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『旅のあと』を出版するまでの物語

Saashi & Saashi(サアシ・アンド・サアシ)のSaashiです。
ようやく執筆する時間を持つことができたので、『旅のあと』を作り始めてから出版するまでの一連の話を書いておこうかと思います。

旅のあと』という新作ボードゲームは昨秋のゲームマーケットで先行販売され、2019年12月26日に一般販売を開始しました。この作品は、Saashiとシンガポールのゲームデザイナー、ダリル・チョウ(Daryl Chow)氏との共同デザインにより完成し、Saashi & Saashi から出版しました。

他デザイナーとの共作はわたしにとって初めてのことで、日本とシンガポールの作家の間での共同デザインということもあり、個人的にはとても興味深い経験でした。

この『旅のあと』という作品の成り立ちを記すことは、これから共作を行おうとするデザイナーにとってもなにがしかの価値があるのではないかと思いますし、また『旅のあと』を遊んでくださった方々にとってもこのゲームの誕生する経緯にはご興味を持っていただけるといいなと思っています。

以下は昨年5月に二人が出会う前後から共作に至る流れ、アジア各地での再会とテストプレイの経緯、ゲムマ直前に台湾の工場へ取りに行くまでの出版への道のりを記した文章です(とっても長文です。お時間のある時にごゆるりとお楽しみください)。

2019年3月 『オーバーブックド(OVERBOOKED)』との遭遇

京都の先輩ゲーマーと時折り遊ぶクローズ会の席で『オーバーブックド(OVERBOOKED)』というボードゲームに遭遇したのが昨年の3月でした。2018年のリリース作で、そう古い作品でもないのですが、あまり日本に入ってきていないゲームだったようで、わたしは初見でした。早速遊ばせていただいたのですが、これがとても面白い。

プレイヤーは航空会社となって、旅客機の座席に乗客を配置していくゲームです。配置する座席の客たちの位置どりを指定したカードを場から選び、その指示通りに配置しなくてはなりません。もし同じ席にお客を重ねて配置するとオーバーブッキングとなって失点の対象になります。

初版は別の出版社から出ていたこのゲームが、欧州版としてジャンボ社からリリースされた際に、お客の駒が木製キューブから、イラストを印刷した厚紙トークンに仕様変更されたようで、初版コンポーネントのシンプルさも素敵ですが、Jumbo社の版のお客トークンはとてもカラフルで盤面はにぎやかで遊んで楽しいものに仕上がっているように感じました。(このJumbo社版はすぐに海外から取り寄せて入手しました)

そこで「このゲームの作者は?」と気になったのでMさんに尋ねてみると、シンガポールのデザイナーだと言います。ダリル・チョウ(Daryl Chow)というデザイナーでした。他に『アルテミス・プロジェクト(The Artemis Project )』なども手掛けているデザイナーのようでした。

後日わたしたちのゲームのイラスト担当である宝井貴子とも『オーバーブックド』を一緒に遊んで気に入り、「このゲームをSaashi & Saashiでリメイクして出版するアイデアはどうだろうか」と考え始めました。

ジャンボ社のバージョンは、お客トークンがイラストで描かれていますが、もう少し見易いUIにもできそうで、より遊びやすくできる工夫ができるように思えました。そして、お客トークンのイラストをすべて宝井貴子のイラストで描き直したら、世界観が広がり、さらに楽しいゲームになりそうな気配をわたしたちは感じていました。

そこでダリル氏に連絡を取ろうと考えたのですが、あいにく連絡先がわからず、BoardGameGeek 内のメールを介して連絡はできそうですが、普段わたしがBGGメールを利用する際に受信を見落としていることが多いので、できれば一般的なメールで連絡を取りたいという思いもあり、どうしたものかなと考えていたところ、思いもよらないタイミングでダリルさんご当人と偶然出会う機会が訪れたのでした。

2019年5月 ダリルさんとの出会い

5月に東京で開催されたゲームマーケット2019春に、Saashi & Saashi はいつものように出展していました。当時は新作『エレベータ前で』のリリースのタイミングでしたので、それに備えて初めての試遊卓を用意し、試遊のための要員も準備して臨んだゲームマーケットでした。

手伝ってくれた仲間も試遊卓もうまく運用してくれて、ブースのほうも終始盛況でしたが、わたしはその様子を見つつ(自分には販売の適性があまりないため)いつものようにブースの隅で油を売っていました。そこへ海外の方々が時々お越しになられるので、わたしがご対応するのでちょうど良かったのもあるのですが、そうした中でシンガポールからの来訪したという2人組が現れました。

1人はこの夏シンガポールで開催予定のゲームイベントの主催者側の方で、そのイベントの紹介と誘致にいらっしゃったとのことでした。そしてもう1人は日本語をお話になる方で、自分はゲームデザイナーだとおっしゃいます。Saashi & Saashi のゲームも好きで遊んでいる、と話してくれました。

名前を伺うと「Daryl Chow」だという。
「ダリル・チョウって、 もしかして『オーバーブックド』のデザイナーのダリルさんですか?」
「はい。そうです。『オーバーブックド』を知ってますか」
「わたしはあなたに連絡がとりたかったんですよ!」

そう言って喜ぶわたしを見て、ダリルさんがキョトンとしておられたのが記憶に残っています。その場で勢いよくわたしは話し始めました。『オーバーブックド』を遊んで気に入ったこと、Saashi & Saashi でリメイクしたいので版権のことはどうなっているのかなど。そうして連絡先も交換して、後日連絡を取り合うことになったのでした。

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写真・ダリルさん(左)とSaashi(中央)

そもそも、ダリルさんと日本との縁の始まりは、林尚志さんのOKAZU brandさんだったそうです。林さんとお知り合いになって、その後『横濱紳商伝』などの英訳を担当されたとのこと。ダリルさんご自身は長らくカナダにお住まいで、そちらのコミュニティでボードゲームに親しみ、ご自身でもゲームを作るようになったということ、そのために北米のデザイナーやゲーマーに知人が多いそうです。現在はシンガポールで暮らしていて、英語のほか、シンガポールの現地の言葉、日本語や中国語も話せて、フランス語も少し理解でき、言語関係の研究をなさっておられたとのことでした。

いずれにしても、日本語でのコミュニケーションが成り立つことはわたしとのやりとりの中ではとても大きな力になりました。いま思い返してもゲームマーケットの会場で、なんの前触れもなく出会うことができたのはとても幸運だったと思います。そもそも『オーバーブックド』というゲームを遊ぶ機会がもう何ヶ月か遅かったら、その出会いも存分には活かすことがなかったかもしれないことを思うと、とても得がたい偶然だったように感じます。

2019年 5月後半〜6月 リメイクから共作へ

ゲームマーケット春のあと、すぐにメールでのやりとりが始まりました。主題は『オーバーブックド』の日本語化についてです。版権の問題は特にはなさそうでした。しかし、ダリルさんからふとこんな提案が。

「Saashi & Saashi で『オーバーブックド』をリメイクするのはおもしろい案だとは思うけど、そのまま出すよりも、いっそわたしたち2人で新しくゲームを作るのはどうですか?」

その提案を受けた時点では、共作で新しいゲームをデザインするという発想はわたしの頭には一切ありませんでした。ただ、それを聞くと同時にわたしの中ではあるアイデアが閃いていました。『オーバーブックド』を遊んだあと、ふと思いついたゲームの案でした。
それは一部を『オーバーブックド』に借り、他の部分をわたしの『バスルートをつくろう』に拠ってるような気配を感じていました。感じていた、というのは、はっきりとそう認識できていたわけではなく、漠然とイメージの連なりが一体化した状態を想像していたに過ぎないからです。そもそもは、わたしが過去に「街作りのゲーム」としてカードゲームを作ろうとして、結局はうまくいかず放っていたアイデアを、今回浮かんだ新たなイメージによってボードゲームとして生かし直すことができるのではと考えたのが取っ掛かりでした。
もちろん、組み合わせた結果、できあがるだろう新たなゲームはコンセプトやテーマが根本から、モデルとなった2つのゲームとは異なるので、体験もまた違ったものになるはずです。

提案を受けた瞬間にわたしは、
「『オーバーブックド』の一部を借りている点については、それをダリルさん自身と共作することによって、まったく問題とはならなくなるのではないか?」
とまず思いました。それをわたしはその場で彼に伝えました。

共作となった場合、大枠のアイデアがすでにあること、『オーバーブックド』に似ている点と、『バスルートをつくろう』に似ている部分とがあるかもしれないこと、それをボードゲームとして構築するのは、おそらく頭の中ではできてはいるが、まだまったくテストプレイもしてもいないこと、すべてを伝えたのでした。

「いいね、おもしろいね」とダリルさん。
「では、一緒に作りましょう」

これが共作が始まるきっかけでした。そこからは、『オーバーブックド』の日本語化のことは一旦脇に置いて、共同デザインのことに突き進むことになります。

もしかすると売り上げ的な面だけで考察すれば、すでに海外でリリースされ、ある程度の評価を受けている『オーバーブックド』の日本語版をリメイクを行なっていたほうが、より良い結果に繋がりやすかったのかもしれませんが、その時わたしの頭の中にあったのは、より楽しそうなこと、刺激のあること、のほうへ向かって歩きたいということだけでした。

というのも、わたしの中で、この数年ゲームマーケットに合わせて新作を作ってリリースする、それを販売していく、次のゲームのアイデアをまとめる、製作するゲームを決定する、細部を詰める、コンポーネントの予算を計算する、製造期間を算出してその管理をする、輸送の手配をする、ゲームマーケットの会場でそれを初出でリリースする、それを販売していく、そうしてまた次のゲームのアイデアをまとめる……(以下略)、というのがルーティン化し、一律になぞるように繰り返していくことにだんだん飽きつつあるのを感じているのを、自分の中で危惧する気持ちがあったからです。(ゲーム作りに飽きるという意味ではなく、その「ルーティンに飽きる」というニュアンスです)

飽きは怖いものです。わたしはかつて音楽を作ること全般をとても好んでいましたが、それに集中するあまり、音楽を作ることに飽きてしまい、最後は他の人の作った音楽さえ聴いて楽しむことが難しくなった時期が何年も続いたことがありました。おそらくその前段階では、音楽を作る「ルーティンそのもの」に飽き始めていた段階もあったと思うのです。そこで危険性に気づけていれば、そう悪い事態にはならずに済んだかもしれませんでした。

ゲーム作りは大好きなことですから、楽しむことができなくなるような事態は二度と繰り返したくはなかったので、「飽ききる=燃え尽きる」前にどうにかバランスをとって「楽しむ」気持ちを自分の中で失わないようにしなくてはならないという意識がありました。

「他のデザイナーと自分が共同でデザインして新しいゲームを作る」

それは楽しむ気持ちを思い起こさせる、とても刺激的な提案で、何より『オーバーブックド』を作り出したダイル・チョウというデザイナーとの共同作業を魅力的に感じられたのでした。だからこそ、わたしは自身にとって初めてとなる共作の機会を心から楽しんで取り組もうと思えたのです。

2019年6月 台湾・高雄でのテストプレイ

主軸となるアイデアはすでにわたしの中にあったので、あとはそれをテストプレイができる準備をする必要がありました。ゲムマ後は新作『エレベータ前で』の発送などに追われ(国内は倉庫からの発送ですが、海外へは自分で発送する必要があるためです)、並行するいくつかの案件を進めるうちに台湾・高雄市で開催されるゲームイベント「ムーンライト・フェスティバル」の開催日が近づいてきました。

ダリルさんと共作するアイデアのための、叩き台としてテストキット用のデータを作っておかねばなりません。データを作成し、プリントアウトするまではできたものの、それを切って白トークンに貼り付けるまでの時間はなく、台湾へ出発の日が来てしまいました。

ダリルさんもそのイベントに出展予定だったので、高雄市のホテルに到着後はすぐに会う予定でした。でもダリルさんがわたしたちのホテルの部屋を訪れ、再会したあとまさかハサミを手渡してテストキット作りを手伝ってもらうことになろうとは予想していなかったです。

「ゲームデザイナーにとって、プロトタイプを作成する作業は仕事の一部ね」
とダリルさんは言いつつ、慣れた手つきで淡々と作業をしてくれてました。

ダリルさんとテスト

高雄市のホテルのカフェで初のテストプレイ

完成したテストキットを持ってホテルのカフェへ行き、そこのテーブル上でテストプレイが始まりました。メカニクスの基本部分は『バスルートをつくろう』を踏襲して12枚のカードをめくります。そしてカードに配置の仕方が記載されているところは『オーバーブックド』に似た部分です。そういう意味ではこのゲームは両作のハイブリッドになる感じなのですが、おそらく遊んだあとの印象はそのどちらとも異なっていると考えていました。

各個人のプレイヤーボードの他に、中央に共通ボードがあり、それらは淡く連動していて、インタラクションが発生する。プレイヤーは旅先から戻ったというシチュエーションで、旅で訪れた街の風景を思い出します。記憶の断片を集めて、記憶を形成していく、それがプレイヤーの個人ボードです。しかし個人の記憶はあくまでも個人の記憶でしかなく、真実とは限りません。中央の共通ボードに反映された記憶だけが確かなものとして認識されていきます。そういう見立てです。

人の「記憶というものの曖昧さ」というテーマは、かつてわたしは『コーヒーロースター』の元となるゲームアイデアで長らく試していましたが、煩雑になり過ぎて断念したものでした。その記憶のテーマをもっとカジュアルな形で、しかしゲームのアイデアとは通底した形で取り込みたいと考えていたことがようやく今回のゲームで実現させることができそうに思えたのでした。

最初のテストのあと(これは本当の初プレイでもありました)、「悪くないな」という感じを掴むことができました。ダリルさんもそこは同じで、いくつかのトークンの種類を減らして、すぐに二度目のテスト、少し得点系を調整して三度目と繰り返すうちに、どんどん良くなります。2人のデザイナーが意見を交わすたびにその調整を入れ、どんどんチューンナップされていくという感覚でした。

明らかに早い。
自分1人で考え、試行錯誤している場合よりも数段早く整えられていくのがわかります。2倍の脳で考えているからなのか、打てば響くアイデアの応酬が功を奏しているのか、単に1人の時が遅すぎるだけなのかわかりませんが、ともかくトントンとまとまって形が定まっていきます。最初のテストの段階でおそらく70%ほどは固まっていたのだと思いますが、そのあとの数回の調整で85%まで上昇したスピード感は、ちょっとした驚きでした。ゲーム作りをされた経験のある方なら実感のあることだと思いますが、完成度が高まっていくと80%を超えたあたりからググッと速度を失って遅々として進まなくなっていくことは少なくないからです。

ダリルさんとは台湾滞在中にほぼ毎日顔を合わせていました。翌日から2日間はイベント会場で出展し、イベントがはねたあとは夕食を一緒に食べに行き、遊ぶ時間も含めて一日の多くの時間を共有していました。そのため、イベントの日程が終了しても数日台湾にいたのを幸い、違いのホテルを行き来してテストプレイを続けることができました。

ダリルさんは出展を手伝ってくれるシンガポールの仲間たちと台湾に来ていたのですが、みなさんゲーマーであり、とても気さくで心優しい人たちで、いまデザイン中のゲームが「ダリルと Saashi」の共作ということを聞いて彼らはみなとても協力的にテストに参加してくださいました。

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シンガポールの友人たちとのテストプレイ風景

このシンガポールのみなさんと友人になれたことも素敵な出会いであったと思います。彼らと何度も一緒にご飯を食べ、遊び、たくさんの時間を共に過ごしました。あとから思えばほんの数日なのですが、何年も前からの友人同士のように感じられたのはとても不思議な気がします。

他にも滞在中、空いた日には、ittenのお2人と車を飛ばして近隣の古都・台南市へ遊びに行ったり、この6月の台湾行きは楽しい思い出が多かったです。

2019年8月末 京都にダリルさん来訪

お盆を過ぎた8月末に、ダリルさんは奥さんを伴って京都を訪れました。わたしたちの家に滞在するためです。わたしのスタジオは家の一階にあるので、泊まってくれている間はいつでも共作ゲームの開発を進めることができます。ダリルさんは現在彼が他の出版社のために制作中の何作かのゲームを持参していたので、いくつか遊ばせてもらいましたが、それらはどれもほぼ完成されていておもしろいものが多かったです。

その中のひとつは完成度50%ほどのゲームがありました。とてもおもしろいものになりそうな予感を抱かせる感じのゲームアイデアでした。

「実はこれもSaashiさんと一緒に作りたいと思っている」

とのことでした。つまり2作目の共作案件です。
先のゲームが「Saashi 6:ダリル 4」だとすると、このゲームの割合は「ダリル 6:Saashi 4」になりそうなバランスでした。このバランスというのは、共作においてとても重要な何かを含んでいそうです。その考察のまとめは最後にしたいと思います。

ダリルさん部屋写真

Saashi & Saashi スタジオでのミーティング風景

この2週間ほどの間にわたしたちは、それら2作を、それぞれ95%と90%ほどまで完成度を高めることができました。あとは数値の調整や、いくつかの目標カードの調整などが残るくらいで、本格的に最終データを作成し始められるだけの準備が整いました。

この時点で決まったことは大きく2点。
1つは、ボードを両面仕様にすること。それは片面が「京都マップ」でもう片面は「シンガポールマップ」であること。
ビジネス的な観点から言えば、たとえばロンドンやニューヨークマップを採用したほうが、より良いのかもしれません。しかし、今回の共作ゲームに関しては、わたしが京都に在住し、ダリルさんがシンガポールに在住していることから、そのマップは京都とシンガポールであることに意義あると感じていました。

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『旅のあと』の個人ボード。片面が京都マップ(左)、もう片面がシンガポールマップ(右)の両面仕様。

それはわたしとダリルさんの共作のことを聞いたダリルさんの仲間たちが、「シンガポールと日本のゲームデザイナーの初めての共作だ!」と、とても喜んで話してくれていたのを見るまでもなく、このタイミングでわたしたちが共作する以上、やはりマップは他の街ではなく、京都とシンガポールとであるべきだと考えていたのです。将来的に、どこか別の国でローカライズされることがあるならば、この両都市のマップであることにそこまでこだわる必要はないのかもしれませんが、Saashi & Saashi からリリースする版においては、デザイナー2人のそれぞれ住んでいる都市をマップに採用することはとても大切なことだと感じられたのです。

もう1つは、タイトルが決まったことです。
タイトルはいつも悩みます。邦題と同時に英題も決めておかねばなりません。そして英題は脇においても、まず邦題の場合、最も厄介な問題は「画数」にあります。

タイトルに関しては、わたしに個人的なこだわりがあって、自分がリリースしたゲームのタイトルはすべて姓名判断的に「良い画数」に収めるようにしています。数にも種類や性質があるので、可能ならゲームのキャラクターと合わせようとするので苦労が増える一方なのでお薦めはできないのですが(画数の数え方には流派や時代によっても異なるため一律ではなく、数に対する解釈もそれぞれ違っているので注意が必要です)。

そもそもタイトルを決めるのは厄介な仕事です。勢いのあるタイトル、今風のタイトル、通っぽいタイトル、格好良いタイトル、インパクトのあるタイトル、一概に「良いタイトル」と言っても千差万別ですし、タイトルの方向性にしても、毎度同じでは自分が飽きてくるので、自分の中で新たに挑戦してみたい方向性のタイトルというのも関わってきます。

毎回、タイトル候補をノートにいくつも書き出して、その中から良さそうなものをピックアップするまでは普通の工程なのですが、わたしたちの場合はそこから「画数」の良し悪しを虱潰しにチェックしていかねばなりません。ものすごく良さそうなタイトルでも、画数が悪ければ容赦もなくボツにします。それが切ない時もありますが、タイトル決めというのは難しいもので、そんな理由でもなければ決めきれない場合も多いものなのです。わたしたちの場合はそれが諦めの材にもなり、決定するための道具として有用な効果を今のところは得ています(半分は強迫観念なんだと思いますが)。

というわけで、最終的には『旅のあと』、英題は『Remember Our Trip』に決まりました。
このゲームはまず英題から先に決まりました。Saashi、宝井貴子に、ダリルさんと奥さんも加え、連日この4名で一緒にディスカッションしながらタイトルの候補を考えていた時に、『Remember Our Trip』という言葉が導き出されました。たしかダリルさんの奥さんが口にした一言を採用したような気がします。

そして邦題のほうは、ダリルさんが「旅のあと、はどうかな?」と提案してくれたのを採用したのでした。もういくつ候補が出たかわかりませんが、決まるまではかなり苦戦した記憶があります。いくつも候補名が毎夜出ては消えて行きました。出尽くした挙句、3周まわってようやく出たタイトルでした。ちなみに『旅のあと』が「旅の後」の表記でない理由が画数にあるのは言うまでもありません。

しかし、せっかく京都を訪れているにも関わらず、「初めての京都ではないから観光する必要はないよ、まず仕事しよう」というダリルさんの言葉に甘えて、本当に缶詰で朝起きてから夜中の2時3時までずっとゲーム作りをしていました。

そう言えば、ダリルさんの滞在中には、わたしに『オーバーブックド』を最初に紹介してくださった先輩ゲーマーMさんをお呼びして、ダリルさんと一緒にゲームを遊ぶ機会を作りました。こういった交流が叶うのもゲームを愛好する者同士の良さですね。

2019年10月 シンガポールでの再会

「シンガポールに来てくださいね。みんな待っていますよ」
というダリルさんの声を待つまでもなく、シンガポールには行くことにしていました。

そもそも、ゲムマ春でダリルさんに出会った時、彼はシンガポールで開催されるイベントの紹介に来ていたので、その時から話は伺っていましたし、6月に台湾で出会ったシンガポールの友人たちもいたので、彼らに会いに行くということがとても自然に感じられて、旅をすることを楽しみにしていたのでした。

一方で『旅のあと』は、11月末のゲームマーケット秋でのリリースを見据えてスケジュールを組まねばなりませんでした。入稿のタイミングを考えると、もうそれほど時間的な余裕はありません。

イラスト担当の宝井貴子は、『旅のあと』のアートの中で最も時間と手数のかかりそうな観光地のイラストに取り掛かって、ほぼ完成させるところまで来ていました。京都とシンガポールを代表する観光地を描いていたのです。つまり、シンガポールに行く前に、シンガポールの観光地のイラストを描いてしまっていたわけで、行ってから描いたわけではなかったんですね。実際行ってから描くのだと全然間に合わなかったような気がしています。制作スケジュールはこののち大変なことになっていってしまうのです……。

シンガポール滞在中には2つのゲームイベントに出展しました。
1つはダリルさん主催の大規模なゲーム会で、販売もするというものでした。ダリルさんたちはシンガポールにおけるボードゲームの普及のために毎月ゲーム会を開いているそうですが、参加者は毎回50〜100人規模というから驚きです。この日も多くの方々がお越しになってゲームを遊んで盛り上がっていました。

わたしたちが訪れていることを事前に聞いていた方々も少なくなったようで、個人で所有しておられた Saashi & Saashi のゲームのコレクションを会場に持参してこられる方も数人おられて光栄でした。サインを求められることは、台湾もそうでしたが、日本よりも割合として機会が多いように思います。わたしたちのデビュー作の『Aコードで行こう』まで揃えた全作品のコレクションを持参された方が2人もいらっしゃって、それらすべてにサインさせていただけたのは良い思い出になりました。

もう1つのイベントは、中心街にある大きな会場でのイベントで、基本的にはデジタルゲームの祭典でしたが、この会場の一部を今年はアナログゲームのブースが占めているという構図でした。客層は一般層が多いというかアナログゲームに対してはカジュアルな人たちが多いようでしたが、みなさん一生懸命というかとても熱心に試遊されている姿が印象的でした。

ダリルさん邸に滞在していたのですが、出展日以外はシンガポールの友人たちと街へ出掛けたり、ダリルさんのお母さまの大きな邸宅でバーベキューパーティをしたり、観光地へ連れて行ってもらったり、ともかく美味しい食べ物ばかりあるシンガポールを満喫していました。台湾で知り合ったシンガポールの友人たちみんなとも再会しましたが、もう何年も前からの友人であったかのようで、その自然な親密さが嬉しかったですね。

実はこの間ほとんどゲームを遊んでいる時間がありませんでした。『旅のあと』はすでに内容的には完成していたので、あとはダリルさんと契約内容について話し合ったりしたくらいでした。いずれにしても10日間ほどでシンガポールを後にした時に思ったのは、存分に楽しもうと思うのなら10日は短すぎたということだけです。しかし、わたしたちに残された制作時間はそれほど多くはなかったのです。

2019年10月末 エッセンSPIELにて

帰国後からは本格的な制作が始まりました。
10月下旬にはドイツのエッセン市で行われる大型のボードゲームの祭典SPIELに赴くことにしていたからです。欧州滞在中はおそらくは制作できないであろうことは予測できたので、可能なら欧州へ旅立つまでの間にすべての入稿データを完成させておきたかったのでした。

本来なら、シンガポールへ行く前に制作が山場を迎えていなくてはならない状況でした。わたしたち Saashi & Saashi のメンバーは ゲームデザイン担当の Saashi と、アート担当の宝井貴子の2人ですが、イラスト以外のグラフィックデザインはほぼ Saashi が担当しています。大方作り上げた後に、データのミリ単位の整えを宝井貴子が最後に行なってフィックスするといった工程です。

ルールブックなども、図解やページ構成含めて Saashi が行ないますが、入稿データそのものはイラストが仕上がってからでないと完成には至りません。イラストやアート全体についての話し合いは何度も2人で行なうものの、最終的には貴子さんの筆が乗らないことには何も完成できないので、「イラスト待ち」の状態というのは、わりに長いです。

かと言って、急いで描いてもらっても良いものができるわけでもないし、「良いものが描けるイメージがまだ浮かんでこない」という待機期間が必要なようで、そこで無理に急いても仕損じることはこれまでの2人の経験上わかっているので見守るほかないのですが、しばらく待っても全然進んでいなそうな時は正直焦ります。

結局ドイツへ旅立つまでに、主要なコンポーネントであるトークン類のイラスト何点かは仕上がったものの、ボードについてはまったく手付かずの状態で、「欧州へ向かう国際線の中で下書きは終えるから大丈夫」という貴子さんのセリフを聞いてはいたものの、飛行機の中で体調も優れなかったこともあり、椅子を倒して思いっきり眠り続けている姿を見ると暗澹とした気持ちになりつつ時は過ぎていったのでした。

エッセン滞在中はダリルさんと同部屋でした。というのも、わたしたちがエッセン行きを決めた時点では近郊のホテルの部屋など全部埋まってしまっていて、空き部屋などあるはずもない状態でした。仕方がないのでイベント会場から遠く離れた街のホテルを探すほかないかというところで、友人がいくつか事前に押さえていた部屋の1つをキャンセルするという話を聞き、その部屋を使わせてもらえる幸運な巡り合わせがあったのでした。

しかし、ダリルさんは滞在中、知人のブースを手伝ったり、『オーバーブックド』の欧州版を出版しているJumbo社でサイン会をしたりで忙しく、わたしたちは部屋に夜遅く戻るまで、ろくろく顔も見る機会もないような慌ただしさでした。

一方わたしたちはエッセン会場に3日間通う日程のうち、2日間は欧米の各出版社とミーティングの予定をギッシリと入れたのですが、朝はゆっくりの始動なので午後だけしか会場にいないのに、2日間で12本もミーティングを入れたものだから、ブースからブースへと走り回るような時間配分になってしまって大変に忙しかった記憶しかありません。

しかし、これまで何年も連絡を取り合っていたのに会ったことはなかった人たちと直に会って話すことができたのはとても良い時間でした。将来的につながる話も多かったし、欧州版の『コーヒーロースター』を出版したdlp社でサイン会をしたりと、とても良い経験になりました。

ただ滞在中、貴子さんは風邪をこじらせて後半は部屋で寝て過ごしていましたし、最終日はブンデスリーガのボルシアMGの試合をスタジアムに観に行ってと慌ただしくしていたので、やはり終わってみるとイラストの作業もグラフィックデザインの作業もほぼ進めることができていなかったのでした。

2019年11月 怒涛の制作の日々

ドイツからの帰国後は腹を決めてデータ作成の正念場です。
日程に関しては、ドイツへ旅立つ前の時点でわたしは薄々「これはヤバイな……」と思い始めていたので、今回製造を依頼する台湾の印刷会社に「最悪の場合を想定した日程」というのを組み直してもらっていたのでした。

「最悪の場合」というのは、データ作成が遅れに遅れて、ゲームマーケットに間に合わせるための船便に載せることができなかった場合、という意味です。通常台湾からの船便は3週間ほどはかかります。問題は通関で、ここで2週間近くかかってしまう場合があり、それを考慮するともはや船便はアウトです。となると航空便ということになりますが、航空便だとかなり送料が跳ね上がります(実はポーランドの工場から輸送された『コーヒーロースター 欧州エディション日本語版』は船便の手配が遅れ、ゲームマーケット秋に間に合わないことが確定したため、急遽少量だけ航空便で手配し直した経緯がありました)。そして船便と同様に航空便にも通関の問題はありました。

さて、そこでどうすれば良いのか。
幸い台湾は飛行機で行けば数時間で着く距離にあります。格安のチケットなら安くリーチできる上、調べてみると航空会社によっては持ち込む荷物のグレードを上げると1人最大100kgまで可能なことがわかりました。それはドイツ行きの時点で万が一の時のために調べていて、帰国時に関西国際空港で職員に質問攻めをして、必要な書類の情報などをすでに集め終えていました。
もちろん、持ち込むための料金は別途発生します。ですが自分で国内に持ち込めば、荷物が通関で数日かかるということもありませんから、到着の心配することがなくなるメリットがあります。

そしてなにより、「最悪の場合」は台湾へわたしたちが直接取りに行く。その前提に立てば、制作スケジュールを限りなく後ろにずらすことができます。
当然、これはスケジュール管理的には完全にアウトなことでした。しかしながら、わたしたちの健康面の維持と、できうる限り品質を高めたものを出すこと、そしてゲームマーケット秋でリリースするということを断念しない方法はこれしか残されていなかったので、限りなく後ろにずらしたタイミングでの入稿に賭けてみたということなのです。

その共通理解の元に、印刷会社と相談をし直して、各コンポーネントごとに締め切りを再度調整しました。つまり制作に時間のかかる内容物のデータから入稿を段階的に行なっていくということです。まずは型の制作が必要となるトークン類、そのあとにボード、袋、ボックス、次にカード、最後にルールブック。

この順番に最終データを完成させていきます。イラストがすでに上がっているトークン類は、貼り付けて最終の調整。この入稿はドイツ帰国後3日後の締め切りでした。

下書きもできていなかったボードについては数日遅らせてもらって5日後入稿。このあたりになると、貴子さんの筆も乗る乗らないにかかわらず進んでいきました。おそらく時間的な余裕のない中で、普段より判断が猛烈に早くなり、割り切りが良くなったりしたのだと思います。そしてそれまでにかなりイメージを固めることができていたのでしょう。この時期にできあがってくるイラストのクオリティも非常に高かったです。

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同時にわたしは特にルールブックのほうを進めていました。校正をお願いしているHAL99さんにデータをお送りしてチェックしていただいたり、その返しをデータに反映したり、一部作り直したりを繰り返す(HALさんには時間の限られた中で最大限のご協力を賜りました)。

一方で完成したトークンなどの完成データをルールブックの最終稿に入れ込んでいく。カード類の制作はそれに並行して行う。ルールブックの文面が完成したら、今回英訳を担当するダリルさんへデータを送って英文を待つ。

すでに11月中旬になりました。
ゲームマーケット秋は11月23日24日の開催です。その前々日に台湾の工場で製品を受け取る状況をを想定して、ホテルと航空券を確保します。

この時期、問題は貴子さんの体調管理でした。
わたしと異なり、彼女は Saashi & Saashi 専業ではなく、オリジナルのノートやカレンダーや手帳などをデザインする会社にも籍を置いて、その仕事も楽しんでいるために兼業を続けていました。ゲーム制作に関して、とてもとても理解のある会社で、通常わたしたちのゲーム制作が忙しい時期には長い期間の休みを取らせてくださったりするのですが、なにぶん今回はシンガポールであれドイツであれ、すでにそれぞれ2週間ほどぶっ続けで休んでいたため、さらにもう2週間休みますというのはさすがに無理で、そのためドイツ帰国後の貴子さんは休みのない中、働いて帰ったあと Saashi & Saashi のゲーム制作に勤しんでいたのでした。

わたしはできる限りサポートしたい思いもありながら、新作ゲームのデータ制作をしつつ、一方で、既存ゲームの国内外への出荷の手配なども続けており、海外出版社との契約関係のやりとりや、海外向け卸や通販の入金確認、ポーランドの工場で製作中の『コーヒーロースター 欧州エディション日本語版』の発送遅れに対する調整なども引き続き行なっていました。

お互い単純に睡眠時間が削られ続けることになるのですが、上記の通りの地獄スケジュールですので、うっかり寝るということも叶わず、2人の風邪も治りきることはなく(わたしは都合2ヶ月間くらい風邪が治っておらず、連続的な咳のし過ぎで肋骨の疲労骨折によりヒビが入っていたのでした)、段階的な入稿締め切りが連続して、その朝が訪れるたびに入稿データを送り、少しだけ倒れるように眠っては昼に起きて貴子さんは出社、わたしは作業再開、ということの繰り返しで11月はほとんどゾンビのような生活でした。

そしてとうとう、ゲームマーケット開催日の1週間前にすべての入稿が終わりました。

その時点でもほとんど新作の宣伝を行なえていないことに気づきました。
Saashi & Saashiサイトの『旅のあと』ページの作成も遅れていました。広報担当者がいてくれたら良いのに……というのは近頃の切実な悩みになっています。

2019年11月末 台湾への強行軍

ゲームマーケットを週末に迎えたその日、わたしたち3人は台湾へと旅立ちました。3人というのは、わたしと宝井貴子と、わたしの母親です。どうして3人なのかというと、航空会社の規定で持ち込める最大重量が1人あたり100kgだったからです(1グループの総重量なども関係します)。そのため、2人で行けば計200kg、3人なら計300kgということになるわけです。

今回のゲームはコンポーネントが多かったこともあり、『旅のあと』の1箱あたりの重量は1kgを超えるだろうと予想されました。仮に200kgが最大だとすると200個も持ち込めない計算になります。ゲームマーケットでの販売で余るくらいは確保したい気持ちもあり、可能なら300kg分を持ち帰りたい。航空機のチケットも台湾でのホテルも3人分をおさえました。

というわけで、
「台湾で本場のタピオカミルクティーを飲みに行かない? 何にも運ばなくて良いから、横に立っているだけで良いから」
という誘い文句でわたしの母親を一緒に連れて行ったのでした。(拝み倒してついてきていただいた、が正しいです。)

母親もいるので、さすがに日帰りという日程も組むことは憚られ、現地で一泊の旅となりました。到着した翌日に工場から製品を必要分だけピックップして帰国するのです。大きな数量を航空便で送るのには通関で何日かかるかわからないリスクが伴います。自分で日本に持ち込むならその日数的な心配はなく、費用的にも人数分のチケット代と宿泊費を加えても、そう大差ないので、確実に会場へ持ち込めるメリットのほうをとったというわけでした。

台湾到着後はすぐ、台北市の近隣の新北市にある印刷会社の工場へ向かい、社長や担当者たちと顔を合わせて話しました。英語と中国語のちゃんぽん会話でしたが、それまでに何度もメールではやりとりしてきた間柄ですし、ことはゲームのコンポーネントの製作に関することなので意思疎通に問題は生じませんでした。時間的にも切迫していたので互いに必死で確認作業を素早く行ないました。

まず今回日本へ持って帰る数量を確定しなくてはなりません。1個あたりの最終的な重量からカートンを含めると、当初210個程度かもしれなかった数量が、カートンの入り数を調整すれば、もしかすると240個まで増やせるかもしれないとのことで、計算しなおし、急遽カートンを別のサイズに入れ替えてもらって明日の準備はOK(航空会社の規定で持ち込めるカートンの総数も限りがあるのです)。

そして後日、日本へ船便で送ってもらう数量と日程の確認。
その他に、台湾の倉庫にこのまま残す数量の確認もありました。台湾に製品を一部残すのは、この工場の倉庫から直接北米や欧州へ輸出してもらうためです。台湾発送のほうが日本からより若干送料が安いし、台湾から日本へ送り、それをまた北米などへ輸送するのは送料が2回かかってしまうからというのも大きな理由です。そのため、後日欧州や北米へ向けて輸出する分をある程度見越してちょうど良い数量を割り出し、台湾に保管する手配をしておく必要があったのです。
結果として、今回日本へ持ち込む240個を数量を除いて、だいたい全生産量の三分の一ほどを台湾に残しておくことにし、残りは後日船便で日本へ発送する手筈を整えました。

台北に到着した夜はゲームマーケットに出発前の忙しい中、中国語版『コーヒーロースター』を出してもらって以来の盟友・BigFun Gameヤンさんに案内してもらって美味しいご飯を食べました。その他にも、翌日の大型車をチャーターしてもらったりといろいろと力をお貸りしました。

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台北の夜、BigFun Gameのヤンさんと

一夜明けて翌日は夕方の便で日本へ帰ります。工場へ向かうのは夕方、空港へ向かう経路の中で『旅のあと』240個をピックアップする手筈を整えました。昼間の工場では出揃ったコンポーネントを箱に入れてシュリンクをかける作業を急ピッチで行なっているはずです。

わたしたちは夕方までの時間を観光にあてました。と言っても、昨日のホテルで久しぶりに長く眠ったとはいえ、正直体調も優れないし、それほど観光に行きたいモチベーションもなかったのですが、「台湾旅行」に訪れた母親のためいろいろ歩いてきました。そして念願のタピオカティーも! ヤンさんお薦めの穴場的なお店に行って黒くないタピオカも飲んできました。白いタピオカを黒糖で煮るので少しだけ色がついているものだそうで、実に美味でした。

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疲れたところでホテルに戻り、チャーターした車に乗り込んで新北市の工場へ向かいます。急に降り出した雨の中、日暮れに到着すると工場のみなさんが総出で、せっせと車への積込作業を行なってくださいました。わたしたち一行が疲れているだろうとお気遣いいただいたようで大変ありがたかったです。社長やスタッフにお礼を言い、握手をしてから車に乗り込みました。あとは車をぶっ飛ばしてもらって夕闇の雨の中を空港へと向かいます。

改めて思うのは、台湾の工場のみなさんのご尽力とご協力への感謝です。入稿の遅れは完全にわたしたち側の都合でしかなかったので、本当にありがたいことでした。聞けば、すでに工場ではこの時期ゲームマーケット向けなどの急ぎの案件は全部終わっている期間だったので、ある程度の無理が利いたとのことで、遅くなったから逆に合わせることが可能だったのだと知りました。それくらい遅かったんですね。いずれにしても、急ぎの中でも製作されたコンポーネントの品質は高く、ミスは少ない仕事ぶりを見せてくださり感謝しかありません。

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Saashi & Saashi一行(右3名)と台湾の印刷会社インクプレイのみなさん

最後は、問題の機内への持ち込み手続きです。準備してきた書類のおかげか思いの外にスムーズに通りました。240個分の『旅のあと』を預け終えると、全身から力が抜け落ちました。空港窓口で製品を受け取ってもらえなかったらどうしようと、どこかで心配していたんですね。

今回の台湾行きは「関空→台北→羽田」のコースでした。このオペレーションのために空港に連結するホテルを一泊とっていたので、そのホテルのロビーに製品をカートンごと置かせていただき、すでに手配済みの日本の運送業者が翌日ロビーに取りに来る手筈です。そしてその翌日ゲームマーケットの当日の朝、その業者が会場へ直接運搬してくれる予定なのでした。

羽田からは手ぶらで、東京滞在用のホテルへ移りました。この日の午後に母親は新幹線で大阪へ帰って行きました。

(『コーヒーロースター』の初版をリリースした頃にわたしの父親が亡くなって以来、母は1人になったため、できるだけ時間を共有したほうが良いと思い、 Saashi & Saashi のこともいろいろ手伝ってもらう機会を作ってはきたのですが、今回ばかりはちょっと無理をかけたなと感じたので、後日母親にはこの時の埋め合わせとして、当人が長年行きたがっていた長崎への旅行を1月にプレゼントし同行してきました。その旅ではとても喜んでもらえました。)

この日は、ゲームマーケット秋の前日だったわけですが、わたしたちは午後はずっとカフェに籠って、翌日ブースで使用するゲーム説明のチラシ的なものを作成しなくてはなりませんでした。データが完成すると、夜は近くのキンコーズで印刷。ヘトヘトで食欲はないけれど、クラフトビールのお店でどうにか終わったと2人で乾杯だけしてホテルに戻りました。

2019年11月末 ゲームマーケット出展

ゲームマーケット当日、早朝に起きて会場へ向かいます。運送業者が直接会場へ持ち込むのに立ち会わなければならないからです。無事に荷物は到着して受け取り完了。カートンはわりと丈夫なものだったので、中身のダメージもほぼありませんでした。

ブースを設営して、ようやく今回のミッションは終了。
ダメージがあったのは、むしろ強行軍を終えて疲れ果てたわたしたちのほうでした。この設営が完了した時点で、わたしたちのゲームマーケット秋は終了していたと言っても嘘にはなりません。おそらく気力・体力的にこのあたりまでが限界点だったのだと思います。その後2日間の出展時の記憶がほとんど残っていないのです。お会いした方々のお顔を覚えてはいるのですが、会話の内容は覚えておらず、お渡しするものを数々忘れてしまったり、あれこれポカばかりでした。

2日目には、ダリルさんもシンガポールから駆けつけてくれました。彼自身のレーベルから出したダリルさんの新作ゲーム『月餅名人』もわたしたちのブースで販売しました。

こうしてわたしたちの新作ゲーム『旅のあと』をリリースすることが、どうにか叶いました。ダリルさんとがっしり握手して、製品を2人で見たりした光栄を覚えてはいるのですが、どれもこれも曖昧模糊としてはっきりしません。せっかく記念になるのに、わたしとダリルさんとで『旅のあと』を挟んで立っているような写真さえ一枚も撮っていませんでした。気づかないくらい疲れていたんですね。

実はこのあと12月末までの年内は燃え尽き症候群のような感じになって、わたしも貴子さんも何にもできずに過ごしていました。やはりやりすぎ、走りすぎ、無理のしすぎは良くないようです。結局バランスをとるために大幅に休みをとらなくてはなりませんから。なによりも健康が第一ですね。この後、同じ轍を踏まないように、仕事の進め方について、兼業の仕方についてなど、2人で随分話し合いました。これから、より良く改善していくことにします。

旅のあと_プレイ風景

共作についての考察

テストプレイをする期間を除けば、通常ゲームデザイナーは1人きりでゲームを始めから終わりまでデザイン作業をやり遂げます。1人で進め、決断し、完成に導いていく作業が常であるゲームデザイナーが、他のデザイナーと共同でデザインすることについて、少し書いておこうかと思います。

いわゆる共作について、元来わたしはあまり興味を持っていませんでした。1人の中で完成したものを、別の価値観で組み直すことは蛇足に思えるし、作品としての統合性や整合性が担保できないと感じていたからです。

今回、ダリルさんと共作の道をとった理由は、おそらく第一にはわたしが自分1人で行なうゲームデザインのルーティンに飽きないためだったのだと思います。他者と共同で創造する過程を通して、これまでにない刺激を自分に与えたかったというのが大きいです。

そして共作をし終えたあと思うことは、本当の意味での「50:50」のバランスの共同デザインというのは難しいのではないかということです。今回の『旅のあと』は、前述のように「Saashi 6:ダリル 4」のようなバランスでしたし、もう1つのほうの別のゲームは「ダリル 6:Saashi 4」でした。

つまり、どこかで最終判断というか、イニシアチブを一方がとっているという共通認識があることが重要だったような気がします。(かといって出版契約の内容まで必ずその割合である必要はないと思いますが)

判断の最終権というのは、どちらか一方にあるほうが進めやすいということです。とはいえ、ルール的な変更、数値的な変更などについては、必ず相手に相談しましたし、意見も求めました。できうる限り互いが賛同を得られるよう説得したりもします。1人が勝手にポンポン決めてしまうということはありません。でも一方がイニシアチブをとるという共通意識があるのは、安心感や信頼感に繋がるだろうと思います。バランスとりのせめぎ合いが不要というのは大きいです。相手を信頼しているから一緒に作るし、意見も聞く。その前提に立って、最終的な判断はどちらか一方に少し比重を傾けておくことは有意義な気がしています。

もしも完璧に「50:50」の心持ちで作っていたら、かなり迷走していたんじゃないかと思います。もしくは完成が遠のくとか、互いに無用に妥協したり、遠慮してしまったりする箇所も出て、中身がどっちつかずの中途半端なものに終わってしまうような危うさを感じるのです。そこは複数人で作る際の良し悪しかもしれませんね。

そもそも価値観が違いすぎる相手とは共同作業を行なうことは難しいだろうと思いますので、前提として相手は選びます。選んだ末の相手であっても、やはり遠慮などが入ると、より良いゲームに近づけていく過程で、あるべき完成の形が遠のいていくかもしれません、ということです。なので、あらかじめお互いの間で、最終的な判断をする役としてのイニシアチブはどちらかが握っておく、その共通認識のあることがスムーズな共同作業の一番の要なのではないかと感じました。

もし作業中に意見がぶつかる場合や見解の相違がある時は、どうしたら良いでしょうか。いま思うのは、「話し合うこと」にも価値があったのだろう、ということです。普段1人でデザインしていると、自分が現在進行形で作っているゲームをとことんまで話し合える機会というのは案外得難いものです。ダリルさんとの作業では、自分1人の場合よりも、部分的には深く考察できていたように思います。そして意見や見解の相違がある場合であっても、最後にはイニシアチブをどちらがか握っているのかという共通認識がベースにあれば、ことは自然に収まるところに収まるように思うのです。

結果として、互いに信頼をおいてリスペクトする相手との共同作業はとても楽しく刺激的なものでした。自分の不得意な部分をサポートしてくれますし、その逆もできます。ごく自然に補い合えるのは素晴らしいことだと感じました。楽なのです。自分でやらなくても良い箇所があるわけで、相手に任せたほうがよりクオリティが上がる、あたかも自動的に補完してくれるような感覚を味わうことができるのは共同デザインならではの良さではないでしょうか。

それぞれにやりことがあり、表現したいことが違ったとしても、「その相手と」やりたいことや、「その相手だからこそ」一緒に表現したいこと、というのはその時々で選択可能ですし、「その相手」との共同作業だからこそ、1人きりで行なうデザインとは別の魅力が備わった作品が出来上がってくるのだと思います。そういう機会を持つことができる共同デザインは、素晴らしいものだなというのが今のわたしの見解です。

最後に

結果的に2019年は、5月以来ダリルさんとはほぼ毎月のように顔を合わせていました。最初は東京で、その後は台湾高雄で、京都で、シンガポールで、ドイツで、最後に東京で。それぞれいろんな場所に旅をしたことにもなります。そんな2人が共同で作ったゲームが『旅のあと』というのも、結果的にではありますが、おもしろい巡り合わせだなと感じます。

そして、なによりも今回、共同でゲームをデザインするという機会を本当に素晴らしい体験にしてくれたパートナーであるダリル・チョウさんに大いなる感謝を。わたしが共作して最初にリリースする出版物が、彼と作り上げたものであることを光栄に思います。ありがとうございました。

この文章の記述の内容は、あまりゲームの中身自体に触れることができていませんでしたが、ゲームは2人がかりで懸命に作りあげたものです。内容や出来には悲観するところはありません。このゲームではわたしが当初盛り込みたかったコンセプトとテーマ、個人の旅の記憶とみんなの旅の記憶、その曖昧さのようなものが表現できていると思います。内容的にはダリルさんの得意なパズル要素と、わたしの得意なテーマとの整合性とがうまく掛け合わさって、そういう意味ではそれぞれ個人のデザインでは抽出できなかった共作としての魅力が詰まっている作品だと感じます。

この『旅のあと』は、京都とシンガポールに暮らす2人のゲームデザイナーがそれぞれの個性を融合させて作り上げたボードゲームです。旅や記憶というテーマも、これを作り上げる2人の工程とリンクして、結果論ですがゲームを取り巻く世界観もより強まった印象があります。

『旅のあと』を手にしてくださるみなさんが、このゲームを通して楽しい時間を過ごしてくださることを願います。また、いつかどこかに旅をして、その旅先のことを思い出す時に、このゲームを遊んだ記憶がうっすらと頭によぎるようなことがあれば、作者としてこれ以上に嬉しいことはありません。

Saashi
2020年3月23日
Saashi & Saashi Twitter / WEB

現在『旅のあと』は、イエローサブマリンEngamsゲームストアバネストなどゲーム専門店や、一部の家電量販店の他、書泉グランデ東急ハンズ京都店、通販はAmazonなどで販売中です(敬称略)。
(↑なぜかAmazonの価格表示が4,200円となっている場合がありますが、他と同様4,400円です。)


《他にはこんな記事も書いています》

「ゲームデザイナー Saashi の仕事部屋」
京都でアナログゲームを作っているゲームデザイナーSaashiが、noteで日記のようなものを綴ってみようと思い、書き始めたシリーズがこちらです。半月に一度くらいで載せてます。
Saashi & Saashi 名義でのnote
『コーヒーロースター 欧州エディション日本語版』にまつわる話
ゲームデザイナーSaashiが自作の成り立ちについて綴った記事です。1人用焙煎ゲーム『コーヒーロースター』が元版の日本でリリースされてから丸4年、2019年の欧州版の発売、さらにその「日本語版」出版に至るまでの経緯を書き残しておきました。
Saashi & Saashi 名義でのnote
「創造的な習慣 〜アナログゲームデザイナーはいかにしてクリエイトするのか」
アナログゲームの作り手は、いかにして魅力的なゲームをクリエイトしているのか。アイデアが煮詰まった時どのように対処しているのか等々。創作に取り組むほどに湧いてくるそうした疑問を、優れた作品を創作し続けているアナログゲームのデザイナーに投げかけ、回答してもらった超ロングインタビュー・シリーズ。




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