【ラブホという場所の裏の顔9 スーさんの笑顔】

ラブホテルの清掃の物語

ボイラー技士のスーさんは、今から26年前で60歳ぐらいの寡黙な男性でした。
いつも仏頂面をしていました。
詰所でみんながバカ話で大笑いしているときも、輪には入らず、自分の定位置で文庫本を黙々と読んでいました。
時折、ホテル全体に問題が起こった時ぐらいに、ボソッと自分の意見を言うような人でした。

松田君がアジアの勤勉な職人だとすれば、スーさんは日本の寡黙な職人でした。

そんな1994年初頭、私はかつて登録していた、大学の体育の授業で1週間、スキー合宿に行くことになりました。
私はスキーをやったことがないし、もし1週間で、そこそこできるようになればいいという考えと、それで単位がもらえるということも相まって、合宿授業に登録したのでした。

それで1週間仕事を休むことを社長とチームのみんなに告げると、スーさんが「スキーはやったことがあるの?」と、微笑みながら聞いてきました
私は「やったことがないんですよ」と応えました。
それが、私がスーさんと真剣に会話をした最初のことでした。
寡黙なボイラー職人と、客室清掃員だった私たちは、挨拶以外、ほとんど言葉を交わしたことがありませんでした。

そこからスーさんは、こと細かくスキーのことを話して教えてくれるようになりました。
実はスーさんは北国の出身で、小学校の頃から木製のスキー板で、学校の授業の一環として経験を積んでいる人だったのです。

スーさんは、まるで私を息子にスキーを教えるかのように、一つ一つ丁寧に教えてくれました。
それにつれて、自分の生い立ちや、仕事の話も私にはしてくれるようになりました。

そんな話を聞いていたフロントの女性が、自分もスキーが好きで一家言あると参入してきましたが、スーさんは笑顔で「いやいやそうじゃなくて」と消極的ながら会話が弾むようになりました。

結局、私は1週間の合宿で、お世辞にも滑れるようになったとはいえず、ただ「スキーができる人は本当に楽しいだろうなぁ」ということが分かった程度で帰ってきたのですが、それでもスーさんとフロントの女性は、笑いながら「それでいいんだよ」と言ってくださいました。

その年の3月、私が京都に旅行に行った際に、お土産でもっていった八つ橋があったのですが、その八つ橋とあったかいお茶を、フロントの女性がスーさんに持っていき、スーさんも笑顔で「ありがとう」といって食べていました。
そこから2人は、色々な世間話をするようになり、ちょっと詰所の雰囲気が変わるようになりました。

ホテル内のボイラー担当者は、本当に責任の重い仕事で、皆と談笑する余裕もない人が多いのかもしれませんが、ちょっとした機会で、余裕を持つことができるんだと、教えてもらった気がしました。

本日はこれまで。
それでは、また次の機会に。

私の雑文は、以下でまとめて読めますので、ご興味のある方はどうぞ。
https://note.com/sababushi1966
よろしくお願い申し上げます。


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