12月は走ってやってくる

※年末に書いたまま、すっかり公開するのを忘れていた文章です。うっかりしてる間に1月も後半になってしまいました。遅ればせながら公開します。

波乱の2学期がようやく終了した。みんなよく頑張った。わたしもよく最後まで倒れずに乗り切ったと思う。

12月。
10日間で個人面談2回ととスクールカウンセラー面談と教育センター面談と校長面談が差し込まれるという怒涛の面談月間。よく頑張ったわたし。
本来であれば1月から利用開始予定だったサポートルーム(情緒通級)の利用開始日が1ヶ月繰り上げになった。後日あらためて区から届いた正式な通知は1月開始となっていたから、状況を重く見た先生方が水面下でご尽力してくださったのだと思う。
スクールカウンセラーの先生も、相談の予約がたくさん入っていて忙しい中、息子のために相談の時間を作ってくださることになった。
サポートルームは慣れるまでは支援員の先生と1:1でSST、年明け以降に慣れてきたら少人数のグループ活動を始めますという運びになった。支援員の先生に「同学年の子が苦手なのはどうしてだと思います?」と問われて言葉を探していたら、「同学年の子は容赦しないんですよ」と。年上の子には頼る、年下の子には優しくするという役割があるけど、同学年だと役割はないし、ちょっと何かあるときつく当たられがちだから、と。なるほど。

息子の保健室登校が続いて学級の教室に入れないでいる間、担任の先生は心を砕いて教室の雰囲気を作ってくださり、息子がいつ戻ってきても大丈夫な体制を作ってくれた。息子の席は担任席の目の前、いわばアリーナ席。隣の席は休み時間によく遊んでいた穏やかな男の子。後ろの席は昨年から同じクラスで面倒見のいい、息子がある程度心を許していると思われるしっかりものの女の子。
クラスの協力のおかげで息子はだんだん教室に行けるようになり、11月末は1時間行けた、2時間行けたで喜んでいたのが、12月末には2時間めから最後まで教室で普通に過ごせるようになった。朝だけは他のお子さんと同じ時間に登校するのが怖いので(大人の目もないし)相変わらずわたしが学校まで毎日送っていっている。保健室登校になる前はその日の朝8時過ぎになってから登校しぶりが発生する、時には休ませることもしばしばだったから、その頃よりも今のほうが精神的にはずっと楽。

校長先生と担任の先生との三者面談。校長先生は朗らかなお人柄で、児童ひとりひとりをよく見て大切に扱ってくださっている。以前校内に息子の居場所がなかったとき、校長室に呼んでいただいて一緒に四目並べで遊んでくださったそうで、「いやー息子くん強いですね、あんなに強い児童は初めてです。次は本気出しますね!」とニコニコされていた。
これまでの経緯をあらためて説明して、「担任の先生や保健の先生にはご迷惑をおかけしていると存じているけど、あの1ヶ月間の保健室登校はソウタには必要な期間だったんだと思います」と本音を吐露したら、「そうですよお母さん、ソウタくんには必要だったんです」と勇気づけてくれた。

息子が学校に行けなくなったことで見えてきた世界がたくさんある。その中でもとりわけありがたいのが、小学校の教職員の先生方がみんな息子の味方をしてくれて、息子が小学校で不快な思いをせずに過ごせるにはどうすればいいかを連携して考えてくださっているとわかったことだ。息子が通っているのは学区の公立の小学校で、児童数も比較的多いため、教職員の目が行き届かないことを前提とした組織になっているのかもしれないと感じた。
「ソウタくんが小学校という場所を嫌がっているのでないのなら、お母さんはとにかくソウタくんを小学校まで連れてきてください。登校してくれさえすれば、あとは学校で何とかします。お母さんがソウタくんから離れる時間は絶対に必要です。でもお母さんが疲れてしまってソウタくんを連れてこられないときにはもちろん休ませて構わないです」と先生方が口を揃えて言う(「お母さんが」という表現なのは我が家の対学校のカウンターパートがわたしだからという理由であって他意はない)。学校だって人手は常に足りていないし、教室に行けない息子は保健室に行くしかない。保健室が使えないときはどうするんだろうと思っていたら、講師の先生が1年生の授業補助の際に息子を連れて行って助手にしてくれたり、前述のように校長先生が預かってくれたり、とにかく本当になんとかして息子を預かって見守ってくださっている。小学校に対しては本当にありがたさしかないし、どこの小学校でもこの環境が保証されていれば親は安心できるのにね。親の気持ちを落ち着けることが子供の安定につながるということ、先生方は経験上よくよくご存知なんだろうなと思った。

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