もがいていたら行きたい場所にたどり着いた

昔から本当に漠然と…学校で働きたいと思ってました。

それを具体的に考えられたのは大学1年の履修登録のときだったと思います。教職をとるかとらないかで自分が受けないといけない授業数は全然違っていました。7時間目(?)があったり、土曜日も学校があったりして悩んだことを覚えています。しかも仲良しの友だちは教職には興味がなくて…でも、これがないと学校では働けない!と思って履修登録しました。

教育実習に行って、ねちねちと(すみません)言われることが多かったです。学校では働きたいけど国語は嫌だと思っていたし、同じ時に実習に行った地元の同級生はほとんど教師にはならないと決めてきていたから💦
私も、わたしのしたいことはずっと無理かもと思っていました。

卒業と同時に教免取得。
教免の出番は履歴書欄に書く時だけ。ずっとタンスの奥底にしまっていました。

卒業から10年以上たって、民間の日本語学校の非常勤になることができましたが、学校とは名ばかりで自分が描いていた学校ではありませんでした。もちろん、日本語教師になりたかったので毎日充実していましたが、どこかでこれじゃない感はありました。特に試験の前です。私のような勉強嫌い(笑)が試験の時にえらそうにいえることなんかないのに、何言ってるんだと思いながら教師としてしゃべっていました。

試験の話ができる人間ではない、コマの穴埋めでもない。でもいつか学校で働きたい、留学生以外の人に会って日本語の授業がしたいと思ってバタバタと動き始めたことがありました。

そのころ、そういえば教員免許更新制になったからそろそろ更新?と思って調べたら、そのようでした。それと、大学の時の同級生とあって話してやりたいことを話したのがきっかけで、某所にボランティアとして登録することにしました。

某所からは、日本語教師の資格があり実務経験があればご紹介できる場所があるかも。但し、教員免許の更新は必須だから早く!と言われて教育委員会へ。教員免許を更新するには、私のようなペーパー教師(笑)はまず講師登録をするように言われました。

免許上、国語(中・高)ですが、教科は嫌だとかなり強く言ってやりたいことを言ったので、多分私の講師登録の名簿には国語は嫌だと書いてあるんでしょう。その講師登録に行ったときに、日本語をボランティアでもいいから子どもに教えたい、学校で働きたい!と訴えたあと、いろんなご縁がどっとあって今に至ります。

正直言って、数年前まで免許更新の方法すら知りませんでした。

ぼーっと生きてました。

でも、ごちゃごちゃと動いていたら全て子どもたちに日本語を教えるときに役立つと思ってやってきました。留学生だと日本で結婚してこどもができたら、いつか保護者として再会できるかもしれません。彼らがどんな生活をしていたのか、学習に対する意識はどんなものかはある程度理解できました。生活者だとどんな職種で何に困っているかを知りました。できるものなら親子揃ってサポートしたい存在です。短期留学生の日本に対するあこがれ・自分で働いたお金で来ているからか学習への意識の高さを知りました。

こども達は親の判断で日本に来ています。

みんな必死で生活しています。


まだ毎日もがいていますが、縁と運とタイミングのおかげで夢に描いていたところへ来ました。これからは経験を活かしてもっと視野を広げながら仕事していかないといけないと思っています。

目標にたどり着くまで、近道ではありませんでしたが…バタバタともがいていたら辿り着く世界もあるんだという一例です。

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