【息子との関係】

私の息子は、特に1歳~3歳初めぐらいまで、私に対してはほとんど笑いませんでした。
ムスッとした仏頂面で、ほとんど笑ってくれませんでした
私がリビングで横になり、ウトウトとしていると、私の顔の上に積み木の入った袋を落とし、
何も言わず、仏頂面で仁王立ちしていたりします。
「なんだよ!痛いだろ!おとうしゃんもビックリしちゃうよ!」というと、妻が「積み木で遊んでほしいんだよ」と言います。
「いやいや、そんなことは分かってるけど、やり方と態度があるだろ」と思いながら、仏頂面の息子と積み木を積んでいました。

そんな頃、保育園の一時保育をお願いするようになり、妻が夕方から予定があると、一時保育で預け、私が仕事から帰るときに、保育園にピックアップするということが通常になっておりました。

そんなある日、いつものようにピックアップに行くと、玄関を開けた先に息子が立っておりました。
「おお、今日は楽しかった?早く帰ってご飯食べよう」と私が息子に呼びかけると、息子は今まで私だけには見せたことがない満面の笑顔で、私のところに走ってきました。
そして私の右足のふくらはぎに抱き着き、上を見上げて、また満面の笑顔で私に微笑みかけてきます。
すると奥から玄関に出てきた保育園の先生がしゃがみながら。息子に対して「この人だれ?」と聞きます。
すると息子は「おとうしゃんなんです」と言いました。
先生は「偉いね。パパじゃなくて父さんて呼ぶんだ」と言いましたが、そんなことはどうでもよく、その時私は初めてという感じで「ああ、俺はお父さんなんだ」と思い直しました。

だからと言って、「父親としての自覚」とか「親としての責任」など考えず、ただ普通に生活しておりました。

それから3年後。
息子は保育園の通常クラスに入園でき、毎日通園しておりましたが、水泳の時間が苦手だということがわかりました。
私は小学校から高校まで水泳をやっておりましたので、スイミングスクールに通わせることに抵抗があったことから、「自分が教える!」ということで市民プールに息子と行くこととしました。
毎週日曜日午前10:00から11:30まで練習をして、そのあとは息子のご褒美として、最寄り駅のマクドナルドで食事をして帰る、という日が6月から9月まで続きました。

息子が6歳になった後の9月、いつものように練習を終えて、マクドナルドのレジに並びながら、メニューを見ておりました。
日曜日のお昼なので、かなり混んでいました。
「お前、何にすんの」というと「僕は○○のセット」と言います。
「わかった」といいながら、ちょっとボケっとしていると、息子がこう言います。

「おとうしゃん、どうして僕はおとうしゃんのことおとうしゃんて言うのかな?」。
わたしは「それはね、おとうしゃんがパパって呼ばれるのがちょっと苦手だったから、おとうしゃんがおまえに『おとうしゃんのところにおいで』とか『おとうしゃんとお風呂入ろ』とか言ってたからじゃないかな」と応えました。

すると息子は、ボソッと次のように言いました。
「でもね、僕がおとうしゃんのこと初めておとうしゃんて言ったのは、今と違う保育園でおとうしゃんが迎えに来てくれた時に、先生に『この人だれ?』と聞かれて『おとうしゃんです!』と言ったのが、おとうしゃんをおとうしゃんと呼んだ最初なんだよね」。

私は息子のその言葉を聞いて、周りが混雑しているのも考えず、息子に向かって「はぁ~~~~~~?!!!!」と大声を出してしまいました。
「お前はなんで、あんな些細なことを覚えているの??」とも思いました。
しかし、それ以外は息子にも問わずに、レジ前に並んでいました。

あの時以前も、息子は私を「おとうしゃん」と呼んでいました。
別に「おとうしゃん」という単語を言われることは珍しいことではありませんでした。
しかし私はあの時、「ああ、俺はお父さんなんだな」と改めて思いました。
それはもしかしたら、息子が自発的に私に関わって発した言葉だったのかもしれません。
そのようなことから、「だから、俺はあの時改めて父親を自覚したのかもしれない」と思ったのです。

こう聞くと、「親子の血の絆」と考える人もいらっしゃるのでしょうが、私としてはそんな一言で片づけられたくなく、「お互いを思いやって長い時間一緒にいた証」と言ってほしいです。
血のつながりがなくても、お互いを思いやって生活していれば以心伝心は普通に起こります。
私がうれしかったのは、「あの仏頂面をしているときも、俺をお父さんという気持ちで生活してくれてたんだなぁ」という感覚です。

まぁ、そんなこと言っても、「父親としての自覚」とか「親としての責任」等はあまり感じてないんですけどね.

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