YouTubeの功罪#98
いよいよ個人が稼ぐ時代になってきた。
これまでもアフィリエイトなどの手段でお金を稼ぐ個人は存在したが、いまではアフィリエイトも縮小気味で、それよりもYouTuberやライバーといったひとたちの存在感が増している。
なぜアフィリエイトで稼げなくなったかというと、そこには信頼性、信用性といったキーワードが関わってくる。
もともとアフィリエイトは怪しい部分があった。信頼性に欠ける情報、煽るだけの情報が溢れ、一般の人たちもネットリテラシーがついてきたことで、何が正しくて何が間違っているかの判断がついてきたこともあるだろう。そしてやがて情報商材化して、怪しいネットワークビジネスになることもある。
それはそうと、YouTubeにもそうした側面が無いことはないが、アフィリエイトと違って、「個人を表現する」場としてYouTubeが発展してきたことは、その功罪が大きい。
まずは罪のほうから話そうと思う。
個人の表現の場というだけあって、ユーチューバーには色んな人がいて、色んな表現をする人がいる。中でも問題になってるのが「迷惑系ユーチューバー」と呼ばれるひとたちだ。
いま最も注目されているのはへずまりゅうだろう。彼はとにかく「売名」を目的にトップユーチューバーに絡み、名前を売っていく手法をとっている。突然アポ無しに訪れ、その様子を動画で撮影するスタイルは迷惑そのものだ。ただアポ無しなだけならいいが、家の前で叫んだり、シバターというユーチューバーに絡んだ時は、一般人であるその妻と子供にまでカメラで追いかけるという、尋常ではない追い方をしている。
そして先日、ニュースにもなって知っている人も多いが、店内で会計前の商品を食べて、それがきっかけとなって捕まった。しかもコロナにかかっていて、色んな人たちと濃厚接触して、迷惑だけでなくコロナまでも撒き散らしている。
こうした行為は「個の表現」の行き過ぎた例である。迷惑系ユーチューバーというには優しすぎる。ただの「迷惑者」だ。
次に功罪の功、功績についてだ。
YouTubeは、今まで光の当たらない正義に光を当てることができた。
例えば、殺処分になる犬や猫を保護する人たちの活動を撮影したYouTubeだ。こうした取り組みは昔からあったが、あくまで彼らは半ばボランティアに近い形で運営していた。そしてこうした取り組みは「営利化」することが世間的にはタブーのような風潮があり、なかなかビジネスとして成立するものではなかった。
しかし、YouTubeで活動を記録したチャンネルを作ると、たちまち人気が出て、100万回再生以上視聴される動画や数十万人ものチャンネル登録者数を誇るものも出てきた。
人気が出てくると、YouTubeの収益は当然上がる。しかもその収益は彼らにとって非常に貴重な報酬となる。おそらく、月に数十万円以上稼ぐこともザラである。
こうした収益は彼らにとって、「営利化」ができるため、運営が安定化するし、しかも殺処分に関する問題提起、啓蒙活動までできるため、かなり社会性のある活動ができる。
YouTubeという一大プラットフォームがなければ、こうしたことは不可能だった。
世界中のコンテンツをつなげたプラットフォームだからこそ、こうした活動に注目を当てることができるのである。
「個の表現」には多様性が含まれている。そこには良いものもあれば悪いものもある。個人の活動を収益化するという新たなビジネスモデルがこのYouTubeによって民主化した。
これは、単にいちプラットフォームだけの話ではない。社会全体で、今後こうした取り組みが広がっていくものと思われる。
もはや個人が企業を凌駕する時代に入った。
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