なぜか今日は、
朝7時に目を覚ます。
別に何も用事はない日なのに
早く起きてしまう。
水泳の授業をこなした後のように
深く眠れたので二度寝しない選択を取った。
なぜか今日は
太陽に良く照らされている気がする。
いつもと変わらない日のはずなのに
適当に朝飯を食べて、ぼんやりと
適当なことばかり知らせるテレビを見る
少しばかり笑えたニュースが多いように感じた
何事も捉えようなのだろうか
昼からの用事に間に合わせる為に
細々とした家の掃除と身支度を済ませる。
いつもよりも体が軽い。あきらかに
まるで羽が生えた気分だ。
君の呪いが解けたのか
いろんな圧から解放されたのか
とにかく普通の光景が色彩に溢れて
まるで揺蕩う花びらのように見える
生きててよかった
今日だけはなぜかそう思える
別に何か身辺に変化があった訳じゃない
急に大金が貰えたわけではない
でも一つ一つの景色や風景を
大事にできる心が取り戻せて
とても感動している。
気分が良くなり音楽をかけてみる。
こんな天気のいい日は決まってアジカン
「迷子犬と雨のビート」を聴きながら
柄でもない散歩でもして
余生を謳歌する老人に会釈をしながら
街を見つめる時間がとても感動した。
感受性を取り戻せたことが嬉しい。
昼からの夜にかけての用事を済ませて
帰宅してから夜ご飯を作る
服と飯は自分を着飾る一種のアートだと考える
服は人の性格を映し出す鏡であり
個性的でかつ攻撃的な服を好むのか
ユニクロのマネキンが歩いているような
清楚で無難で面白くないと思える格好をするか
この文章で僕がどちらを好むか自明である。
そして飯はその人の生い立ちや生活を表す。
何が好きで、何が嫌いで
どれほどの経済規模の家庭で育ったのか
そいつがどんなことを考えているのか
飯の好みを見れば分かるように思う。
そう思えば飯なんてただの栄養補給として
ここまで調理法が発展することがないし
服も局所を隠すだけに発明されたが
今ではこのように重要視される道具となる。
まさに今を生きる文明人だと自分を俯瞰で見る
普段ならこんなこと考えないのに
なぜか今日はそう思える。
風呂に入っていると
また別の考え事が浮かんでは
泡のように消えて、また何か考えてる。
明日の晩御飯は何を作るか
そもそも明日の予定は何か
何時に起きなければならないのか
そんな身近な日程調整から
将来自分はどう生きるべきか
次のライブでどんなパフォーマンスをするか
駄作として作った曲のメロディが実は
昔好きだった曲のイントロだったなとか
果てなき探検に出ている気分になる。
この日々の充足感を生涯忘れられないだろう。
夜、眠りにつく前に、
本を手に取り、自分に読み聞かせる。
基本的に自己啓発本は意味の無い羅列で
ここで指す本とは、全て小説である。
昔読んだことがあるものや
買ってから日を跨ぎ手をつけなかったものなど
多種多様な情報を脳に染み込ませる。
電子版ではなく僕は本の紙の匂いや
ページを捲る音、時間を忘れられるひと時を
楽しみにしながら読むことが好きである。
そして気ままに寝たい時に寝る。
なぜか今日は
生きるということに感謝し
時間を無駄なく過ごすことができた。
でもこんな中でも悲しみに暮れる誰かや
街の夕日に溶け込み街灯のネオンの一部に
成り下がる労働者もいると考えると
なぜか今日は涙が出る
僕がこう思ったからといって
何ができるわけでは無いけど何か悲しく虚しい
自分だけを思って生きてきた日々ではなく
他人のことまでも思える自分になりつつある。
それが嬉しく今日も不安なく眠れる夜を過ごす
(嬉しがるのはおかしいだろうがと感じたそこのあなたは、他人を出汁に自分の機嫌を取ることはそんなに悪くないことだと思うので早く寝て下さい。)
たくさんの人がいて僕の生活は成り立つので
今のうちに悲しみ憂い怒り楽しみ笑いたい
感情を発散できずに散った人の為にも
稚拙な考えではあるが
人間の本能に従えば一理ある生き方だ。
現に今の僕を遮るものは何もいない。
今のような暖かみのある生活が続いて欲しい。
僕はそれを切に望んでいる。
なぜか今日は、そう思える。