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私が古着を愛する理由。そして古着が教えてくれること。

高校1年生の時。
私服OKだった私の高校では、服に興味を持ち始めた子達がこぞって同じような服を着ていた。
最初に違和感を持ったのはその時だ。
街中で同じような服ばかり見かける気持ち悪さ、同じような流行りの服をみにつけることで得られる安心感を身にまとった空気感。寒気がした。

高校を卒業し、アルバイトの稼ぎも増えてきた頃、初めて古着を買った。
身長が高いせいで、新品の服の選択肢があまりなく、行き詰まっていた時に、古着屋で新しい世界を見た。

何十年も前の服がこんなにきれいな状態で残ってる。
ボタンや小さな穴をリペアしてあったり、大切にされている温かさが服から伝わってきた。
ファストファッションよりはやはり高い。でも、これだけ長い間、たくさんの人に大切にされながら自分のところにたどり着いてくれた特別感。
組み合わせのルールも、ジャンルの垣根もない、自由な世界。むしろ安いと思った。
なによりも古着屋で働く店員さんが、どの店でも輝いていた。

海外古着は海外サイズだから、背が高い私には丈が何かとちょうどいい。

そんないくつもの理由と魅力が重なって、わたしは古着の虜になった。
そこから約7年経った今。途中2年くらい古着屋でバイトしてたこともあり、クローゼットの99%が古着だ。
どの子もお気に入りの子たち。
みんな違ってみんないいのだ。
私はこの系統を着るんだ!という縛りは持っていない。
その日の気分に合わせて、ドレスのようなワンピースの日もあれば、エスニックな日も、男の子のような服の時もある。
選ぶ基準は"今日1日がもっとハッピーになる服"。

この、"みんなちがってみんないい"と感じさせてくれる古着。
金子みすゞさんの詩の中の、大好きな言葉。
この感覚が人に対しても、たくさんの人が持ってくれたらいいと思う。
そしたらマイノリティとかマジョリティとか言う言葉も要らないし、形だけの個性とか、逆に個性の抑制とか、性別の話とか、色んなものの見方が変わって、もっと境目なく、一つ一つを受け入れて行けるんじゃないか、なんて思う。
最近よく聞くSDGsも古着が助けてくれることはたくさんあると思うし、さっきの"みんなちがってみんないい"がまさにそうだ。
というか、SDGsは物を大切にする心と"みんなちがってみんないい"を皆が共有できる社会になれば叶う気がしている。
個人単位の価値観だから、そう簡単に変えて行けるものでは無いと思うけど。

私が古着を愛する理由はまだある。
ここ数年の若者向けの新品のブランドは、ブランドと名乗る必要も無いほど同じような服ばかり出している。これは高校生の時に感じた気持ち悪さと同じだ。
差別化されないことでブランドの価値が下がり、価格が下がり、原価が下がり、チープで作りの雑な服になり、すぐダメになる服が生まれる。その裏からひしひしと伝わってくる、「ワンシーズン着れればいいでしょ」という服への愛のない気持ち。
もちろん製作者全員がそんなはずない。そうせざるを得ないんだと思う。それがファッション好きとして、とても悔しい。
そして売れなかったら廃棄する。
新品のお店で働いていた時、原価の安さと、セール用にわざわざ安いものを作ってることに驚愕した。ショックだった。

今こそ昔の「大切に使えば長く使えるもの」を作るという考え方に業界がシフトするべきではないか。
ファッション業界だけに言えることではないけど。

だから私は、30歳までに自分のブランドを立ち上げて、古着のように何十年も大切にされる服を作りたい。
そして長く大切にしてくれる人に買ってもらいたい。

色々と話はめぐってしまったが、私が古着を愛する理由には単に人と被らないから、可愛いから、だけではない想いがあるのだ。
こうじゃなくちゃいけない、なんて自分で制限をかけずにもっともっとファッションを楽しんでくれる人が増えて欲しい。
流行からはみ出すこと、好きな物に正直になることを怖がらないで欲しい。

これを読んで少しでも何か届いたら、考えてくれたら、思いつくままに書いたこの文章と私が喜ぶ。

みんなちがって、みんないいんだよ。

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