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「なにもしない」をしてみた

今日、「なにもしない」をしてみた。

経緯

実は2023年になってから、1日予定がない日がなかった。

私は基本カレンダー通りの生活なので、平日は仕事、土日祝が休み。

でも、休みである土日祝の過ごし方といえば、、友達と飲みに行く、味噌をつくる、模擬選挙に出馬する、たまに急な仕事が入る、星野源のライブに横浜に行く、などなど基本予定を入れていた。1人で1日過ごすことはなくて、だいたい誰かと会っていた。
休みも会いたい人と会って、やりたいことをやって、行きたい場所に行っていたら、あっという間に2ヶ月経っていた。それでいいと思っていた。

でも、ある時NPO職員兼鍼灸師の同居人に言われた。

「さんちゃんは休みも休めていない」
「もともと『気』が少ないのに、それをギリギリまで使って日々の生活をしてるし、休みも休めてないから『気』を全然ためられていない」
「今の自分の生活を『大丈夫』って思ってることからして大丈夫じゃない。いつか、なんで自分こんな頑張ってるんだろうってなるよ」

ちょっとドキッとした。
平日心と体のエネルギーを使い切っている自覚はあった。
1月、2月は繁忙期で、(これは10代と関わる時間帯上仕方ないけど)終電で帰ることもしばしばあった。
そんな平日を5日走り抜けて、土日も気付けば終わっていて、また新しい1週間が始まる。
自分の心身が元気な時は大丈夫だけど、一度何かバランスを崩すとしんどくなる予感もあった。

だから1日なにもしない日をつくることにした。

同居人には寝ると食べる以外するな!と言われたけど、それは流石に無理なので電車に乗ることは禁止して、それ以外はOKにした。

とはいえ、もともと「なにも予定を入れない」ということがなんだか苦手だった。
12月コロナに罹患して急遽1週間の休みができた時も3日なにもしなかった時に、こんな時間いつぶりだろうと思った記憶があるし、回復したらすぐ働こうとした。元来生き急いでいるのかもしれない笑

だから同居人と話した時はなにも予定を入れないとしても、結局暇になってどこかに出かけたくなるんじゃないかなぁとか思ってた。

なにもしない日の前日

なのに、昨日。
なんだか朝からワクワクした。

なにもしないことは決めているけど、なんだかなんでもできるような気がした。
見たい韓国ドラマを一気見するぞ、読みたい本もある、映画も見たい。
自分って自分だけの時間ができるとこんなにやりたいことあったんだ、と思った。自分の時間が足りていないことに本当に自分は気づいていなかったんだなと今になって思う。

なにもしない日をしてみて

今日1日特にこれといってなにもしなかった。
(同居人からすると買い物に出てる時点で休んでない!と怒られるかもしれないけど笑)

やったことといえば、韓国ドラマを見たり、駅周辺を歩いてみたり、数ヶ月ぶりに料理をしたりしただけ。

でも、なんだかそれがとても心地よかった。

天気が良かったのももちろんあると思う。暖かい日光と空気を感じながら、「あ、外で自分の呼吸を感じるのはいつぶりだろう」と思った。
平日外を移動するときは大概目的があったり、移動中もチャットで仕事をしたりしているから、自分のことを感じる時間はないんだということに気づいた。

時間を気にせずスーパーで食料品を買って、自分の思うように料理をした。

別に誰かに食べさせるためではない、自分のためだけのごはん。
なんだかそれが嬉しかった。
自分で自分を労えることが。

平日目の前のやることをワーッとやって、合間に栄養補給として食事を摂って、家に帰ると寝るという感じなのに対して、今日は昼から夜までの時間の経過がゆっくりだった。時間を気にしないことで、時間を感じることができた。

前にTwitterで見かけて興味があった本。まだ中身を読んだわけではないけど、この本の紹介文にこんな言葉があった。

「会ったほうが、話が早い」のはなぜか。それは、会うことが「暴力」だからだ。
人に会うとしんどいのは、予想外の展開があって自分の思い通りにならないからだ。

これを読んでそっか、と思った。

よく人と会うと疲れる、という話を聞くことがあった。今までその度に自分はそんなことないなぁと思っていた。
けど、いや自分も疲れるし、しんどさも感じるんだと、今日1人で過ごして思った。
良くも悪くも刺激があって、脳や心を動かす、ということは当たり前かもしれないけどエネルギーを消費していることになる。

今まで自分は休みと言いつつ、エネルギーを消費していたんだ、ということにも気づいた。

1日が終わってもまだ全然頭も体も元気だ。
これが休むということかぁと今も思っている。

「自分の時間が大切」ということも、自分ごととして最近きちんと考えていなかったけど、なにをするにしても誰かを過ごしている時は、自分だけの時間ではない。
自分に必要なのは自分だけの時間だった。

何事もバランスなんだろう。コロナ禍人と会うことを自粛していた期間は人と会いたくて会いたくて仕方がなかったし、1人でいることがしんどかったのを思い出す。
今はシェアハウスに暮らし、家に人がいることが日常になった。
だからたまに1人の時間を作っても寂しくはならないし、それぐらいの自分だけの時間は必要みたい。
仕事やプライベート、自分のことを見つめ直す時間はなんにせよ必要だと思った。

正直休みにしたいことはまだまだ終わってない。
読みたい本もまだ手を付けられていないし、映画も見たい。
1回この休みの楽しさ、豊かさを知ってしまったら休もうと思えば何日でも休めてしまうみたいだ笑

次、1人ダラダラする日はいつにしようかなぁと考えている。


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