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鬼太郎のゲタの音

この記事は Otaku Social(おたそ~)Advent Calendar 2023 紫展示棟4日目の記事です。

はじめに


不思議な出来事があったら妖怪ポストに投稿してみるといい…

「噂だとこの辺にあるっていうけど…」
夕刻、鴉の鳴き声が頭上から降り注ぐなか私は人気のないビルの隙間に身を滑り込ませた。
子供一人がやっとという狭い路地を奥へと進むとそこには古めかしいポストがひとつ。
「これかな?」
ギャア、と肯定するような鴉のひとなきにびくりと肩を震わせつつそろりと懐から取り出した手紙を投函する。

「あんなので本当にどうにかなるのかな」
数日後の夕刻、私はひとりで下校しながら考えていた
ギャアギャアといつにも増して鴉の声が煩い。
心の中の不安と相まってひどく心細くなる。
長く伸びた自分の影に今にも吸い込まれそうだ。

カラン…コロン

微かに聞こえる聞き慣れない音。
お祭りのときくらいにしか聞かないそれは段々と背後から近づいてくる。
私はおそるおそる振り返った。

そこにいたのは片目が前髪で隠れた、黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを羽織った小学生くらいの少年だった。

というのが多くの人が思う「ゲゲゲの鬼太郎」なのではないだろうか。

鬼太郎といえば原作である漫画よりアニメで見たことのある方がほとんどだと思う。
1960年代から2010年代まで6世代あるためどの世代でも通じる稀有なキャラクターとして浸透しておりどの世代の鬼太郎を見ていたかで年齢がわかる可能性すらあるといわれている。

さすがに6世代あれば多少の性格やキャラクターデザインの違いはあるが「妖怪と人間のかけはし」というのが基本であるというのは変わらない。
そんな鬼太郎とともに育ってきた数多の人々の一人として話していこうと思う。

鬼太郎のアニメシリーズ


鬼太郎の漫画が週刊少年マガジンで連載開始したのは1965年、それまでの紆余曲折は原作者である水木しげる氏とその奥様を題材とした連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」をご覧になられていた方ならご存じだろう。
その後アニメ化したことで鬼太郎の認知度は一気に上がる。

なお、当初漫画のタイトルは「墓場鬼太郎」であったがそれだとちょっとということになり「ゲゲゲの鬼太郎」ということになったという。
ちなみにゲゲゲ、というのは水木しげる氏の幼少期のあだ名が元である。

鬼太郎のアニメシリーズ


記念すべき第一期のアニメは当然ながら白黒画面で不気味さがより際立っている。
エンディングテーマの「ナイナイ音頭」は世知辛いユーモアさのある歌詞だが個人的に結構好きである。

二期からはカラーとなりややマイルドな雰囲気となったかと思いきや話が怖い。「足跡の怪」などが有名である。

三期になるとオープニングテーマがロック調になる。高層ビル群を背にした登場をする鬼太郎に時代を感じる。
エンディングテーマも吉幾三が歌ったものはバックイラストが怖くトラウマになった当時の子どもたちも多いらしい。
話としてはアニメ独自設定が多く鬼太郎が幽霊族と人間のハーフだったりオリジナルキャラとしてユメコちゃんという人間の女の子がメインキャラとして登場する。
劇場版はカロリーヌちゃんとねずみ男のふれあいが胸熱である。

四期は前期とうってかわり落ち着いた雰囲気となっている。
バブル期とバブルが弾けた後だからかもしれない。
鬼太郎の性格も前期のヒーロー然としている熱血系ではなく穏やかな性格となっている。
ただしニッコリしながら恐ろしいことをするタイプでもある。
京極夏彦氏が脚本を担当した回がありいつもの鬼太郎とは少しだけ雰囲気が違う(それでいて鬼太郎らしさは損なわれていない)話となっている。
京極堂シリーズが好きな方は是非観てみてほしい。

五期は今までの鬼太郎のアニメシリーズより、当時の他のアニメに近づけた作風になっていたように思う。
これが水木しげる氏存命中最後のアニメシリーズとなった。

六期はかなり現代らしい作風となっており、以前より社会問題を扱ってきた本作ではあるが労働問題や人間関係の歪みなどを取り上げ「闇」感の強いシリーズとなっている。
子供でも大人でも楽しめる本作だがどちらかといえば大人がより没頭できるように作られていたように思う。

さてこれらがシリーズとしての鬼太郎だが深夜枠で放送されたケースもある。

フジテレビの深夜アニメ枠でありノイタミナで放送された「墓場鬼太郎」である。
オープニングテーマを電気グルーヴが担当し漫画のコマを使ったオープニング映像からこれは今まで見てきた鬼太郎とは違うなということを感じさせる。
実際アニメの鬼太郎とはかなり毛色が違いなかなかにシビアな「人外っぽい」鬼太郎が見られる。
貸本時代の墓場鬼太郎が忠実に描かれており、この作風が好きな方は是非復刻した貸本版鬼太郎を読んでみて欲しい。

以上がアニメの鬼太郎についてである。
以下は漫画版の鬼太郎でもかなり異色作といえる
「その後のゲゲゲの鬼太郎」の話をしようと思う。

その後のゲゲゲの鬼太郎


「その後のゲゲゲの鬼太郎」は私達が知っている少年の姿の鬼太郎が成長した姿で登場する。
高校生となった鬼太郎は田中ゲタ吉という人間社会に馴染む気のない名前で生活しており目玉おやじに東大を目指せと言われている。
その生活は妖怪とエロに彩られており「アニメの鬼太郎」のイメージを崩したくない人には積極的に勧めることはしないが成長した鬼太郎がとにかく気になる人は是非読んでみて欲しい。
「どうして」となるだろう。
その後のゲゲゲの鬼太郎は内容からまず映像化は厳しそうだが私が密かにアニメ化を熱望している作品でもある。
どうにかなりませんかねえ!?

おわりに


鬼太郎は私には語り尽くせないほどの魅力に溢れた作品でありキャラクターである。
人間の味方というイメージがあるが悪い人間を懲らしめたりもする。
まさに中立の存在であり妖怪にとっても人間にとってもヒーローであるのが誰にとっても救いの存在であるということだ。
それが現実の世界の片隅でもがく人々の心に響くのではないだろうか。

もし機会があれば鬼太郎や水木しげる氏が随所に感じられる土地である鳥取の水木しげるロードや東京の調布などに足を運んでみてもいいと思う。

きっと今日もどこかでゲタの音が響いているはずだから。