丁寧に言い過ぎない文化

私が好きでよく見るYouTubeチャンネル「カプリティオチャンネル」。時にガチクイズ、時に知識不要なひらめき系クイズ、時に知識もひらめきも必要な凝ったクイズを出題して解き合う、クイズ好きには大変面白いチャンネル。
数年前「2chコピペクイズ」なる企画が2回行われた。「2ch」から生まれてコピペ化されたジョークのオチの部分を当てるというクイズ。

その初回で次のような問題があった。

夢の国デスニートランド
「やあ!ぼくヒッキー!」
「こんにちは!わたしミニートよ!」
「?????」

この問題に「ぼくはくまのプー太郎だよ」と答えた人がいた。
これは不正解とされて、正解は「ぼくはプーだよ」だった。

解説不要だと思うけど一応すると、無職を意味する「プー(=プー太郎)」がかかっているというジョーク。「プー太郎」が不正解とされたのは、意味は間違ってはいないけど「プー太郎」まで言わなくてもジョークが通じる人には伝わることが大事ということだ。特にこの問題においては「プー」だけの方が上手いこと言ってるし、そもそも説明がなくても面白い、2chはそういう場であるということが端的に示された展開だった。その問題は「丁寧に言い過ぎない文化みたいなものがあるんだね」という言葉で締め括られた。一時期2chのまとめサイトを好んでしょっちゅう見ていた私にとって、この「丁寧に言い過ぎない文化」という表現が刺さった。


かつて見ていたバラエティ番組「人志松本の◯◯な話」のコーナー「許せない話」で、松っちゃんが語った話を思い出した。テレビの天気予報で気象予報士がイラストを用いて説明していた時、「冬将軍がやってきます」という説明とともに、天気図の横に将軍のイラストが登場した。その将軍の額には「冬」と書かれていた。松っちゃん曰く「そこに"冬"と書いたら負けやろ」とのことだった。
さらに、春前線の説明の際にわざわざ「小春ちゃん」と書かれた女の子のイラストが登場したことに対しても怒っていた。
この2件はその天気予報を見たことのない私でも納得できて共感した。


M-1GP2022決勝、ヨネダ2000の「もちつき」のネタで、『U.S.A.』を踊りながら「KENZO」という単語を言って、その後「DA PUMPのKENZO〜」と歌う展開がある。そこに審査員の博多大吉が「そこはわざわざ説明せずに突っ走ってほしかった」と評した。確かに、説明しなくても伝わる人には説明不要だし、わからない人には説明したらウケるというわけでもない。わからない人に対して寄せすぎるのは、わかってる人から見て少し冷めてしまうことがなきにしもあらずだと思う。


「アッコにおまかせ!」がゴールデン特番で放送された時、当時「ガッツ伝説」というガッツ石松の武勇伝ネタを披露していた芸人・はなわが、「アッコ伝説」のネタを披露した。
歌い出しがガッツ伝説と同じ「伝説の男〜」だったんだけど、「男」の部分にアクセントを強く置いていた。
当時、「和田アキ子を男」とイジる笑いがあった。でも、ネタでわざわざ強く言わなくてもいいのに、と感じた。普通に歌って気づいた人だけが笑うのじゃダメなのか?いや、そもそも普通に歌ってもみんな気づくんじゃ?これもアクセントによって説明しすぎてる気がした。


何年か前に読んだなぞなぞの本で紹介されていたなぞなぞ。

Q.甘いのに苦いって言われてしまうものってな〜んだ?


A.ヌガー(にがー)

私は、このなぞなぞのクオリティではなく、この解説の(にがー)に腹が立った。
まず、要るか?説明すりゃいいってものじゃない。説明したことで自己満足しているか、なぞなぞのクオリティから逃げているか、どちらかに感じてしまう。(にがー)を書かずに、解説とツッコミを全て読者に委ねているならわかる。
親切を装っている感じがするけど、このなぞなぞにおける最も親切な対応は、本に載せないことだ、と思った。


総じて言うとしたら、情報を受ける側が自らの力で理解、推理、納得する過程があって、その謎解きのひらめきのような要素の気持ちよさを、発する側の説明しすぎによって薄めている気がしてしまう。あくまで個人的に。


以上!

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