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『カード・カウンター』出よう!外に!無理だとしても!※ネタバレあり


巨匠、いつもの味と反骨精神

ポール・シュレイダー監督最新作の本作は、まさしくいつものシュレイダー作品であることは間違いない。いつものシュレイダー作品というのは、何か内にトラウマと狂気を秘めた主人公が、何かに囚われ狂気をひたすら募らせていく、そしてその狂気がどこに向かうのか…といった話だ。その話の結末は様々だが、大抵は全く碌なことにならずに終わる。ただ、その終わりが、主人公にとってどうなのか、ということは毎回変わる。

『カード・カウンター』は、その終わりが非常に美しくロマンチックだった、ということにまずグッときた。シュレイダー御大がこんな前向きな!という衝撃があった。その衝撃たるや、同日公開のザ・フラッシュやらスパイダーバースの比ではない。弩級のサプライズである。

同時に、自分の貫いてきたスタイルはそのままに、世の中のてめぇ勝手な風潮に利用されることを絶対に是としない、その反骨精神がバチバチと伝わってくる、巨匠の一本でもあった。

御大が脚本として参加した、不朽の名作として名高い一本として、『タクシー・ドライバー』が挙げられるが、その映画の力は凄まじく、その力の方向に善悪は無いため、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こしたジョン・ヒンクリーは、同作を繰り返し見ていたことは有名だ。デ・ニーロ演じるトラヴィスという男は間違いなく、今ならネトウヨ待ったなしのクズなのは間違いなく、映画もそう描いているが、いかんせんデ・ニーロなため、異常な魅力がある。映画の解釈やらとらえ方は個人の自由なのは当然だが、作り手は間違いなく『タクシー・ドライバー』がこうした暗い欲望の象徴としてとらえられることを容認しなかった。

そこにくると、今回の『カード・カウンター』の描き方はそうした象徴には絶対にさせないという強烈な意思が見て取れる。映画は一見、テルとカークが疑似親子的で自己犠牲的な継承を経て、テルが贖罪を果たし、ついに安らぎを得た…というような展開がある。

その際にテルが使用するのは、自身が封印したい過去であるアブグレイブ刑務所で培った尋問スキルだ。自身の傷となるものを使用し、善きことを成す…おそらくそういう映画は今までもあったし、これからもあると思う。それはケースバイケースで見ていく必要があるが、今回はアブグレイブ刑務所である。そもそもそれを作品の中の一要素として使用していいのか、という点は当然批判がある思うが、特にアメリカ人にとっては、忘れたい過去である。これを一種プラスに転化する、という展開で御大は一度観客を「安心」させる。そのまんま終らないでしょうという予想はできても、やはりハッピーエンドが見えてくる。

その際のテルの独白に、自分を許すのと他人を許すのに大した違いはない、というようなものがある。これはテル的には本心であり、映画的にも重要だ。だが、その後カークが結局復讐に走り、殺されてしまうという展開により、テルが使用した手段は最悪の暴力であり、結局自分を許すためカークを利用したのではないか、という皮肉に響く言葉でもある。例え善きことを成そうとしても、その手段が暴力ならば最悪の結果になる。映画が悲劇を迎えるからこそ、このメッセージが強く響く。そして、この映画をプロパガンダに使わせはしない、という気概を感じた。

と同時に、やはりシュレイダー作品である。結局テルはまたしても暴力を用いてゴードを殺す。しかし、御大はその場面を画面に映すことはしない。もはや暴力をどう映すのかではなく、映さない。テルとゴードの痛々しい叫び声だけが響く場面は、恐怖とある種の滑稽さを感じた。ここでもまた、勝手に何かの象徴とはさせないという意思を感じる。しかし、同時にテルがここに戻ってきてしまう、というのは巨匠の持ち味である。そこで色味が無い薄暗い部屋に、陽が差す、という演出は息をのんだが、やりすぎじゃないのと思った。これもまた、持ち味です。

その後、再び服役の身となったテルのところに、ラ・リンダが面会にやってくる…というのはめっちゃ都合が良いなとは正直思ったが、しかし二人がアクリル板ごしに手を合わせ、Robert Levon BeenのMercy of Manが流れた時は、映画の終わり方として素晴らしく、普通にグッときて悔しかったが、しかし、このドストレートにロマンチックなエンディングを、あのシュレイダー御大がやったとなれば、それは乗るしかない。タクシー・救急車・リング、協会、ムショにカジノ…どっかに囚われて煮詰まっていた人間が、いよいよ外に出るまで、あとアクリル板一枚のところだと思うと、これまたグッときてしまう。実にチョロい。そして何より、出ようという意思を感じられるエンディングが素晴らしい。

いつも同じ、というのは見る側としては安心感があるが、しかし時代も観客の見方も刻々と変化していく中で、いつも同じを体現し続けるのは凄いことだし、いつも同じにも、やっぱり差異があり、この辺を劇場で体感できるのは、実にグッとくるなと思ったりした。自分も出るしかない!いろいろな意味で外に!嫌です!

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