自己 肯定

"あなたの長所を教えてください"

僕はこの質問が死ぬほど嫌いだ

これを聞かれるたびに

よく分からない頭を揺らされるような

ある種の拒否感に惑わされる

僕はどうしようもなくひねくれており

どうしようもなく、人間不信だからこそ

この質問に違和感しか覚えない

そもそも人に"長所が必ずある"という

前提があるのが気に食わない

初等教育から教わった

"長所を見つけよう"から

高等教育の自己PRを含めて

そもそもこの前提である事が

おかしい、絶対に

人には、倫理観が備わっているとは

限らない

それは今日まで、戦争、略奪、殺人が

繰り返されている人の歴史が

証明してしまっているのである。

そんな中、自分が聖人だと誇張するほど

僕は清々しく嘘はつけない

そして、たとえば

人に優しい奴がいたとする

こいつは誰彼構わず助けるし、

困っている人がいたら見捨てられない

そんな奴だとしても

助けた奴からお礼すら言われなかったら

たぶんそんな非効率的行動は

取らないであろう

そいつは人の褒められ待ちをしてる

哀れな可哀想な人間であると

僕は容易にこじつけてしまう

そして挙げ句の果てに

結局そんな人助けの裏には

肥大化した自己承認欲求が隠れているに

違いない、と考えてしまう。

しかしこれは間違いでは無いはずだ。

誰もが認められたいがために、行動を起こす

自分の利益のために行動する

しかし、そんな自己承認欲求は

世の摂理からいえば、

悪いものでは無いだろうか

それは、人が持ってはいけないモノだと

僕は考える。

このように、長所と短所とは

表裏一体であり

それを分けてPRさせて

嘘偽りの自分を評価されて

社会の役に立ちたいと

また心に無い言葉を重ねてしまう。

こんなことは、誰が望んでいるんだろう

バカみたいな空想に付き合わされる

身にもなってほしい。

今の日本の世の中は

見えたく無いものまで見えてしまう

そして大半は人の悪い行動ばかり

新聞が発達し、テレビが発達し

ニュースが発達する。

そしてSNSが発達した今の世の中は

不祥事、不倫、殺人、不審者

結局のところ人に良いも悪いも無く

ただ自分の利益を求めているだけなのだ

そんな獣に価値はあるのか

僕らは非力で、世界からすると

無価値であると定義すべきである。

利益のみに囚われるような

悲しい奴隷になりたくない

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