THE・雑談

何かの行列に並んだ時、最初から並んでいて開店と同時に入店できる人を見ると、羨ましいなぁという感想を持つことがある。でも冷静に考え直す。果たして本当に羨ましいのだろうか?

限定品の販売なら確実にゲットできる最初に並ぶのはわかる。でも例えば、美味しいと噂の飲食店で品数に特段の限りがない店でも、昼食の時間帯に行列ができていることがある。私が知るラーメン屋さんで、土日は開店の1時間以上前から並んでいる人がいるところもある。でもその行列の後方に並んだとしても、1時間くらいすればそのラーメンを食べることができる。最初に並んでも後から並んでもそのラーメンに費やす時間が同じになっている。これは必ずしも羨ましくはない。その人の暇な時間帯かどうかを除くと、早く並んだからお得というわけでもなく、賢いというわけでもない。
田舎における、駅で電車に乗るための待機列。あれも似たようなことを思う。最初に並んでる人は電車に乗ったら座れるけど、その長い間立って待ってなくてはいけない。私は乗る電車の発車まで少し時間がある時は、並ばずに近くのベンチに座って、発車直前に乗るようにしていた。乗車時間にもよるけどそっちの方が楽。
「立って並び続けること=苦痛」と純粋に捉えるのなら、早く並ぶこととそうじゃなく並ぶことがどっちが理にかなってるかはなんとも言えないのかなと。


そんな感じで、どうでもいいことを愛する私がどうしても語りたいことをここで吐き出す。


以前何回か放送されていたお笑い特番「ザ・ドリームマッチ」。若手、中堅、ベテランの主にコンビ芸人がバラバラにコンビを組み直して一度きりのネタを披露する。
ある回で、TKO木下とNONSTYLE井上が組んでネタの打合せをしていた時の会話が、今でも記憶に残っている。

木下「ネタ合わせは2回しかせえへんからな」
井上「2回!?」
木下「TKOはいつもそうやってるから。その代わり、みっちりした2回やぞ」
井上「みっちりした2回って何すか」
木下「じゃあNONSTYLEどうしてんねん」
井上「うちは、みっちりした100回です」
木下「あ、練習好きなんや?」
井上「じゃなきゃ、M-1の決勝であんなネタできないです」

NONSTYLEの漫才はM-1優勝前から知っていたけど、単純なネタの面白さだけじゃなくてスピードと完成度が評価されるタイプだ。オードリーが同じ年のM-1決勝で、春日がセリフを噛んで若林がアドリブでツッコんでワッとウケて、ファーストステージではNONSTYLEの点数を上回った。NONSTYLEはオードリーと違って、ネタを失敗した分だけ減点されるタイプで、練習量がそのまま評価に繋がる。最後まで失敗せずに完璧にやり遂げて最後に逆転して優勝したNONSTYLEを見届けた私にとって、井上がネタ制作担当ではないと知っていても、「みっちりした100回」という話はすごく説得力があった。

これはNONSTYLEに限らずネタを披露する芸人すべてに言えるけど、同じネタをたくさん練習してたくさん披露することは、単純にすごいなと思う。

私が仕事で初任者研修の講師を担当した時の話。当時私はまだ2年目で、同じ研修を去年受けたばかりだったけど、いろいろあってやらざるを得なくなった。30分程度、自分の職務内容を説明するというものだった。去年の説明資料を多少書き直して、説明する練習をした。
1回目、約30分で読み終わる。
2回目、なぜか1回目よりも説明が辿々しく詰まりがちになってしまった。まったく同じ内容を再度読む、その単純作業に私の脳や口が一種の退屈さを感じて、読み続けるのが苦痛になってしまった。
翌日にもう一回だけ通して読んで、本番を迎えた。当然、綺麗に説明することはできなかった。練習量の少なさでいえば当たり前ではある。研修の様子を見ていた上司は私に怒りはしなかったけど、どのくらい練習したかを聞いてきた。上司は「本番に対して練習は8倍行うのがベスト」と教えてくれた。次回以降は、例え詰まったとしても8回程度は練習するようにしたら、ある程度はましになった。「みっちりした100回」とまでは言わないけど、上司の言うことには一理あった。
ただやはり、同じ文面を何度も繰返し読むということは、どうしても喋ってて違和感が出てくる。繰返し読むことによって、台本を良くするため書き直すことは生じるし、読み方も上手くなるから、練習が大事だというのは大前提として理解はしている。でも、やはり私は同じ練習を繰り返すことが苦手だと常々感じている。

芸人は一つの漫才のネタを、例えばM-1のような大会のためならば、何回、何十回、もしかしたら何百回と練習するんだろう。その努力量は計り知れない。私はそこに尊敬かつ疑問を感じる。同じネタを何回も練習していたら、訳がわからなくなったりしないのだろうか。前述同様、内容の更新にもなるし、セリフを噛まないことやスピードを保つためにも練習は必要。でも、やはり同じネタを繰返し練習しまくることが100%メリットになるとは思えない。面白いものも面白く感じなくなったりするなんてのは、もしかしたら多くの芸人が抱える悩みなのかもしれない。芸人を経験してない私でも、その悩みは理解できる。

社会人歴数年になる私は最近思い出した。学校の先生もそうなんじゃないか。例えばとある中学校で教科を受け持つ教師は、同学年の数クラスを受け持つ。5クラスあったとしたら、同じ内容の授業を5回行うわけだ。それも、平等な授業にしなくてはいけない。芸人のネタは1回目披露と5回目披露で5回目の方が上手くて面白くなったとしても誰も文句は言わない。でも1組での授業と5組での授業で、5組での方が説明が上達したり情報量が増えていたら、当然生徒達の成績に反映されて、生徒達から不平等だと声が上がってもおかしくない。いや、上がるべきだとも思う。常に毎回の授業で、まったく同じ説明をしながら、同じような丁寧さで説明しなくてはいけない教師の大変さ、今更ながらだけど私はそれができない故に理解できるかもしれない。





昨年4月からダイエットを始めて1年、20kg以上の減量をした。結果だけ見れば良いことなんだけど、始める前には到底わからなかったあることに気づいた。
間食をなるべく除くことに徹底したところ、運動することより食べないことがより減量に繋がるということを知った。健康面はさておき。そこで週に1回程度、昼食を取らないことにした。激しい運動をするわけでもないし、そこまで苦ではなかった。苦ではないどころか、空腹が気持ちよく感じるようになった。もちろん満腹の方が気持ちいいのは当然だけど、満腹に対して罪悪感が生まれるようにもなってしまった。食べることに対して、ほんのわずかにだけど情趣が減ってしまった気がする。ダイエット中、どこか区切りがついたタイミングでチートデーにして好きなものをたくさん食べたい、というモチベーションを持っていたこともあったのに、それがなくなった。食べている最中だけは楽しいのに。



話はまた全然変わって、笑いを堪えることの是非について。

笑っちゃいけない場面で堪えるのはわかるというか当然なんだけど、そうじゃない場面で笑いを堪えている人に対して、多少の嫌悪感を抱くのは私だけなのだろうか。
何故我慢するの?
例えば、おしとやかぶりたい人が、ホントはゲラゲラ笑いたいところだけど人前なので我慢する、ということであればわからなくはない。
お笑い芸人が、バラエティ番組で他の芸人がトークしている最中に、口をひん曲げながら笑いを堪えているのをたまに見る。マジで理解できない。笑っちゃいけないトークや場面ではなく、他の出演者は笑っているのに。トーク中の芸人がいわゆるスベる系芸人で、周りが笑わずにスベってる状況が面白いのでそれを作ろうとしているならわかるけど、そういうことでもない。何故素直に笑わない?

バラエティ番組では何か空気とか色々読んで行動しているのだろうから、理解はできなくても諦めはつく。
自分の周囲でも、笑いを堪える場面じゃないのに堪えている人はたまにいる。これはほんとにわからない。何度でも言う。何故素直に笑わない?
ホントは面白いのに何か理由があって堪えていたとして、その上で「無表情」でいるのならそこに嫌悪感はない。明らかに笑っているのが表情に出ているのに声には出さないように堪えている。これには腹が立つし理解もできない。
さらに不快感があるのが、笑い声を殺して「変な声」が出てしまっている人。「くーっ」「つっ」「すすすっ」みたいな。文字では表現しきれないので伝わる人にだけ伝わればいい。声に出すなら笑えばいいじゃん。笑い声を我慢するのがカッコいい?かわいい?
私は大声ではっきりと笑ってる人を見ると、気持ちいいしスカッとするし、自分もつられて笑うくらいに楽しい気分になる。男女問わず。みなさん、笑う時はぜひ楽しく笑ってください。
当然、笑い方にもよるけど。TPOを無視した大きすぎる声だったり、品が無さすぎる笑い方だったりはさすがに好きじゃない。あと、「アハハハハ」と"カタカナがはっきり文字で見えるような"笑い方もあんまり。こういう笑い方をする人は大抵が嘘笑いだという偏見があるので。


笑うことの話から少し発展させて、『ドラえもん』のとある回の話。
「表情コントローラー」というひみつ道具が登場する回。原作では、ムス子という常にムスッとした女の子が登場する。スネ夫やジャイアンは最初ムス子のことを好いていなくて、のび太が表情コントローラーを使って2人の表情を笑顔にしたり、ムス子の表情を笑顔にしたりする。ムス子は笑顔になることを最初は抵抗していたけど段々と満更でもなくなる。ただムス子は笑い慣れていなくて、表情コントローラーによって無理に笑顔にされていたため、顔が疲れてしまったというオチを迎える。



みなさんは、気づかないうちに自分で表情コントローラーを使っていませんか?

無理に笑顔を作っていませんか?疲れていませんか?

私は仕事中、いつの間にか作り笑いをしていることに気がついた。誰かと話してる時以外でも。
そこで、意識して作り笑いをやめてみた。楽になった。顔だけじゃなく、心も。どうせ私の表情を見ている人なんていない、という大前提の元ではあるけど。
「スマホの画面を暗くしたら電池が持つようになった。自分も無理に明るく振る舞わないようにしたら気が楽になった」というSNSの投稿を思い出した。通ずるところがある。
みなさんもお試しあれ。

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