るうちに無茶して暴れて警鐘を全方向にカンカン鳴らしたり、悩む可愛い後輩の話くらいは聞いて、何言われてもまあ墓場まで持ってってやるかあって思った私が思わず「それはだめだろ」って真顔になっちゃうレベルのモノを聞いちゃったからさ。私が居るうちは一緒に抱えてやろうって決めてたけど、もうすぐいなくなる予定じゃん私・・・って。
 結構迷ったっちゃ迷ったけど、割と一瞬で勝手に誓ったよ。勝手にね。その時までにはその子は私にとって妹分であり愛弟子であり可愛い我が子だったし。色々あるけど、団体そのものへのものよりもただ一人に対する情が簡単に勝っただけのこと。私にとってこの子も私が見た「星」だった。
 誓った内容は、その道を見届けることまでを踏まえていた。だから、手紙を書くときまでずっと様子を伺ってた。もうそこまでいったら普通の友達よな。定期的に会って、その成長を感じながら、一人の友人として、先輩として、大人として、そばにいた。終わりの時を着実に見据えながら。
 結局、最後まで見届けましたとも。きっとその中にある喜びや後悔、そういったものを言葉以外からも感じつつ、最後まで一人にはしなかったつもり。ガバ判定だろうけどね。時々一人になりたかったかもしれないが、私の目が届くうちは私にぎゅっぎゅされてもらったぞ。もう一回言う。絶対ガバガバ判定だった!!!
 そんなこんなで誓いは果たされたけど、正直私と彼女の関係は今後も変わらないと思う。たまに会って美味しいご飯食べて。あ、また岩盤浴行きたい。それだけかな。
 じゃあ何が言いたかったんじゃって話じゃん?それはね、「誓っても良いと思うくらいあなたのことが大好き」ってことなのよ。自分が思ってたよりも彼女のことが好きだし、一人の友達として大事。大切じゃないわけないよね。それだけ伝わってたらあとはなんでもいいかなあって。
 あとは、そうだな・・・。うん、きっと私だけがずっと考え続けていたifの話をしたかな。きっと怒られちゃいそうな勘違いかもだけど。それでも、明確に縛り付けたのが私だってずっと思っているから。ifを考えるのも人間の自由なところの一つよね。その選択自体はきっと間違ってなかったし後悔もしていない。なんなら誇ってるかもしれない。
 ただ、そんな私がいたってことを知って欲しかっただけ。手紙の中でくらい、私が甘えたっていいかなって。


 うん、お手紙の中身はこんなものかな。四通全部違う自分を切り出してると思うから、見比べることがもしあればびっくり仰天確定演出が入ると思うんですが、どれも私なんですよ。自分が複雑なアレすぎてドン引きしちゃうレベルですが、多分それぞれの内容はそれぞれや私にとって必要だったりするものなので、諦めて受け入れて欲しい。ちなみに、読むか否かは当人に委ねてます。暇な時にでも、とか言ってるし、読まなくても何も困らないから。暇な時に読めって言ったのに爆速で読んだ人もいたけど。
 なお、手紙の最後には茶でもしばきながらゆっくり話したいとは書いてあるけど、多分一人としかしないだろうなとも思ってる。もう3月に会う半確定演出入ってるからね!
 まあ、不器用なので、私の中では「お茶でも・・・」がさようならの意味になってしまったのかもしれない。なんてやつだ。だが私は謝らんぞ。

 最後に私のちょっとした後悔の気持ちと届ける気はかけらもないものを書いておくか。小片みたいなものだけど。
 この手紙たちは、もう話すこともほとんどないであろう先輩から最後のクリスマスプレゼント(超巨大質量の感情)だったわけです。薄情なことを言うと、半分の人とは話すのもきっともうこれっきりだろうし、そもそも来年は後輩の出るコンサートに行く気もあんまりないしね。来いと言われたらいくかもしれないけど。でも多分行かない。色んな意味で行けない、かなあ。行きたくないというのもホントの気持ちと言えばそれはそうだし。

 うん、まあ、色々あったけど最後まで見届けることはできた。きっと、私のせいでこの団体をやめなかった人もいるから、見届ける気はずっとあったけどね。それが育てた責任ってなモノでしょうし。
それに、私がすくい上げた人、あるいはすくい上げられなかった人の分まで終わりに連れていかなきゃ行けなかったし。
ずっとおぼえてるよ。私がいたから辞めるまでの期間を引き延ばしてくれた人のことも。辞める意思を固めた後もなるべく私の支えになろうとしてくれた人のことも。全部、嫌だと思ったって忘れられない。「私が何をしたんだよ」とか、「その価値がこんな団体に、そしてこんな私にあったのか?」とか、そういう心の底からの負の感情の言葉が出ちゃうくらい、私のおかげで頑張れたって言ってくれた人がいたんだもん。でもそれは違うんだよ。私が何をしたって、その人自身が奮起してくれなきゃ、その人自身が私の手を取ろうとしてくれなきゃ、どうしようもなかったんだよ。私は、私のおかげと言われるだけの働きを何一つしてないんだよ。
だからせめて、その人たちに「私のおかげ」と言われるに相応しい働きをしたかった。その形がその人たちにとっては嫌だったかもしれない記憶、あるいはもう忘れられた記憶を、私だけはずっとずっと引き摺ったことで。その上で見届けた。悲しいとか後悔とか、そういう気持ちを全部鷲掴んで終わらせる必要があった。
本音を言うと、少しだけ、本当に少しだけ、辛かったなぁ。他人に理解なんて求めてないし、私が勝手に苦しんだだけだけど、それでも私くらいは私に頑張ったって言ってやっても良いかなって。

 正直、言わないもののずっと気にしてたこともあった。私が大嫌いな孤独に追い込まれてる人がいたこともあったし。それが気に食わなくて大暴れしてた時もあるわけだし。私の一番の後悔はその人のことだ。
 多分、その人のことを支えられたのは私だけだった。私の見立てが甘かった。そりゃそうだ。どれだけ寄り添えるだけの視点があっても、状況を知っていても、どれだけそばにいてやれるかとはまた別の問題なんだもん。「私の代わりには、私の持っていた役割を同じように持った人間であってもなり得ない」ことに気付かなかったんだもん。この前提レベルのミスが色んな人のことを傷つけた。
 全部わかった上で向かい風の風除けになれるのはきっと私だけだったし、それを誰もが知っていたんだよね。わかっていたはずだったのに。私のせいで取りこぼしてしまったのかもしれないなって。多分そんなこと言える太いやつはいないと思うけど、それでもずっと私だけが私を責め立てていること。
 彼にはしっかり、年が明けたらいなくなることを伝えてたけどね。しっかりすぎるくらいに。さようならも伝えた。しっかり目をかけて貰えるように促しはした。それでも、いなくなってしまうまでのブランクの期間がどれだけのモノだったのかがなんとなく見える。一人は、寂しい。誰よりもそれを知っているのが私だったから。
 誰にもその件で怒れない。一番追い込んだのは私だったかもしれないわけだし。全て、彼の心情や状況を粗方は知っていた上で、生命線の管のようなモノでもあった私を私自身が引き抜いた。全て知った後からしばらくは毎晩のように思い出した。正直なことを言うと、何をしても7割くらいの確率でそうなっていたとは思っているけど。そもそもクリティカル決まっちゃう要因があったし、元々のモチベーション的にも結構無理があった。彼自身、私がいた時にはそのつもりはなかったと思うけど、私にとっては当時から「どこまで延命処置ができるか」の勝負だった。一応最低限頑張れるようにと手を尽くしてはみたよ。でも、足りなかった。多分何もかもが。それだけのこと。
 私の後悔なんてしてても誰も触れないだろうけどね。優しい子たちだし。あの子も、私の表情から私がどれだけ追い詰められていたのかをおよそ正確に把握できるくらいには観察眼もあったから、触れないでしょうね。ほんと、優しすぎて最悪。涙が出てくるわ。

 見られることもないだろうから堂々と言うけど、これからもあんたのことは忘れてなんかやらんぞ。こんなこと、わざわざ誓ったりしないよ。誓うまでもないから。もう二度と会うことも話すこともないだろうけど、忘れる生き物である人間の頭に一生残してやるから。だから、あんたはさっさと私のことなんて忘れなさいよ。私が覚えてりゃいいんだからさ。いつか私に会っても知らんフリできるくらい忘れてくれりゃ御の字。私はあなたにとって良い先輩だったかなんて絶対聞いてやらないから。
 別に私を恨んでもいい。何ができるってわけでもないでしょうし、恨むだけなら私もしてるから。お互い様でしょ。ネガティブな人間同士、そのくらいコミュニケーションの範囲内でしょうから気にするだけ無駄よね。まぁ、気が済むまで恨んだら、最後には忘れられるでしょ。だから好きにしな。人間を恨む歴に関してはあんたより私の方が長いんだから、恨まれる覚悟だってしてんの。
 何が言いたいかって言うとね。貴方の孤独とか苦しさっていう「かつてあったもの」を理解してやることは一生できないけど、わからないなりに記憶して引きずって歩いていくからよろしく。あなた私に言ったでしょ。全部抱えすぎって。ここまで抱えたらあんたの記憶も抱えてくから。安心して恨むなり忘れるなりしなさい。私しか覚えてない記憶とか、私しか知らない良いところとか、一生忘れてやらないから。
 あなたに言いたいのはそれだけ。さようなら。どっか私の知らないところで生きなさい。いつか会うことがあれば、まぁ顔の色くらいは見てあげるから。

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